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[ 本と考え ]“消せない火”原子力発電所神話は崩れた

登録:2011-03-25 00:05

原文入力:2011-03-18 午後09:05:13 (4960字)

日本福島原子力発電所事態で見るように
100%安全な処理法は存在しない
天文学的費用で経済性も低い
消費者中心の社会的公論化を提案

ハン・スンドン記者

 「原子力発電所から出る赤い火を消す技術はまだありません。そして高準位廃棄物をまともに処理する方法は依然として世界中どこにもありません。今後もできません。」

日本の反核市民科学者高木仁三郎が1992年東京での特別講演で予言したことが、20年後に現実となった。 大地震の後に襲った福島原発悲劇の核が、まさにその消したくても思うように消すことのできない火だ。

←『気候変化の誘惑、原子力』
    キム・スジン、オ・スギル、イ・ユジン 外 著 / トヨセ 出版 / 1万5千ウォン

「結局は寿命の非常に長い放射能が残ることになります。・・・100万年が過ぎてもまだ10人の人間を殺すことができるものが残っているとしたら、どんなにおぞましいことでしょうか。そのように永らく消えない火、消すことのできない火、毒性が残っているという話です。・・・人間が作った火ならば消したいとき消すことが出来なければならないですよね。 原子力の火は、つけたい時につけることはできるけれども消したいときに消すことができないという点で、零点の技術です。”

原子力利用問題の社会的公論化を願う7人の若い生態社会研究者が長時間の討論を経て世に問うた『気候変化の誘惑、原子力』は、高木の警告が日本だけでなく韓国にもそのまま当てはまる可能性があることを、一つ一つじっくりと、そして明確に見せてくれる。 中東急変事態で一層急上昇した石油価格の高どまりと温室効果ガス削減の圧迫の中で登場した“原子力ルネサンス”に対する期待のためか、それとも想像を絶する日本の現実に圧倒されたためか、人々は福島原発事態を見ながらも原子力ドライブ政策を一つの軸とした、日本とさして変わらない韓国政府の“低炭素緑色成長”国家発展戦略が呼び込みかねない危険性には依然として鈍感なようだ。人々は日本と韓国の原発の発電方式と世代の違い、東京電力および日本当局の危なげな対応措置などを論じては、韓国は違うだろうと信じたいかも知れないが、高木の視線で見れば別に異なるところはない。 スリーマイルがそうだったしチェルノブイリもそうだったが、予想外の原発事態の際、適時に火を消すことのできない日本の限界は、韓国だからといって違いはしない。

『気候変化の誘惑、原子力』は問う。原子力は安全か?  安全だと言っていた日本の福島原発の愕然とさせられるような実情を通して、そうではないことが一層明白になったが、それ以前から原発近隣地域の乳児死亡率、先天性奇形児、癌発生率などの統計数値は、原子力が決して安全でないということをすでに示していた。 そして原発保有国では大小の事故が絶えなかったし、韓国も古里(コリ)1号機が稼動を始めて以来2009年まで原発稼動を中止しなければならないほどの事故が423件にもなる。2007年だけで12回の稼動中止による損失額は490億ウォンに達した。 にもかかわらず2007年6月で正常寿命30年を越した古里1号機は、“寿命延長”の判定を受け継続稼動中だ。福島の事故の原発がほかならぬそのような古くなった原発である。

本書によれば、寿命を終えた原発が“運転継続”の判定を受け、長くは数十年をさらに持ちこたえているのは、経済性があることの証拠ではなく、その反対だ。 電力の原発依存率が80%に近いフランスを除き、1980年代後半以降、欧米諸国が新しい原発の建設を中断したまま古い原発の寿命延長を繰り返しているのは、主にその地域の原発が私企業であるためであり収支が合わないからだ。 これは本書のまた別の問いかけ、すなわち原子力は経済的か? に対する答でもある。 寿命延長以外にはこれといった名案もない。 原発は稼動を止めることで事が終わるのではない。 撤去するかそのまま密閉または固めて永久保存しなければならないのだが、そのために途方もない費用がかかる。 そのまま放っておけば致命的な放射性物質が流れ出るので、継続的にお金をかけて管理し続けなければならないのだ。

解体する場合、しばし近くに存在するだけでも命を失うことになる高準位放射性廃棄物をはじめとする数万トンの放射線汚染物質を、どこにどのように処分するのか。 毒性が長くは数百万年以上持続する放射性廃棄物を安全に処理する技術を持った国はまだどこにもない。 私企業がこういう事後処理をしていてはつぶれる。 だからいっそのこと、稼動し続けながら様子を見る方がましだ。高木が言った消すことのできない火とは、こういう脈絡まで考慮して理解しなければならない。 そんな原発が安全だろうか?  また、金儲けになるなら寿命延長でなく新しい原発を建設するだろう。 それが私企業の本性だ。 原発の経済性は発電の段階だけでなくウラニウム採掘と精錬、敷地と放射性廃棄物処理場建設の段階までよくよく検討し、管理費用、天文学的な原料再処理費用なども勘案しなければならない。 その過程で二酸化炭素も多量放出される。
にもかかわらず、2022年までに12基の原発をさらに建設し2030年頃には原発依存率を59%にまで引き上げる(現在35.5%)という韓国(20機稼動で原発設備世界6位)や、55基を稼動しながら11基を建設中あるいは計画中という日本、59基稼動に1基を追加建設中という世界2位の原子力大国フランス、今後20年間に45基以上の原発をさらに建設するというロシア、11基稼動に26基を追加建設する中国、17基稼動に10基を追加建設するインド、104基稼動に11基の追加建設を計画中の世界最大の原子力大国アメリカなどでは、概して国家が直接介入したり巨大独占企業がその事業を主導している。 そこには経済外的要素が強く介入する。 二酸化炭素削減義務をたやすく達成しようとする政治的計算、標準化された既成体制と癒着しようとする権力と官僚と企業など主流利益集団の経路依存性が含まれている。 だが、それでも限界がある。 経済協力開発機構(OECD)の資料によれば、全世界のウラニウム確認埋蔵量は、今後43~79年ほど(2007年基準)使える量しかない。

