原文入力:2009-03-04午後08:23:25
‘帝国以後の…’ 出したチェ・ウォンシク教授
“中・日と平和共存ために大国主義指向 脱皮が必要
生態系保護 環境・福祉 追求 第3の道 摸索を”
イ・セヨン記者キム・ミョンジン記者
←チェ・ウォンシク(60)仁荷大教授(国文学)
「韓国は生まれつき大国になりにくい国です。領土的制約もあるが、私たちがそうなることを周辺国ら放っておきません。参加政府の東北アジア均衡者論が座礁したのには他の理由があったのではありません。韓国が地域の中心になるという意味だと受け取られて周辺国から強力な牽制が入ってきたということです。」
‘チャンビ版 東アジア論’の知的財産権者のひとりであるチェ・ウォンシク(60・写真)仁荷大教授(国文学)が15年にわたる知的旅情に区切りを付けた。1993年以後書い綴ってきた‘東アジア論たち’の中で“それでもちょっと良い” 14編を収めて<帝国以後の東アジア>(チャンビ編集)という本にまとめた。彼が序文に綴った心境はこうだ。「やっとこの程度なのかという物足りなさもあるけれど、その一方でこれぐらいならば良くやったという断の気持ちが心地よい。」
去る3日ソウル,西橋洞の世交研究所で会ったチェ教授は最近の東アジア情勢を‘沸騰する大国主義’と要約した。
「中国は失った自尊を回復するために大国屹立(大きい国が勢いよく立ち上がること)を夢見て、日本は強大な経済力に軍事力まで備えた普通国家への転換を執拗に推進しています。韓国はどうですか。イ・ミョンバク政府が前面に押し出した‘747’こそ典型的な大国指向の富国強兵論です。皆が大国に向かって駆け上がる所にどうして平和と共栄が宿りますか。」
こういう状況で彼が強調するのは謙譲と節制だ。大国に向かう欲望の無限連鎖を適切に制御することだけが破局と共倒れを防ぐという考えからだ。しかし大国主義の誘惑は容易でない。従属と被侵略の悲しい記憶だけを大切に保管してきた韓国人の場合にはより一層そうだ。
「私もやはり大国主義者の気質が濃厚な人間の一人です。‘強盗日本が…’で始まる丹齋 申采浩先生の‘朝鮮革命宣言’を読んでしばらくたぎる血を抑えられませんでした。初めて‘小国主義’を話したのが98年<創作と批評>創刊30周年の時なのですが、ここには小国主義を外に宣言することによって‘私の内なる大国主義’を抑制しようとする意志もまた含まれていました。」
最近、チェ教授は韓国が追求しなければならない望ましい国家形態として‘中型国家’を提案している。生態系負担を減らし福祉と分配を悪化させず、隣国と平和に共存するためには大国でも小国でもない中間水準の国力が適当だという話だ。問題は皆が大国に向かって走っている状況で、独り他の道を歩いて生存自体が難しくなりかねないという点だ。‘東アジア’という問題設定が緊要なのは理由がここにある。
<帝国以後の東アジア>
チェ教授は東アジア論の問題意識を「私たちの社会の矛盾を解決するためには一国の垣根を越えて韓半島と中国・日本、進んで米国・ロシアまで合わせる一層広い単位の思索と実践が必要だという認識」と定義する。こういう認識が初めて芽生えたのは80年代初期だ。
「1982年ペク・ナクチョン先生が編集した<韓国民族主義論>という本に‘民族文学論の反省と展望’を書きながら‘第3世界論の東アジア的様式’が必要だと考えました。当時、第3世界文学を代表していたラテンアメリカ文学に対する反感もあったし、ちょうど出獄したキム・ジハ詩人から法王庁が東アジアの伝統的知恵からカトリック更新の方向性を探しているという便りを伝え聞いたことにも自信を持てるようになりました。」
当時の認識は素朴だった。韓国文学を正しく見ようとすれば韓半島が位置した地域を熟考することが必須という考えだった。ここに西欧資本主義でも東欧社会主義でもない第3の代案を東アジアの伝統思想から探してみようという文明論的関心がより増した。だが時はマルクス主義社会理論と変革論が時流に乗った80年代だった。チェ教授の東アジア論は‘世の中を知らない文学徒のひまな空想’位に扱われた。
そんな折り、89年ベルリンの壁が崩れ91年にはソ連が崩壊した。チェ教授は93年季刊<創作と批評>に‘脱冷戦時代と東アジア的見解の摸索’という文を発表した。冷戦の精神遺産に縛られていた進歩知識人陣営に向かって知的刷新を促すげき文であり、‘チャンビ版 東アジア論’の発進を知らせる宣言文だった。
“文の焦点は東アジアの火薬庫である韓半島の分断をどのように平和的に克服するのかにありました。韓半島を東アジア地域の矛盾の結節点と見て、分断の解消策を東アジア平和体制の構築という巨視的構図から探してみようということでした。これに加えて東アジアが共有する歴史的経験や文明的資産が東アジア平和の重要な接合剤になりうるという希望の混じった期待もありました。」
90年代中盤以後東アジア論は何度も補完を繰り返した。いわゆる‘アジア主義’にかこつけた国家主義・覇権主義に捕獲されまいとする苦闘だった。韓・中・日3国でない北韓・台湾・沖縄・香港など‘周辺の見解’が導入され覇道の大国主義と拮抗した東アジアの伝統思想が論究された。この過程でチェ教授の関心は「夢路に幽閉された小国主義をどのように現実に呼び起こせばよいか」に集められた。ところで彼が発見した知恵は意外にも白凡 金九の建国綱領だった。チェ教授が紹介した白凡の話はこうだ。
“私たちの富力は私たちの生活を豊にするに値して、私たちの強力は他人の侵略を防ぐ分には十分だ。ただ限りなく持ちたいのは高い文化の力だ。”(‘私の願い’)
文イ・セヨン記者monad@hani.co.kr
写真キム・ミョンジン記者littleprince@hani.co.kr