原文入力:2011/10/27 23:06(1869字)
クォン・ヒョクチョル記者
初日程は市場訪問
貧民街で一日の仕上げ
本人のために地下鉄が待機すると
"こういうのが官僚主義" 一針
市庁公務員らと会い
"共に仕事をするパートナーになろう"
←パク・ウォンスン ソウル市長が27日ソウル市庁に初出勤し執務室で事務引継書に署名している。 写真共同取材団
初日の歩み
■ 27日06:30パク・ウォンスン ソウル市長が市長として初めて訪問したところは市場だった。27日朝6時30分、瑞草区(ソチョグ)、方背洞(パンベドン)の家を出たパク市長は市長官用車であるエクース乗用車の代わりにタクシーに乗り鷺梁津水産市場へ向かった。 彼を見た商人は手をたたき "パク・ウォンスン" を連呼し歓迎した。商人イ・ビョンファ(45)氏が「完全無欠な歩道敷石を掘り返す展示式行政ではなく庶民のための福祉政策をやって欲しい」と注文すると、パク市長はイ氏の手を握って「私の公約がそれです。 必ず守ります」と答えた。 30分程、商人たちと話を交わしたパク市長は国立顕忠院(ヒョンチュンウォン)を訪ね顕忠塔などに参拝した後、芳名録に‘共に行く道’と書いた。
■ 08:30パク市長は参拝後、午前8時30分頃地下鉄4号線銅雀(トンジャク)駅でタンコゲ行電車を待った。 選挙運動の時 「当選したら初日は公共交通で出勤する」とした約束を守ったのだ。 乗り場に電車が停まったが満員車両だったためパク市長は乗れなかった。 ところが電車が彼が乗るのを待って1分余り出発しなかった。 彼は慌てた表情で 「いや、私のために停まっているんですか? こういうのが官僚主義なのに、そのまま電車を行かせて下さい」と話した。彼は満員電車3台をそのまま見送った後に地下鉄に乗ることができた。
■ 09:00パク市長は午前9時頃ソウル市庁西小門別館に到着し「困難があるだろうが市民と公職者の皆さんと共にじわじわと常識と合理性に基づいて解決していく」と初めての出勤所感を明らかにした。続いて13階会議室に上がり4級以上幹部200人余りと初対面した彼は「共同の目標を持ち共に進むチームワークが重要だ。 市民たちのために共に仕事をするパートナーになろう」として疎通と和合を頼んだ。
■ 10:00パク市長は執務室で市長事務引継書に署名した後、午前10時から30分間、市政懸案業務報告を受けた。彼がこの日初めて決裁した書類は‘小学校5・6学年無償給食予算支援案’だった。これに伴い、5・6年生19万7000人が来月から無料給食を受けることになる。
パク市長は‘冬季総合対策’報告を受けると「社会安全網から抜け出ている方々を再発掘する部分に目を配って欲しい」と頼み、「私は特に障害者、老人福祉に関心が強い」と話した。続けて民主党を訪問した後、市会議員たちと昼食をとりソウル広場の使用方式を許可制から申告制に変えた条例に対しオ・セフン前ソウル市長が提起した訴訟を28日に取り下げると約束した。
■ 13:20パク市長は午後の記者懇談会で「無償給食のためにオ前市長が退いたのではやく葛藤を解決することが必要だ」として無償給食予算支援決裁を初めての業務で選んだ背景を説明した。 補欠選挙まで招いた疎通不在の象徴である無償給食論難を終え、オ・セフン市政‘消去’とともに福祉重視という‘パク・ウォンスン印市政’の大きな方向を示した。漢江(ハンガン)ルネサンスのようにオ前市長が行った大きな事業は専門家と利害関係者、市民で事業調整委員会を作り判断すると説明した。 また「公約どおり‘ソウル市政運営協議会’を通じて疎通と協同の政治をする」と話した。
午後には民主労働党、国民参与党、進歩新党、創造韓国党などを訪問し選挙時の協力に感謝の意を表し市政への協力を頼んだ。
■ 18:00パク市長は就任初日の公式日程を永登浦(ヨンドンポ)貧民街を訪ね脆弱階層の越冬対策を几帳面に調べることで終えた。市場から貧民街へ続いた初日日程を通じて彼は鷺梁津市場で商人たちに話したように "現場で傾聴し疎通しながら市民の困難を市政に反映する」という意志を表わした。クォン・ヒョクチョル、ホ・ジェヒョン記者 nura@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/502834.html 訳J.S