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‘労働者のオモニ(お母さん)’息子チョン・テイル烈士の隣へ…

登録:2011-09-08 09:56

原文入力:2011/09/07 22:32(2690字)
イ・スンジュン記者


1500人余り‘民主社会葬’厳粛に執り行う
韓進重工業 解雇労働者‘大型垂れ幕’持ち運柩行列の先頭に
二大労総 "差別のない世の中ために力を集める" 故人の意を刻んで
‘チョン・テイル橋’で路祭の後、牡丹(モラン)公園チョン・テイル烈士の横へ安置


←オモニ、安らかに永眠して下さい
チョン・テイル烈士の母親 イ・ソソン氏の運柩行列が7日午前、告別式会場のソウル、鍾路区、東崇洞(トンスンドン)のマロニエ公園へ向かっている。故人は京畿道、磨石(マソク)、牡丹(モラン)公園にある子息の墓地近隣に安置された。パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr


 "人が生きる世の中が戻ってきてお前と私が抱き合う時、矛盾の塊り、抑圧と搾取はあの赤い太陽に溶けて流されるよ…" 
7日 京畿道、南揚州市(ナムヤンジュシ)、磨石(マソク)、牡丹(モラン)公園に‘オモニ’という歌が鳴り響いた。‘労働者のオモニ’の最期の道を共にした300人余りの息子・娘たちは歌を歌った後 「オモニ」と叫び目がしらを赤らめた。双龍車・キリュン電子・韓進重工業の解雇労働者は汗がしみた安全帽と横断幕、チョッキを棺の前に捧げた。オモニの棺の上に土をかけた娘のチョン・テリ(53)氏は 「お母さん、天国で会いましょう」と涙声で言った。下棺礼拝に参加したイ・ヘドン牧師は「身長も低く体つきも小さかったが、その考えは深く広い方だった」と話した。

去る3日に亡くなったチョン・テイル烈士の母親 イ・ソソン氏が息子が眠っている京畿道、南揚州市、磨石の牡丹公園に安置され永眠についた。故人の葬儀はこの日‘民主社会葬’として厳かに執り行われた。

←イ・ソソン氏の葬儀が行われた7日午後、ソウル、鍾路区、鍾路5街のチョン・テイル胸像の前に母親であるイ氏の遺影が置かれている。パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr


これに先立ち、この日朝 葬儀室が用意されたソウル、鍾路区、蓮建洞(ヨンゴンドン)ソウル大病院葬儀室では故人が生前に通っていた昌信(チャンシン)教会のイ・ジョンボク牧師が司会を担当し出棺礼拝が開かれた。故人の子息チョン・テサム(61),娘チョン・スンオク(57)氏ら遺族をはじめ ソン・ハクキュ民主党代表、クォン・ヨンギル民主労働党院内代表、ノ・フェチャン、シム・サンジョン前議員、イ・ジェオ特任長官、全国民族民主遺族協議会のオモニなど120人余りが席を共にした。


出棺礼拝の後、運柩行列は告別式が開かれる鍾路区、東崇洞のマロニエ公園に向かった。労働者と市民500人余りが故人の最期の道に付き添った。韓進重工業解雇労働者が若かりし頃の故人がチョン・テイル烈士の遺影を抱いている大型の絵を持ち先に立ち、その後を孫のチョン・ドンミョン、ドンジュ氏が遺影を抱いて続いた。 白い菊花で装飾された喪輿は労働者40人の手に担がれ告別式会場に到着した。白と黒の布に‘オモニ、テイルと会って楽しく踊って下さい’、‘ゆっくり休んで下さい。 労働者のオモニ’などと書かれた81本の輓章が風にはためいた。常任葬儀委員長のペ・ウンシム全国民族民主遺族協議会会長は告別式の開式辞で「子供の遺言を胸に抱き四十年にわたり同じ道を歩いてこられたイ・ソソン オモニ! オモニのその偉大な意を私たちは忘れずに、いつまでも大事に覚えています」と涙声で話した。

←キム・ヨンフン民主労組委員長(前列右から5人目)、イ・ヨンドク韓国労総委員長など市民社会団体代表らと活動家たちがこの日 チョン・テイル烈士の母親 イ・ソソン氏の葬儀行列に従いソウル、東大門交差点を過ぎ、チョン・テイル胸像のある鍾路5街へ向かっている。 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr


故人が生前に何度も頼んでいたとおり、この日 民主労組と韓国労総は‘一つ’になると誓った。民主労総キム・ヨンフン委員長は追悼辞で「オモニの呼び掛けと足取りは暗い社会のたいまつとなって広まり、労働者のオモニとして皆の胸の中に燃え上がっている」として「正規職と非正規職が一緒にやれとのお言葉を胸に深く刻みます」と誓った。韓国労総イ・ヨンドク委員長も「オモニが一つになるよう願われた韓国労総と民主労総の労働者が一緒に集まり、佗びしい菊の花を持っています」として「二つの労総が力を集め差別のない世の中、人が生きる世の中を作ります」と話した。


子息チョン・テサム氏は「オモニの‘不正と妥協しない’、‘困難から逃げない’というこの二つの言葉を胸に刻みます」として「オモニを訪ねてきて下さった皆さんがイ・ソソンのオモニでした。訪ねてきていただいて感謝します」と涙まじりに話し答礼した。


時間が過ぎマロニエ公園前の道路は1500人余りの労働者と市民でぎっしり埋まり、彼らは故人の生前映像を見て目がしらを赤らめた。出勤途中に喪輿行列を見て涙を流したイ・ミソン(44)氏は「チョン・テイル評伝を読んでオモニについて知った。 平凡な一人のお母さんが歴史の一頁を残された」と話した。韓進重工業解雇労働者チョン・サンチェ(57)氏は「子供との約束を守る人生がさぞかし大変だったろうと思う」として「まだ非正規職問題が深刻だが‘間違っている’と言える方が亡くなってしまった」と惜しんだ。


‘労働者のオモニ イ・ソソン 民主社会葬 葬儀委員会’は告別式を終えた後、梨花(イファ)交差点と東大門を行進し鍾路区、鍾路5街、清渓川の‘チョン・テイル橋’で午後1時に路祭を開いた。パク・ウォンスン希望製作所常任理事、イ・ジョンヒ民主労働党代表、ユ・シミン国民参与党代表らも参加した。パク・ウォンスン常任理事は「イ・ソソン女史は韓国民主化運動の大きなオモニの役割をしてこられた」として「雨が降ろうが雪が降ろうが弱者の側に立ち一緒に道を歩かれた」として故人を追慕した。 イ・スンジュン記者 gamja@hani.co.kr

←イ・ソソン氏の下棺式が7日午後、京畿道、南揚州市、牡丹公園にある子息の墓の横で参席者が見守る中で厳かに執り行われている。 南揚州/シン・ソヨン記者 viator@hani.co.kr


原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/495377.html 訳J.S