原文入力:2011/10/05 20:43(2118字)
クォン・テホ記者
「米国の秋」vs「2011ウッドストック」
「アラブの春」とは異なり、
強烈な怒りを表出しながら、文化祭の性格も共に有する
「今ここにいることが革命」 「声の性質徐々に変わる」
←3日ニューヨーク ズコッティ公園「ウォール街占領」デモ参加者たちの前を人々が通り過ぎている 写真APニューシス
「ウォール街を占領せよ」デモ18日目の4日(現地時間)、米国ニューヨークのリバティープラザ公園(旧ズコッティ公園)は、前日と同じ光景を描き出した。色とりどりの人々が集まり、スローガンを叫んで、物品の寄付を受けて、現場の状況をインターネットに流し、その合間に討論が、歌と踊りが、共に行われた。昼間は、両親についてきた子供たちが、デモ隊の中にまぎれて遊び、公園周辺を囲んだ警察は、デモ隊とひそひそに話を交わしもした。
「米国の秋」なのか「ウォール街のウッドストック」か?
3週目に入っても、徐々になくなるどころか拡大するデモの状況を前に、米国では今回のデモの性格と展望を定めようとする分析が続いている。コーネル・ウェスト プリンストン大学教授など多くの人々は、去年の春のアラブを席巻した民主主義革命(アラブの春)にちなんで、このデモを「米国の秋」だと呼ぶ。「99%と1%」で不平等が深刻化する現実に対する「怒り」、「変化」に対する要求、そしてフェイスブックとツイッターなど、ソーシャルネットワークを通した「結合」などが似ているという点に注目してだ。
しかし、実際に繰り広げられているデモは、リバティープラザの光景のように、はるかに平穏で、非暴力的だ。別の言い方では、緊迫感や切実さに欠けるようだ。「独裁打倒」という明らかな目標を持った「アラブの春」と違い、「米国の秋」は金融資本の弊害を批判するものの、どこに進むのか、いつまで持続するのか曖昧だ。
このために最近では、若者たちの音楽の祭典であった1969年のウッドストックにたとえて、「ウォール街のウッドストク」と性格を定めたりもする。ウッドストック祭典が当時、即座に社会変化を引き起こしはしなかったが、その自由と抵抗の精神が世代を通じて広まり、今まで米国社会に影響を及ぼしている点で比喩したのだ。コラムニストのリーク・エコモンは、「ウッドストックと多くの面で似ているが、(米国が豊かさを享受した) 60年代と今とは環境が異なる」として「今後もこの運動が持続する場合、平和と理想を歌ったウッドストックに比べ、もう少し現実的で、もう少し激しくなるだろう」と見通した