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[ハンギョレが会った人] 韓-EU FTAの誤訳明らかにしたソン・ギホ弁護士

登録:2011-04-24 08:20

原文入力:2011-04-17 午後07:48:20(6631字)

「米・EUの通商秩序、韓国に一方的に移植されてきた」

チョン・ウンジュ記者

←全羅南道高興郡(コフングン)で生まれたソン・ギホ弁護士はソウル大貿易学科を卒業、軍隊除隊後は農村に入って農村運動をしながら直接“農業労働者”としての生活もした。 普通の人よりかなり遅れて司法試験に挑戦し弁護士になった後、農業通商分野を専門的に扱う法律事務所を立ち上げ、代表弁護士として活動している。 キム・ポンギュ記者 bong9@hani.co.kr

15日(金曜日)午前、ソウル市瑞草区(ソチョグ)瑞草洞(ソチョドン)のスリュン法律事務所。彼の事務室の机の上に置かれた韓-ヨーロッパ連合(EU)自由貿易協定(FTA)協定文の冊子は、表紙からぼろぼろになっていた。 分野別に赤いラベルがついていて、あちこちに蛍光ペンのアンダーラインが引かれていた。 余白にぎっしりと書込まれた各種のメモも目についた。 ソン・ギホ(48)弁護士は去る2月、韓-EU自由貿易協定のハングル本に重大な翻訳上の誤りがあるという事実を初めて提起した人だ。 初めは意地を張って認めようとしなかった外交通商部の通商交渉本部も、遅ればせながら1200余ページの協定文を全面的に再検読し、さらに200個以上の誤りを発見せざるを得なかった。 この過程で政府が国会に提出した批准同意案が二回も撤回されるという騒動もあった。 この13日、国会の外交通商統一委員会法案審査小委の公聴会に出席した時、政府代表は彼に公式的に“感謝する”と言った。
ソン弁護士はインタビュー場所である事務室に20分ほど遅れて現れた。 彼は頭を下げて謝り、田舎から上京した80過ぎの母親をバスターミナルで見送って帰る道で渋滞に引っかかってしまったと言った。 お母さんは国のやっていることを批判する息子が心配で、何日か前にソウルに出てこられたという。 週末もなしで昼も夜も仕事ばかりしている息子を数日間見守り、結局ため息をついて帰っていかれたとか。

ネクタイを締めてない白いワイシャツ姿のソン弁護士と向かい合って座るやいなや、おりしも韓-EU FTA批准同意案が法案審査小委で否決されたというニュースが伝えられた。 ハンナラ党少壮派のホン・ジョンウク議員が「物理力を動員した一方的処理に反対する」として棄権を宣言したためだ。 ソン弁護士は「憲法が生きているということを見せてくれた非常に意味のある行動だ」と言い「韓国の通商に新しい一線を引く決定を下したホン議員に市民のひとりとして感謝する」と言って、話を始めた。

インタビュー/パク・スンビン論説委員 sbpark@hani.co.kr

←ソン弁護士が翻訳の誤りを正すのに使った韓-ヨーロッパ連合FTA協定文の冊子. 表紙がぼろぼろになって各種のメモでいっぱいだった。 キム・ポンギュ記者bong9@hani.co.kr

-なぜ批准同意案を強行処理してはいけないか?

「韓-ヨーロッパ連合FTA批准同意案を政府が国会に提出したのがこの6日だ。 国会外交通商統一委に法案審査小委が作られて議員が具体的な内容を審議し始めた。 もしも審議過程であらわれた多くの問題点をそのままにして批准同意案を強行処理するならば、国会自ら条約審査権の価値を裏切ることだ。」

-国会審議手続きにどのような変化が必要なのか?

