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ガールグループ「LADIES’CODE」を死に追いやった韓国芸能界事情(下)

登録:2014-09-15 11:48 修正:2014-09-15 12:12
ガールグループ「LADIES’CODE」の活動当時の写真。左から1番目と2番目が交通事故で亡くなったクォン・リセとコ・ウンビ。ジュニ(左3番目から)、ソジョン、エシュリーは負傷して回復中だ。//ハンギョレ新聞社

 シーン3。

 少し離れた場所からだったけど、彼女を直接見たことがある。2011年4月に京義道一山(イルサン)のMBC放送だった。その日は歌手オーディションの番組「偉大な誕生」の初生放送の日で、彼女は生放送にまで進出できた参加者のうち最も注目をあびた人だった。 一目でスター性を認められるほどの美貌の持ち主であると同時に、生放送に進出するには歌唱力が不足するという指摘も多い参加者だったからだ。

 それが「LADIES’CODE」のクォン・リセだった。何でも貪欲かつ熱心に努力していた彼女だったが、取材していた記者たちは口をそろえて彼女の脱落を予想した。その予想は//外れなかった。初日に脱落した彼女は、助力者のイ・ウンミの胸の中でしばらく泣いていたが、すぐ笑顔を見せた。

 一か月後に退社してフリーランスという不確かな未来に進むことに怯えていた私は、その瞬間、彼女に感情移入した。そう、今の失敗があなたのすべてじゃない。そんなふうに笑い飛ばして貪欲にやっていけば、必ず良き日がくると心の底から祈った。

 はたして良き日になったのか…。 オーディション番組が終わった後、彼女は一緒に出演した男性参加者と仮想の夫婦となって「私たち結婚しました」という番組に出演し、いくつかのファッショングラビアも撮ったし、数年後にはついに5人組女性アイドル「LADIES’CODE」のメンバーになった。

 何曲かのシングルを発表し、大ヒットはなかったけど少しずつ知られるようになっていた。こんなふうに貪欲に努力し続ければ必ず良き日がくると信じていたかもしれない。9月3日深夜、イベントを終えソウルに戻る車の中でも、そう考えていただろうか。

 会社はその日のスケジュールには無理はなく、どのアイドルでもこなしているスケジュールだったと弁明した。その話に間違いはないのかもしれない。その日埋まっていたスケジュールは、大邱(テグ)であった『KBS』放送の「開かれた音楽会」の録画がすべてで、8時にステージに上がって公演を終えた後、ソウルに戻るだけだったから。

 もちろん意見は分かれる。 匿名を求めたある芸能企画会社の代表は『CBS』ラジオ「キム・ヒョンジョンのニュースショー」に出演し、「事故の翌日も絶対にスケジュールがあっただろうし、疲労もたまる。少しでも早く戻って休める時間を作るため」速く走ったのだと話した。

 なるべく早く戻ろうとしたため起きた事故だったのか。証言は分かれる。

 所属会社は「後輪が突然外れて雨道で滑った」と言い、目撃者は「前方車を追い越そうとしたら転覆した」と言っている。どちらの話が本当なのか今もって分からない。 

 ただこう考えることにした。 スマートフォン利用者3800万人時代、誰もが日常的に耳にイヤホンをさして音楽を聞いているけど、音楽をする人が音楽で金を儲けるのが、どの時代より難しくなったこの不思議な時代に、23歳と24歳なったばかりの女性アイドル歌手がイベントの帰りに事故に遭って亡くなった。

 2007年に「こんな悲劇的なことが再びないことを望む」と書いた私は、今まで以上に無気力な気持ちで若い歌手たち見送ることになった。遺族たちは彼女らが最後に力を尽くして上がったステージの「開かれた音楽会」を通常通り放送することを求めたという。14日の日曜日、テレビ画面でだけでも最後の挨拶をしなければならないと思う。心からコ・ウンビさんとクォン・リセさんの冥福を祈る。

イ・スンハン 芸能ジャーナリスト (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2014.09.12 18:53

https://www.hani.co.kr/arti/culture/entertainment/654941.html 訳Y.B(1429字)

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