原文入力:2011-04-03午後09:56:29(2246字)
済州空港 発掘 遺骸69具 身元確認…遺族たち "その時の悪夢まだ…"
ホ・ホジュン記者
←済州4・3事件犠牲者の遺族たちが3日、63周年済州4・3事件犠牲者慰霊祭が開かれた済州市、奉蓋洞の済州4・3平和公園内の行方不明の犠牲者標石に参拝している。
遺骸を見つけた4・3遺族の記憶
人間の‘尊厳性’を語ることは贅沢だった。‘暴力’と‘狂気’だけがあった。少なくとも済州4・3の時はそうだった。60年余りの歳月を越え再会した人々がいる。だが、生き残った者たちの再会ではなく、生生残った者と亡くなった者との再会だった。
1949年9月、生れたばかりの娘を背負い、5才の息子の手を握ったパク・トゥソン(88・済州市、吾羅洞)氏は、済州警察署の広場で収監者の中に混じっていた義弟イ・ヨンジョン(当時23才)氏を見た。義弟はパク氏を見ると中腰になり手をあげ目を合わせると直ぐに座った。そして10月2日、収監者たちを乗せた17台のトラックが飛行場へ向かう姿を泣きながら見守った。
目で最期の挨拶を交わしてより62年ぶりの先月初め、パク氏は義弟の遺骸を見つけた。3日に会った彼は「生きてきた話をすればキリがない」として話を繋いだ。「ひょっとしたらと思い、モチを作り留置場にいる義弟に与えながら、モチの中にちびた鉛筆を入れました。すると義弟が渡した下着のゴムひもに‘兄嫁様。腹がへって死にそうなので弁当を送って下さい’と書かれていました。」
その時のことを鮮明に記憶している彼は1953年に日本へ逃避し、生きて2005年4月に故郷に帰り定着した。夫イ・チャンジョン(88)氏は彼より早く49年に日本へ逃避した。
夫のイ氏は48年12月、家にいると「逃げようとした」という理由で警察に連行された。「足を縛り豚のようにぶら下げ、背骨を打ち死にそうになると下ろしました。」そのようにして5日間を過ごし出てきて生き残るために日本へ‘密航’した。イ氏は脊椎の骨が飛び出し、今も拷問の後遺症に苦しめられている。
←パク・トゥソン氏連行された義弟の後ろ姿が最後
それからは空港方面に行くバスにも乗れない
パク氏は日本に住みながら何度も故郷に立ち寄ったが、夫は警察に対する恐れから来なかった。「空港方面へ行くバスではなくて戻ってくるバスに乗ります。空港バスに乗ればどうしてもそちら側を見てしまうから…。」パク氏の話だ。
畑を耕していて連行され殴打・拷問…
妹の遺骸確認 夢か現か
48年4月6日、済州市、涯月邑、柳水岩で農作業をしていたカン・チョヘン(89)氏は近隣の古城里住民たちと共に警察に連行された。自身が連行された理由さえ分からなかったカン氏は、支署襲撃の理由を問い質す警察に「知らない」とだけ繰り返した。その度に戻ってくるのは殴打と拷問だった。「毎日、警棒で殴られ、角張った角材の上にひざをついて座らせられ、その上から踏めば苦痛は如何ほどでしょう? 電気拷問もします。電気コードを指に挟んだことまでは覚えていますが、その後は(気絶して)分かりません。検事局に引き渡された後もご飯をもらおうと留置場の穴から手を差し出せば一度に10回ずつ一日に30回も警棒で殴ります。」済州で6ヶ月間 拷問を受け、光州監獄に移され3ヶ月間さらに苦労して出てきて48年12月25日に無罪で釈放された。
弟(当時20才)は軍警の村疎開作戦で家に火がつくと、すぐに山に逃げたが捕って済州飛行場で死に、妹(当時18才)はその兄さんに靴下を編んであげたという理由で警察に捕えられ種々の拷問の末に犠牲になった。カン氏は「今でもその時にあったことが夢に現れる」として「62年ぶりに妹の遺体が確認されたが、夢か現か考えて眠れなかった」と話した。
←ヤン・サンジュン氏11才の時に4・3を体験したヤン・サンジュン(73・済州市老衡洞)氏は2番目の兄夫婦と姪、下の兄、伯父、従兄弟など6人を失った。彼は「人の命を蠅の命ほどにも感じなかった時期」としながら、やるかたない怒りを表わした。
2番目の兄と下の兄は山へ逃げ「帰順すれば助けてやる」という話を聞き降りてきたが、2番目の兄は済州飛行場収容所で、下の兄は幼いという理由で仁川刑務所へ移送されそちらで死んだ。
2番目の兄と義父、飛行場で犠牲
人の命が蠅ほどにも思われなかった
ヤン氏は「2番目の兄の遺体を見つけられるとは期待もしていなかった」として目がしらを赤らめた。彼の義父も飛行場で犠牲になった。
済州道は済州4・3研究所に委任し2007年から昨年まで4・3当時、軍法会議で死刑宣告を受けた249人と1950年8月に予備検束された住民たちが集団虐殺された済州空港で遺体発掘作業を始め396具を発掘し、遺伝子分析等を通じて69具の身元を確認した。済州4・3遺族会は394具を先月26日、葬儀手順を踏み済州4・3平和公園内の奉安館に安置し、2具は遺族たちに渡した。
しかし今年は政府が予算に反映させず遺体発掘作業は中断された。
済州/文・写真 ホ・ホジュン記者 hojoon@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/471205.html 訳J.S