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極右テロ犯、多文化 極度に嫌悪…小さな島での‘大虐殺’

登録:2011-07-25 00:10

原文入力:2011/07/24 20:47(1661字)
イ・ヒョンソプ記者

オスロ庁舎 爆弾テロ後 30km離れた島へ移動
警察の制服を着て、労働党キャンプに照準…少なくとも85人が死亡
"全知全能な力を持っているかのように闊歩…地獄に変わった"

←ノルウェー最悪惨事. 中間写真はテロ容疑者プレイビク(※イメージをクリックすれば大きく見ることができます)

22日午後3時26分(現地時間)、ノルウェーの首都オスロは‘ドーン’という爆発音に包まれた。 政府庁舎の側道に停まっていた車両に積まれていた肥料で作った私製爆弾が爆発し総理室がつぶれるなど庁舎が大きく破壊され7人が亡くなった。だが、この爆発は凄惨な悲劇の始まりに過ぎなかった。
この日オスロから程近いウトヤ島ではノルウェー現執権労働党の‘青年政治キャンプ’が開かれていた。 数十年続いてきたこのキャンプは政治に関心のある若者数百人が集まり労働党の政治家たちと疎通し選挙戦略を立て、また、一部は短い夏のロマンスを楽しんだりする若い政治家たちの祭りでもあった。

オスロで発生した爆弾テロに皆の目が向けられていたその日の午後、プレイビクはフェリーに乗りウトタ島でおりた。 警察は彼がオスロで爆発を確認した後、30km程離れた島まで車で移動しフェリーに乗ったと推定している。彼は警官の制服を着ていたが、ウトヤでフェリーに乗ってきて彼と会ったある学生は「私たちは首都での爆弾テロのニュースを聞いていたので、警官の制服を着た彼がフェリーに乗る時に人々を守り安心させるために行くものと考え歓呼を送りさえした」と英国<ガーディアン>に話した。 警官の制服を着た彼が島に到着した時、島にいた14~25才の若者600人余りは大部分が爆弾テロ事件の消息を聞くためにキャンプの中心の建物に集まっていた。プレイビクはキャンプ関係者たちに自身が警察官であり人々を安心させるために来たと説明し、人々を集めさせた後 突然自動小銃を撃ち始めた。キャンプ関係者のアドリアヌ プラコンは「自動小銃は自動発射でなく単発に設定されており、彼は乱射せずに一発ずつ撃ち人々を殺した」と話した。 彼が非常に冷静に犯行を犯したという話だ。

人々が驚いて散った後、彼はゆうゆうと島を回り隠れている人々を攻撃し始めた。 長さが400m程度に過ぎない小さな島には逃げる所も隠れる所も多くなかった。一部は彼が警察官と思い助けを求めに隠れていた薮から姿を現し射殺されもした。一部は500m程度離れた陸地まで泳ごうと試みたが、プレイビクは水辺から彼らに向けて銃を乱射した。失踪した4人はそうして射殺され湖に沈んでいると推定される。彼は歩き回りながら銃に撃たれた人々を足でけりながら生きているかを確認したり銃をさらに数発撃ち止めまで加えた。 生存者 マンヌース ステンセトゥは「彼はあたかも自身が全知全能な神であるかのように島内を闊歩し、それを楽しんでいるように見えた」とノルウェーの新聞<VG>に話した。

少なくとも85人が死亡しウトヤ島が阿鼻叫喚の地獄に変わった1時間30分後にノルウェー警察特攻隊は現場に現れた。警察はヘリコプターを素早く得られず船を探していて出動が遅れたと説明している。警察が到着したのを見て犯人は抵抗せずにおとなしく逮捕された。

‘ノーベル平和賞の国’ノルウェーは2次大戦以後、最も多くの死亡者を出した今回の事件に大きな衝撃を受けた。自身が1979年から毎年欠かさずウトヤ島政治キャンプに参加していたストルテンベルク総理は 「私の若い時期に天国だったこの島が一瞬にして地獄に変わった」 として悲嘆を隠せなかった。

イ・ヒョンソプ記者 sublee@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/488776.html 訳J.S