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"私のお父さんの命の値段、再開発すればいくらですか"

登録:2011-06-17 12:54

原文入力:2011/06/17 10:41(1571字)
パク・テウ記者、イ・ジョンア記者

[このひと] ‘第2のツリバン’明洞2区域 イ・クンヘ商人対策委員長
焼身した父親‘民主化補償金’集めて飲食店‘ポタラ’

←ソウル、中区、明洞2区域 商人対策委員会委員長 イ・クンヘ(31)

露天商だったお父さんの命の値段だ。亡命チベット人の夫の夢だ。ソウル、中区、明洞2区域商人対策委員会委員長イ・クンヘ(31・写真)氏に明洞聖堂前の古びた建物の2階に位置したチベット・ネパール料理専門店‘ポタラ レストラン’はそのような意味を持つ店だ。しかしこの店は開店してわずか3年で都市環境整備事業により撤去される危機に追い立てられた。
イ氏は2008年にチベット出身のネパール人の夫 テンジン テルレク(34・韓国名 ミンス)と共に店を開いた。国内唯一のチベット料理店としてうわさが立ち常連層が増え席を占めていった。借金が6千万ウォンにもなったが、夫の夢であるチベット独立のためにチベット関連団体に後援し、移住労働者と難民団体にも支援を惜しまなかった。

撤去に追い立てられることになった商人が作った中央劇場近くのみすぼらしいテントで15日に会ったイ氏は、一人で14ヶ月になった孫を世話している実家の母親を思い涙を流した。

イ氏は「母は夫も撤去のために失ったが、娘も撤去民の境遇だとして悲しんでいる。父が亡くなり母と苦労して暮らしたのに…」として喉をつまらせた。弱り目にたたり目で、前日から体調が悪かった夫はこの日、脳髄膜炎という診断を受け入院した。建物の大家と施行社の事前の悪だくみのためにインテリアなど開業時にかかった1億5千万ウォン余りの権利金を一銭も受け取る方法がないという事実を知り、どうにかして補償を受けようと東奔西走するのにあまりに酷使したためだった。
イ氏の亡父であるイ・ジェシク氏は1989年、盧泰愚政権の露店取り締まりに抗議して巨済郡庁前でからだに火をつけ自ら命を絶った。父親が亡くなった後、母は障害のある体をおして公共勤労などをしてかろうじて生計を立てた。イ氏は実業系高校を卒業し2年間学費を稼ぎやっと大学に入ったが最後の学期を残して生計問題のために辞退するほかはなかった。

以後、彼女は父との縁で全国露天商総連合会で仕事をし移住労働者強制追放に反対する座込み場で夫と出会い、2006年に結婚した。2007年に申請して8年ぶりに父親は民主化運動有功者と認められ、その時に受け取った政府補償金に借金を加えて食堂を開いたのだ。‘ポタラ’が父親の命の値段である所以だ。

ところが去る4月26日、建物主の再開発施行社が‘5月31日までに明け渡しをしなければ強制明け渡しを断行する’という通知文を送ってきた。イ氏は「前職金融官僚が持分を持っている会社と大型銀行が参加している数千億ウォン台の事業なのに、借家人のための現実的な対策は施行社も区庁も出さずにいる」として「龍山・ツリバンと同じ身分になっただけに開発施行社らの蛮行に対抗し30人余りの商人たちと力を集めて戦う」と話した。

明洞2区域対策委は去る4月、すでに強制明け渡し執行が終わり追い出された3区域対策委とともに3区域の小さなコーヒーショップ空間を14日夜から占拠した。15日からは龍山とツリバン闘争を共にした人々数十人が訪ねてきて商人たちと共に夜を明かし連帯座り込みを始めた。文パク・テウ記者 ehot@hani.co.kr

写真イ・ジョンア記者 Leej@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/483118.html 訳J.S