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釜山貯蓄銀行 被害 家政婦ハルモニの絶叫

登録:2011-05-11 12:12
https://www.hani.co.kr/arti/economy/finance/477294.html

原文入力:2011-05-10午後10:14:53(1885字)
30年間、牛のように働いて貯めたお金…
笑うことだけできる 7才知能の夫ために…
私が死ねば夫を守る血のようなお金…
職員の言う通りに劣後順位に変えただけなのに…

キム・グァンス記者

釜山貯蓄銀行 非常対策委員会が検察に厳正な捜査を要求し提出した被害者たちの嘆願書の内、パク・ソンジャ(65)氏が書いた嘆願書を10日<ハンギョレ>に送ってきた。小額預金被害者たちの涙ぐましい境遇がよく分かるこの文を載せる。紙面の事情で文の長さは多少減らしたが、表現は切なる感じが加減することなく伝えられるよう手を付けなかった。パク氏は釜山貯蓄銀行職員の勧誘で加入した劣後順位債権1400万ウォンと預金6000万ウォンの内、預金者保護対象にならない1000万ウォンなど2400万ウォンをフイにする境遇だ。パク氏は10日、釜山東区の釜山貯蓄銀行草梁洞本店で200人余りの被害者たちと共に元金保障と釜山貯蓄銀行売却撤回を要求し2日目の座り込みを続けた。 編集者

私は今まで大きなお金に触って見たこともありません。雪が降ろうが雨が降ろうが牛のように働きました。家政婦、洗車場、廃紙回収、しなかった仕事はないほどです。洗車場の仕事をしてみた人々は知っています。冬に洗車場で車を磨けば、手がしびれるということを。入ってくる油汚れ洗剤の毒で、手には衛生ビニール手袋、軍手2重、ゴム手袋をはめても、冬には寒さで手がぱっくりとひび割れます。仕事をして家に戻り横になれば、冬の長い夜、黒い夜、宵の口から手先がビリビリ痺れてきます。

それでも不平を誰に恨み言を言ったこともありません。そのようにして少しづつでも積み立てれば、それで老後には安らかになるだろうと思いながら、今まで30年余り牛のように働いて生きてきました。もう私にはできません。からだがついて行けずに若い時期の30年余りを死ぬほど働いたからだ、もう誰も使ってくれなくて怖くなります。それでも、からだはその時期を覚えていて働かなければかえってからだが痛みます。今でも私は家政婦の仕事に通います。からだが良くなくて以前ほどには働けず一週間に2度3度出て行きます。

私の夫は障害者です。知能が7才です。私はユ氏家の長男に嫁いできて両班家の子孫だと言って夫の事情は知らずに嫁にきました。でも恨んではいません。夫は仕事ができません。夫はいつも部屋でTVを見ています。そして私が帰ってくれば明るく笑って歓迎してくれます。知能が7才の夫は、他の人とはうまくコミュニケーションできません。夫にいつも言うのです。「あなた、私が死んだら私が貯めたお金で良いところに行ってください。私がお金を貯めるから、それで私が先に死ねば良い療養院に行って下さい」生涯、私が働いて貯めたそのお金は7才の知能を持つ夫が私が先に死ねば療養するお金として、私が夫と一緒にいれば一緒に老後生活するお金です。

2月17日明け方、仕事にでかける前、釜山貯蓄銀行の営業停止放送を見て衝撃で体がぶるぶる震えました。最初は釜山貯蓄銀行の預金に加入しました。ところが劣後順位に変更すればもっと良いと話すので変えました。変える時、銀行職員は私に元金損失になり得るとか、元金全額がなくなることもありうるという話はしませんでした。劣後順位が法で言うそういうことだったら交換はしなかったでしょう。私はただ、私が一生かかって貯めたお金を銀行に預けただけです。国が銀行だというので、私が一生かけて貯めた、私の一生の歳月を信じて任せたのです。

想像もできませんでした。銀行が門を閉めることもあるとは、私が貯めたお金が一日で紙切れになるとは想像もできませんでした。私は他に持っているものもなく謙虚に暮らし、これからは残ったものは生涯の荷物を下ろし老後は安らかになることを、それ一つだけを眺めて生きてきました。

私のお金を返してくれるなら、私は真裸になって踊ってもかまいません。私はどんな事でもします。国に私が貯金したお金を、それを奪っていく国がどこにりますか、胸が飛び上がり、恨で涙が出ます。私はそのお金をあきらめられません。私の一生の歳月が込められたそのお金は、私と夫の生命のようなお金です。私のお金を返して下さい。私はそのお金がなければ生きていけません。
パク・ソンジャ

原文: 訳J.S