「FTA協定文は韓国になじみのない外国の通商法、特に英米法体系の産物だ。正確な解説を特別に聞かなければ、基本的に協定文を理解することは困難だ。 外交通商統一委だけでは力不足であって、国会に自由貿易協定特別委員会が常設されなければならない。 国会法を見れば、常設特別委員会を置けるようになっている。」

誤訳は部署間協議を後回しにして交渉だけに取り付いていた結果である。
EUとのFTA、通過すれば共生法・流通法は維持できない
国会に常設特別委設置、条約審査強化が必要

-韓-ヨーロッパ連合自由貿易協定で直接影響を受ける代表的な分野を挙げるならば?

「まず企業型スーパーマーケットが入ってくることによって地域の中小店舗が経営に深刻な脅威を受ける場合、大企業の進入を規制できるようにした流通法、共生法は維持が困難になるだろう。 対外関係では国際法が先に適用されるし、韓-ヨーロッパ連合自由貿易協定が新法(新法優先の原則)であるためだ。 この部分はヨーロッパと再協議をしなければならない。」

国会は昨年11月流通産業発展法(流通法)と大・中小企業共生協力促進法(共生法)改正案を順に可決した。 流通法(8条)は在来市場を“伝統商業保存区域”と定め、その境界から500m内に大規模店舗が入るのを制限する。 また共生法は、中小企業経営安定のために事業調整を申請(32条)することができるように規定している。 彼は話を続けた。

「次は学校給食だ。 協定文を見れば、ヨーロッパでは学校給食でヨーロッパ産だけ使えるようになっているが、韓国は韓国産を優遇できない。 韓-米FTAでは韓国産農産物だけ使うように例外を置いたが、今回はそのようにできなかった。 国民が出した税金で充当する普遍的福祉の給食さえ、私たちの農産物を使えなくなる。 私たちもヨーロッパのように給食で国産の農産物を使うように、交渉し直さなければならない。
そして農業だ。 1995年に世界貿易機構(WTO)に加入する時、韓国の農業は平均関税率50%を認められた。 ところがこれが崩れる。期間を長く、一部例外を置くとしても、大きな流れは農業強国に対して関税50%を撤廃するということだ。」

世界貿易機構(WTO)加入以後、韓国農業の付加価値は20兆ウォン台で成長を止めた。 2009年の一戸当たり農業所得は969万ウォンで、1995年よりかえって低い水準だ。 この16年間、世界貿易機構体制が要求した農業分野関税率縮小は24%に終わったというのにである。

-翻訳の誤りの話をせざるをえない。 去る2月末、翻訳の誤りを初めどのように発見することになったか?

「ソウル地方弁護士会の中小企業支援活動に参加したのが契機になった。 韓-ヨーロッパ連合協定で、どんな要件を備えたら韓国産と認められるのかという問い合わせが多かった。 初め協定文のハングル本を調べてみたが、該当産業界の現実や慣行と違って低い数値だった。その時初めて、英文本もそうなっているだろうか見てみたいという気になった。 それが出発点だった。 以後、政府が不一致問題を認めてヨーロッパ連合側と修正に入ったのは不幸中の幸いだ。 ハングルを基盤とする市民の法律生活を外交官が英語で踏みにじることはできないのだという明白な現実を悟る契機になるならば良いと思う。」

-政府は翻訳の誤りは錯誤やミスであり重要な問題ではない、自由貿易協定の本質とは関係がないと言う。

「それには同意できない。 通商政策の構造的問題が集約的にあらわれたと見る。 政府組織法上、通商交渉本部は交渉だけをする所だ。 産業政策を担当する中央部署が対外的交渉窓口を通商交渉本部に委任する構造だ。 重要な通商政策は産業部署が決定しなければならない。しかし翻訳上の問題、不一致が生じたということは、対外的に口の役割をする側と対内的に重要な通商産業を決定する側との間に実質的な内部コミュニケーションがなかったという意味だ。 産業担当部署と国会、利害関係者である企業家・農民・漁民との十分な協議がなかったのだ。」

-過去の通商交渉を評価するならば?