この程度を探ってみるだけでも、また別の二つの問い、原子力は清浄エネルギーなのか、原子力は持続可能なのか、に対する答も自明になろう。 したがって、原子力は安全できれいで経済的で持続可能である、などの言説は“神話”に過ぎず、今韓国社会を風靡している原子力ルネサンスは実は非常に危険な“原子力神話のルネサンス”に過ぎないと、この本は主張する。

1955年の韓米原子力協定締結以来、持続してきた供給中心の原子力発電所政策とそれを後押ししてきた安価な深夜電力、それと関連した非効率的な揚水発電制度、それがエネルギー消費を増やしてまた供給中心エネルギー政策を深化させるという悪循環構造。それは石油や原子力への依存度を高め続け、エネルギー浪費を深化させ、その結果、節約と効率、新しい再生エネルギー産業育成などの代案探しの努力は冷遇された。このような停滞した構造の中で、企業と官僚など供給者側は利益を得、費用は結局国民が賄う。こうした供給者談合構造は、今回の東京電力の対応にも一部明らかになったように、事なかれ主義と無気力、安全不感症の源泉でもある。

菅直人総理が言ったように、一度の事故で東日本全体を壊滅させることもできる“消せない火”。 そのような危険な火を随所につけて生きるには、人間の技術は不十分であり韓半島はあまりにも狭くはないか。

本書はしかし、だからといって直ちに原子力を放棄しようと主張するものではない。それが果たして必要なのか、必要ならばどの程度、どんな方式でするのか、代案はないのかなどを、少数の供給者のあいだの談合でなく消費者中心の社会的公論化作業を通じて探ってみようと提案している。

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「ジェームズ・ラブロックが間違っている」

「原子力代案論」説得力 落ちる
「工学主義・ガイア理論に傾倒」

地球が温暖化(warming)程度でなく加熱(heating)状態の切急した熱湯化の危機に直面している今、地球を救う道は原子力だけだ。 こういう主張をした人物は意外にも、地球を生きている宇宙生命体と見る“ガイア”理論を提示した英国科学者であり環境運動家でもあるジェームズ・ラブロックだ。もともと原子力利用に好意的だったラブロックは、2007年に出した『ガイアの復讐』(世宗出版社、2008)でそのような主張を積極的に展開した。環境運動分野で知名度の高いラブロックのこうした主張はヨーロッパで相当な論議を呼び起こしたようであり、国内でも同じような反響が起こった。 『気候変化の誘惑、原子力』の筆者たちはラブロックの主張が引き起こす波紋を意識したのか、本書の第2章をラブロック批判に割いている。

ラブロックが考える完壁な代案とは核融合エネルギーだ。 星のエネルギーでもある核融合エネルギーは、放射能と廃棄物処理の心配をしなくても良い、ほとんど無限で無害なエネルギーだ。 しかしこれを実用化するには少なくとも10~20年はかかる。 多くの人々は核融合の実用化にその程度しか時間がかからないというラブロックの考えを非現実的楽観主義と見ているが、彼にはその程度の時間さえ待つ余裕がない。 それだけ地球の熱湯化が危機水準にあるというわけだ。

それですでに実用化されている核分裂エネルギー、すなわち現存の原子力発電に頼ろうと主張する。 原子力が最も安全で廃棄物処理も他の化石燃料に比べてたやすいと見る。 石炭に比べて40倍も安全で水力よりも安全だという。 第3世界の死亡者の大部分は原子力ではなく過労、栄養不足、伝染病で死んでいっているのだから、放射能による癌発生と核戦争に対する西欧人の恐怖感は虚像だとラブロックは主張する。 米国が水爆実験をしたビキニ島や旧ソ連時代のチェルノブイリ原発事故の被害は誇張されているのであり、特に原子力はガイアに何の被害も与えないエネルギーだと語る。

これに対しチン・サンヒョン慶北(キョンブク)大教授は、原発を保有する31ヶ国の多くは持てる国であるのに比して石炭と水力を主に使う国々は貧困国が多いので、安全度や処理費用、温暖化作用などを平面比較するのは説得力がないと見る。 比較しようとするなら31ヶ国に限定して両者を比較しなければならないということだ。 また、エネルギー源別効果で見るならば、例えば同一の電力生産を前提に100人が仕事をしていて5人が死亡する石炭発電所と10人が仕事をしていて4人が死亡する原発のうち、より危険なのは原子力の方でないかとも指摘した。 何よりも、原子力が安全でもきれいでも経済的でも持続可能でもないと見る『気候変化の誘惑、原子力』の主張に同意するならば、ラブロックの原子力代案論に懐疑的な視線を送るほかない。

そして技術的楽観論に土台を置いたラブロックの過度の科学主義、工学主義には社会的観点が欠如しており、人間(人間を地球という生命体を破壊する癌細胞と見たりもする)よりガイアを中心に置く彼の視線は、科学と宗教の間を曖昧に行き来する綱渡りであるという批判もある。


ハン・スンドン先任記者 sdhan@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/468818.html 訳A.K