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時間が止まった土地 チェルノブイリ "人類は核災害から何を学んだか"

登録:2011-04-26 09:41

原文入力:2011-04-25午後11:01:22(2724字)
原子力発電所災害 25年 現場を行く
風が吹くなり "ピピピ!" 放射能危険強度 警告音
観光客が歩く中での復旧作業 生と死が共存していた

ナム・ジョンヨン記者

←この履き物の主人は… 1986年4月26日午前1時24分、チェルノブイリ原子力発電所は爆発音と共に白い煙が広がった。その日以後、原子力発電所から5km離れた人口5万の小都市プリピャティは幽霊都市に変わった。25年が過ぎた19日に訪ねたプリピャティ市内のある幼稚園の教室の床で履き物片方と本がホコリをかぶっている。 プリピャティ(ウクライナ)/ナム・ジョンヨン記者

(上) 消えない‘原発の火種’ "アスファルトやコンクリートの上はかまいません。でも地面は踏んではいけません。土を触ることも絶対にだめです。"

地球上にこういうところが他にあるだろうか。ウクライナの首都キエフから北に130km離れたチェルノブイリ原子力発電所。史上最悪の原発事故がおきた1986年4月26日午前1時24分以来、チェルノブイリはじっとしているだけでも健康が悪くなる恐れがある地球で唯一なところになった。

環境団体エネルギー正義行動と<ハンギョレ>は去る18~19日、チェルノブイリ発電所と‘幽霊都市’で変わったプリピャティ、そして周辺の村一帯を歩き回り放射能調査を行った。事故直後に放射能落塵が集中したところでは人体に悪影響を及ぼす恐れのある数値が確認された。

チェルノブイリ原発4号機が爆発した後、チェルノブイリ周辺都市と村の住民23万人は居住地を去った。発電所から半径30km内は‘チェルノブイリ統制区域’として宣言され、接近が禁止された。25年が過ぎた今はどうだろうか? 一日数百台の車両が入ってくる。チェルノブイリ原発を覆っている石棺の補強工事をする職員と周辺地域を復旧する作業者4000人が仕事をし 250人が暮らしている。

チェルノブイリ統制区域の検問所を通過するやいなや現れるチェルノブイリ市内は騒々しいほどだ。廃虚となったコンクリート建物にペイントを塗りアスファルトを新しく敷いている。放射能計測器で測定した濃度は時間当り0.1~0.15マイクロシーベルト(μSv)内外。ソウルと変わらない。ウクライナ非常事態部傘下のチェルノブイリ情報センターのユーリー タタールチュク対外協力局長が話した。

 "チェルノブイリは復旧作業の真っ最中です。各地域の放射能濃度を測定し建物を補修するなど未来のために管理しています。"

作業要員を除けば歩き回っている人々は全て観光客たちだ。昨年は一日平均150人が来たが、余勢をかって2000人を突破するというのが政府の目標だ。観光客はチェルノブイリ発電所職員が暮らしていた新都市プリピャティ入り口で記念写真を撮った。その時、突然左側から風が吹いてきた。放射能計測器が‘ピピピ!’と鋭い音をたてた。針が目盛りの最高値を越え右端に貼り付いた。時間当り4マイクロシーベルト。1年間こういう風に吹かれたならば35ミリシーベルト(m Sv),すなわち一般人の年間限度値(1m Sv)の35倍に達する放射能に露出することになる。チェルノブイリで放射能は影のように隠れ怪物のように現れた。

風の出処は‘赤い森’だった。事故直後に放射能はこの森を襲い、松は赤く枯れた。赤い森を通り過ぎる時は車両内でも19マイクロシーベルトまで噴き上がった。イ・ホンソク エネルギー正義行動代表は「事故後25年が流れたが、依然として汚染度が高い」として「水に洗われず蓄積されやすい森や土壌に汚染物質が集まっている」と話した。
発電所職員と科学者5万人が暮らしていたプリピャティは廃虚になった。市内を横切るレーニン通りのアスファルトにはひびが入っていた。事故当日、火事場見物の人波が集まった高層ビルディング ポルリシャホテルの客室には雑木が育っていた。アパートとデパート、テーマパークなど社会主義の近代的情熱を象徴した新都市は、人々が去った後 自然に対して屈服した。オオカミとキツネ、ヘラジカが人の去ったチェルノブイリ一帯を歩き回っている。

だが、チェルノブイリ発電所は今も危険に陥っている。ソ連政府は事故直後に軍部隊とヘリコプターを動員しコンクリートで4号機を封印した。6ケ月後に‘石棺’が完成したが、あたふたと工事したために亀裂が生じた。石棺のスキ間から雨水が入れば中性子数値が高まり、非常に低いが核分裂連鎖反応が起きる可能性もある。

去る22日、キエフで開かれた‘チェルノブイリ安全のための国際カンファレンス’でイーゴリ クラモッキン チェルノブイリ発電所長は、発電所内部を知らないと話した。彼は「核燃料250tが建物残骸に埋められたと推定される」として「建物内部で我々が知っているのは60%に過ぎない」と話した。

ウクライナ政府はヨーロッパ復興開発銀行(EBRD)の支援で石棺補強工事を進行中だ。4号機付近で鉄製屋根を組み立てた後、レールを通じて移動し既存石棺を覆う計画だ。フランス、パリのエッフェル塔を作るのに要した量の3倍に該当する鋼鉄が使われ、自由の女神像も入れることができる巨大な構造物だ。

だが、科学者が1983年に核分裂を起こして点けたチェルノブイリの‘原子力の火’からは今でも致命的な放射性物質が出ている。ヴィクトル パルロハ非常事態部長官は去る18日、チェルノブイリ発電所で開かれた記者会見で「新しい石棺の寿命は100年」としつつ「その時になればチェルノブイリは以前の状態に復旧するだろう」と話した。原子力の火を点けたのは人間だが、人間は放射能の放出を防いだり除去したりすることはできない。「100年が過ぎればセシウムとストロンチウムなどの放射性核種の半減期がほとんど過ぎ危険が減る」という希望に寄り添ってそのまま置いておくだけだ。

事故の収拾に出たソ連の原子力科学者ゲオルギ レピン(80)博士は「人間が原子力を統制できないということを悟ったとすれば、日本は決して地震、津波の起きる所に発電所を作ってはいないだろう」とし「チェルノブイリは今も私たちに質問を投げかけている」と話した。チェルノブイリ・キエフ・ミンスク/文・写真ナム・ジョンヨン記者 fandg@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/environment/474816.html 訳J.S