「1960年に我が国がガット(GATT・関税貿易一般協定)に加入して1980年後半ウルグアイラウンドまではガット体制を最大限利用した。 米国、ヨーロッパ連合では冷戦体制に韓国の役割が必要だったため、韓国がガットを通じて輸出中心に進むのを容認した。 しかし1980年代後半、質的に異なる変化がおきる。 経済開発時代に形成してきた国内規範を、国際規範という名のもとに解体する作業が始まった。 2008年米国の国際金融危機がさく烈する時まで20年間、米国とヨーロッパ連合の規範が韓国に一方的に移植された。 この過程は国際通商法の名でもってなされた。”

-通商法に対する関心が弁護士活動には支障にならないか?

「いつも悩んでいる。知恵が必要な部分だ。 通商法に対する関与が間接的な形態ででも役に立つことができるように絶えず努力している。 また、一人でちょっとやって終わりというものではないので、民主社会のための弁護士会(民弁)でこの5月に国際金融通商委員会という特別委員会をスタートさせることになっている。」

-司法研修院を卒業してなぜ通商法に関心を持ったか?

「極く短い間農村生活をしたことがあったが、本当に大変だった。 司法研修院に行ってからは他の人々のように、光も当たる優雅でグローバルなそんなことをしてみたかった。”

-農業法との縁は?

「極めて平凡なローファームの弁護士をしていたが、ある日全国ニンニク生産者農民が訪ねてきた。 2002年に中国産輸入ニンニクが急増して農家が破産の危機に直面しているのに、政府がセーフガード(緊急輸入制限措置)の被害調査さえ拒否しているということだった。 大韓民国に通商法手続きが導入されて以来初めて、政府がセーフガード被害調査をしないことに対して訴訟を提起した。 政府は被害調査をするかしないかは政府の裁量であって、司法審査の対象ではないと主張した。 しかし裁判所はセーフガード被害調査は司法審査の対象であり、要件がそろえば必ずしなければならないという判決を下した。 通商法の歴史上、被害調査問題に関する最初の判決だった。 その事件が大きな意味を持って私に近づいてきた。従来関与していた農業とそこから抜け出そうとして関心を持った通商法とが、ニンニク事件で出会ったわけだ。 そしてそのように人生の方向をとることにした。」

-優雅な弁護士として生きようと通商法に関心を持ったけれども、“ニンニク事件”を契機に、潜在していたDNAがまた生き返ったということか?

「ほかでもない農業通商法という主題を扱ったから、ここまでやってこれた。 農業通商法こそが、80年代後半から金融危機まで20年間最も集中的に国際規範が韓国に移植された分野だ。 そのことが初めから分かっていたわけではない。 農業通商分野を扱っていたために、政府の言う国際規範が実際にあの田舎の平凡な農民にどのように近付いていくのか、韓国人の暮らしをどのように変えるのかを、目撃することができた。 個人的な話をするなら、初めて出した本『WTO時代の農業通商法』を私が死んだら棺に入れてくれと妻に頼んだ。 この本には私がニンニク事件を契機に定めた人生の方向が込められているからだ。」

-対外開放に反対する‘保護主義者’という批判に対してはどう思うか?

「韓国はすでに一日に約3兆ウォンを輸出入している開放国家だ。 私は一貫して法律市場のさらに徹底した開放を主張した。 開放と保護は反対語ではない。 開放とは、いかなる価値をより重要視して保護するのかの問題だ。 例えば中国上海に行けば20年前から中国企業は現地に進出した韓国と日本、米国のローファームから法律サービスを受けている。 中国が法律市場を開放したためだ。 国際化時代に一般企業と市民が国際的法律サービスを効率的に提供される権利を保護すること、それが中国の法律市場開放だ。 路地商圏と学校給食を脅かす韓-ヨーロッパ連合FTA、韓-米FTAに賛成する人々は、ヨーロッパと米国に自動車をさらに売ることができるという理由を挙げる。 私はそのようにして私たちが保護し追求しようとする価値が何なのか訊ねたい。」

2002年中国産ニンニク事件訴訟のあと人生転換
“農業通商法”を扱った初めての本、棺に入れたいほど
開放により私たちが保護すべき価値を失ってはいけない

-通商法において代案は何か?

