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"遺族まで買収、三星(サムスン)に怒り"

登録:2011-06-24 10:42

原文入力:2011/06/23 22:23(1243字)
財閥・政府と戦い‘半ばの勝利’
キム・ソヨン記者

裁判を率いた労務士 イ・ジョンナン氏と‘パンオルリム’
ファン・サンギ氏に会った後、半導体被害に関心
"すぐにも2審準備…再び始めなければ"

←イ・ジョンナン労務士(36)

三星電子半導体労働者が労災を認められるまでにはイ・ジョンナン労務士(36・写真)の4年にわたる努力があった。
イ労務士が三星電子半導体工場労働者労災事件に初めて接したのは2007年7月だった。この工場で仕事をし23歳の若さで亡くなったファン・ユミ氏の父親ファン・サンギ氏がイ労務士が働いていた民主労総京畿本部事務室に訪ねてきた。ファン氏の話を聞いてすぐに「何かがある」と直感的に感じた。家族の中で白血病にかかった人がいないばかりか、亡くなったファン氏が化学物質を扱う洗浄作業を引き受けていたためだ。イ労務士はその時から半導体工場労災問題に飛び込んだ。

2007年11月、19の労働・政党・市民団体が集まった‘半導体労働者の健康と人権守り、パンオルリム’を作った。半導体関連資料も殆ど無く工程の名前さえ見慣れないものだったが、仕事をすればするほど‘真実’を明らかにしなければならないという思いが強くなった。白血病に罹った労働者たちの陳述を録音し、毎日繰り返し聞いた。あまりにも多く聞いて、頭の中に半導体工場を描けるほどであった。パンオルリム活動家である産業医学専門医 コンユ・ジョンオク氏の助けも大きかった。イ労務士は「我が国には半導体産業安全保健関連書籍が一冊もなかった」とし「パン・オルリムで外国書籍を直接翻訳し勉強した」と話した。

パン・オルリムが作られるとすぐに情報提供が相次いだ。初めての情報提供は昨年3月に23歳で亡くなったパク・チヨン氏の事例だ。高3の時、2004年12月に三星電子に入社し半導体検収業務を引き受けた彼女は2007年‘急性骨髄性白血病’の診断を受け、結局 息をひきとった。イ労務士は「闘病過程を見守りとても辛かった」と話した。咲くこともなく枯れてしまったパク氏の死は人々の心を泣かせた。国会国政監査でも集中的に扱われ、昨年12月には三星半導体問題を扱った演劇も舞台に上げられた。

去る4年間は傷つくことの多い日々だった。特に三星の態度を見れば怒りが込み上げるばかりだったと語る。イ労務士は「三星が被害者家族たちに会い金で買収し、家族が戦いを放棄する時に特に心がひどく痛んだ」と話した。1審裁判が終わった彼女は 「今からまた始まり」と話した。彼女は「2審も準備しなければならず、また忙しくなりそうだ」として立ち上がった。

文 キム・ソヨン記者 dandy@hani.co.kr
写真 キム・ジョンヒョ記者

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/484261.html 訳J.S