原文入力:2011-03-28午後11:52:57(1510字)
保安司令部、民間人不法連行 20日以上 電気・水拷問
安全企画部、捜査官名義貸し…検察・裁判所は‘脇役’
キム・ナムイル記者
再審無罪確定‘82年在日スパイ操作事件’再構成
■保安司 "カーペットがなぜ真っ赤だと思う? お前のような奴を殴り倒し流れた血で染まった。全部血痕だ。"
1982年に日本を出発し金海空港に到着したばかりのチェ・ヤンジュン(72)氏は直ぐに保安隊捜査官らに令状なしで連行された後‘三一工事’という看板のついた建物に連行された。民間人に対する捜査権がない保安隊がチェ氏を連行して行った釜山501保安部隊の地下調査室のカーペットは赤かった。チェ氏は金を稼ぎに行った日本で不法滞留者身分になるや現地日本人の助けで偽造パスポートを作り使った。その事実がばれ韓国へ強制送還されるやいなや起きたことだった。彼は20日以上にわたり角材で殴られ、性器をはじめ全身に電気コードを巻かれ電気焼きをされた。鉄棒に逆に吊るされ水拷問も受けた。綿ふとんを縫う時に使う大針が爪の下に食い込むと、彼の口は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に抱き込まれスパイ活動を行い、北韓に行き金日成に会ったと話していた。
■安全企画部の書類上
チェ氏の被疑者訊問調書、捜査報告を作成した当時 国家安全企画部捜査官イ・某氏は2008年、真実・和解のための過去史整理委員会の調査で「当時、軍部が政権を取っていたので チェ氏事件を保安司に奪われてしまった。私はチェ氏を見たこともなく調書に署名もしなかった」と話した。当時、保安隊捜査官らは「民間人に対する捜査権がないので保安司で捜査をすべてした後に安全企画部で決めてくれた捜査官の名前を書き、後からまとめて捺印を受け検察に送致するのが慣行だった」と話した。
■検察
チェ氏は1ヶ月余後にスパイ嫌疑を付され検察へ送致された。検事室までついてきた保安司捜査官が暫し席を外した間にチェ氏は検事に「拷問にあい虚偽の自白をした」と打ち明けた。チェ氏は当時の検事の名前と彼が言った話をはっきりと記憶している。「人がやったと言っておきながら、なぜやらなかったと言うのか。また拷問を受けないと真実を言えないのか。」イ検事は後日になってソウル地検長と釜山高等検察庁長を務めたイム・フィユン氏だと言った。彼は1980年代の代表的スパイ捏造事件であるソン氏一家スパイ団事件の担当検事でもあった。
■裁判所
裁判所も不法拘禁・拷問・疑惑捏造を軽く見てそのままやり過ごした。粗末な捜査記録で包装されたスパイ嫌疑に1・2審は懲役15年、資格停止15年を宣告した。最高裁もそれをそのまま確定し、9年間 服役したチェ氏は91年に仮釈放で解放された。2009年過去史委は調査結果を根拠に国家に再審を勧告した。最高裁3部(主審 パク・シファン最高裁判事)はチェ氏のスパイ事件再審で無罪を宣告した原審を確定したと28日明らかにした。なんと28年ぶりだ。最高裁は異例的に国家がチェ氏に犯した暴力をA4 5枚にかけて詳しく‘判例’として残した。
同部はまた、スパイの濡れ衣を着せられ無念な獄中生活をしたパク・チュンファン(65),ユ・ミョンノク(65),イム・ボンテク(64)氏の再審事件でも無罪を宣告した原審を確定した。 キム・ナムイル記者 namfic@hani.co.kr
原文: 訳J.S