「大韓民国社会を構成する基本価値を盛り込んだ韓国の法律が先で、その後に通商があるのでなければならない。 通商が私たちの大法典をつぎはぎにして、互いに矛盾を作ってはいけない。 国際通商規範を主導する余力がない韓国は、多者主義の方向に進まねばならない。二者主義、自由貿易協定はいけない。 これは1994年冬に国会で、外交通商部長官が国会議員たちに向かって世界貿易機構加入の可決を訴えて話したことでもある。 世界貿易機構が真の多者主義開放体制になるべく、ブリックス(ブラジル・ロシア・インド・中国)や南米などと積極的に協力することが韓国経済に必要な通商だ。」

-望ましい通商秩序、主権が保障される通商条約を締結するには、韓国はどのように変らねばならないか?

「憲法は国会に条約審査権を与えている。しかし一般の法律とは違って、条約は国会が条文を変えることはできない。 したがって必然的に、交渉過程に国会が関与しなければならないという憲法的解釈が可能であり、そのために条約締結法や通商手続き法を制定する根拠が生じる。 特に韓-ヨーロッパ連合自由貿易協定では、流通法・共生法および学校給食分野で再交渉が必要だ。」

整理チョン・ウンジュ記者 ejung@hani.co.kr

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■ソン・ギホさんは

ソウル大出身、農業労働者から通商法専門家に

ソウル大貿易学科81年度入学のソン・ギホ弁護士は大学と軍服務を終えるや直ちに農村に入っていった。 「デモをしたら農薬飲んで死ぬ」という父親のきつい言葉にデモに主導的に出ることはできず、ソウルでは人生と生命を感じることができなかったためだ。

名門大出身の息子の農村行に絶望するだろう父親のことを考えると、とても故郷の高興(コフン)に行くことはできなかった。 彼は韓国YMCA全国連盟農村部地域幹事として海南(ヘナム)・羅州(ナジュ)・霊岩(ヨンアム)・淳昌(スンチャン)・昇州(スンジュ)など他郷を回った。 1989年からは霊岩郡(ヨンアムグン)都浦面(トポミョン)ボンホ里に定着して“農業労働者”として生産現場に一歩踏み出したが、結局挫折する。 仕事は多かったが自分の田畑を持つところまではいかなかったし、健康まで害して結局農村を離れることになる。

就職のための勉強をしながら仕事を探したが、農業をしていて年だけ取ってしまった新入社員を受け入れてくれる所はなかった。 そうこうするうちに1年して国民銀行に入った。両親に認めてもらえた初めての職場だった。 だが彼は銀行の仕事にそれほどやりがいを感じることができなかった。 結婚までしている身で司法試験準備に転じたのはそのためだった。

彼はもう農村を見つめることはしたくなかったと言った。 司法研修院修了後ローファームの弁護士として初めて引き受けた事件の依頼人も大企業だった。 訴訟の相手は大企業から解雇された労働者。 一生懸命やって、大企業が勝訴した。 しかし彼を最も切実に呼ぶ人々は結局大地の人々だった。 それでローファームを辞職し、オーストラリアに行って農業と環境法を勉強した。 帰国後、志の合う何人かの弁護士とスリュン法律事務所を立ち上げ、自由に農業通商問題を扱うことができる根拠地を作った。 2008年米国牛肉交渉の時、米国の動物性飼料禁止措置の入った米食品医薬庁(FDA)の報道資料を政府が正反対に翻訳していた事実を明らかにしたのも彼だった。 『おいしい食品法革命』(金英社(キムヨンサ)編) 等、5冊の本を出している。 チョン・ウンジュ記者

原文: https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/473380.html 訳A.K