原文入力:2011/10/06 20:22 | 原文修正:2011/10/07 13:52(1763字)
チェ・ウォンヒョン記者
国内で初めて「史記」全編完訳 金元中教授
要約版で古典理解は難しい
原典尊重して中2レベルの解説
「冷遇」で百回以上あきらめかけたことも
←中文学者の金元中建陽大学教授
中国歴史書最高の古典である「史記」ほど有名な本もないが、この本をまともに読んで見た人は殆どいない。約52万6500字に達する史記全体を韓国語に完全に訳した翻訳本がなかったためだ。内容を選んで編集した要約版に接することができただけだ。
中文学者の金元中(キム・ウォンジュン)建陽大学教授(写真)が最近、「史記 表」と「史記 書」を翻訳出版して、14年間続けてきた史記完訳の大長征に終止符を打った。史記は「本紀」12編、「表」10編、「書」8編、「世家」30編、「列伝」70編など全130編で構成されている。金教授は1997年「史記 列伝」(2冊)を、昨年には「史記 本紀」と「史記 世家」を翻訳し、今回「表」と「書」を出版して、はじめて史記の全てを韓国語に訳した。
5日に会った金教授は、「20年余りの間、それなりの天命意識を持って翻訳に取り掛かっていた」として「終わらせると、100年間引っかかっていた溜飲が全部下りていったかのように、さっぱりした」と話した。今回の翻訳で金教授は、「一人で史記を完訳した学者」「三国志と史記を共に完訳した学者」など、多彩な修飾語を得ることになった。日本とアメリカでも単独で史記を翻訳した事例はなく、中国でこの古典を現代中国語に訳す作業は、国家主導で数人の学者が参加して行われていると、金教授は説明した。特に今回翻訳した「表」は、「本紀」「世家」「列伝」に分散した歴史的事実関係を一目で分かるように表に整理した記録物として、中国でも翻訳された事例が殆どなかったという。
金教授は一人で翻訳に取り掛かり、この大長征のような作業を終えた。中国中華書局から出た史記の標点本(古文に句読点をつけた版本)を土台としたが、徹底的に原典中心主義を貫きながらも、可読性の高い翻訳を追求したという。中学2年生レベルで翻訳文を理解できるかどうかを、上手にできた翻訳の基準にしたと言う。また、我が国だけの翻訳アイデンティティーを生かしたい一心で、中国語・日本語翻訳本は、ほとんど覗き読みすることはなかったという。
翻訳に対する執念は、国内翻訳の現実を憂慮して悩むところから出た。中国の「二十四史」の中、現在韓国語に完訳された作品は、自身が翻訳した史記と三国志だけだ。日本では漢書、三国志などは、既にかなり前に完訳されており、表を含む史記の完訳も、昨年になされた。
金教授は、「国内には私より高い実力を持った方々が大勢いる」として「問題は、学者が翻訳に取り掛かれるようにしてくれる学問的土壌」と指摘した。依然として、翻訳を学問的成果と認定しないなど、学問制度自体が変わらなければ、間違いなく、必要な翻訳本が出てくるのが難しいということだ。自らも「史記を翻訳しながら、百回は放り出したい気になった」と打ち明けた。
ところがすでに、史記に深く魅惑されていて、どうしようもなかったと言う。「司馬遷はなぜ、秦始皇を殺害しようとして失敗した荊軻の話、すなわち失敗談をあえて書き込んだのでしょうか? 妻の忠告を聞いて態度を変えた晏子の馬夫の逸話の様な細かい話を、なぜ書き込んだでしょうか? こういうことを考えてみると、「通古今之変」、すなわち、2500年の歴史を通じて人間の興亡盛衰を明らかにして、万事の根本と核心を把握しようと思った司馬遷の思いを、改めて読み取ることができます」。だから彼は「1冊で読む」「1日だけで終わらせる」などの題名がついた要約版では、古典をまともに習えないと話す。書いた人の意図を考え、文章全体をゆっくり読んでいく時、初めて、その奥深い意味を悟ることができるということだ。
文:チェ・ウォンヒョン記者 circle@hani.co.kr
写真:キム・ジョンヒョ記者 hyopd@hani.co.kr
原文:https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/499619.html 訳 M.S