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ゲイ少年の残酷な思春期

登録:2011-02-27 13:59

[マガジンesc] キムジョ・グァンスの「マイ ゲイ ライフ」
原文入力:2011-02-24 午前11:27:46(1425字)

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少し前から、メールをやりとりするゲイ少年がいる。年齢は17、住む所は慶北の小都市。この少年が私に初めて送ったメールの件名は「監督様 死にたいです」であった。びっくりして開いたメールには、17の花のような年齢の少年が体験するにはとても絶望的な話が詳細に書かれていた。

少年は中学3年の時から、自分が友人らとは違った性的嗜好を持っていることを知ることになったという。同じクラスの友達を片思いして、苦しさが大きくなっていった。周辺には悩みを打ち明けられる人がおらず、インターネットで検索して同性愛者が集まるサイトを知ることになり、そこで人々と対話もすることになり、時々は大邱に行き、人々に会うこともした。だが不幸にも、彼が会った同性愛者たちは、彼を友人として接するのではなく、性的対象としてのみ見た。少年の悩みは深くなり、結局は、学校の先生に助けを乞うた。ところで問題はここからだ。少年の悩みを聞いた先生は、その事実を少年の両親に知らせた。

何も知らぬまま家に帰った少年は、両親の取り調べにあっただけでは足りず、精神病院へ連れて行かれた。精神科の医師たちは、同性愛は病気ではないと言った。病院で治療できないことを知った両親は、宗教に頼った。休みになるや、少年を祈梼院に引っ張っていった。邪鬼を追い払わなければならないと監禁をして、はなはだしきは暴行に近い按手祈祷というのを行ったりした。

休みが終わり学校に戻ったが、不幸は終わりではなかった。すでに学校には少年がゲイといううわさがぱっと広まっており、同じクラスのホモフォビア指向を持った子供たちが、苦しめ始めた。耐えられなくなった少年は、両親に転校を願ったが、返ってきたのは耐えろとの言葉だけだった。少年は、もうこれ以上、助けを乞う所も人もないと言った。それで死にたいと言った。17の少年がそのように言った。

少年はただ思春期を過ごしているだけだ。誰かを片思いして、そのためにときめいたり、苦しかったりする、そんなことが思春期ならば、少年もそれを体験しているだけだ。その対象が異性でないという理由で、このような苛酷な体験をせねばならないのかと、とても腹が立ち、苦しい。だが、私がしてあげられるのは多くない。それは、自分のあやまちでない。病気でない。決して命を軽く扱ってはならない。そういう話を落ち着いてすることだけだ。幸いに少年はメールをまた送ってきて、また返事をしたし、またまた返事が来た。少年の環境が変わったのではないが、少年の心は少しずつ変わっているようだと感じる。最近送ってきたメールでは、自分の夢を話すこともした。先生になりたかったが、可能なのか聞いてきた。少年は、私が大学で学生たちを教えているというのが不思議だと思った。同性愛の教師もかなり多く、ネットには、同性愛者教師の会もあると教えてあげた。あきらめずに必ず良い教師になることを願うと伝えた。そして、もし、急に助けが必要になったら電話しろと番号も残した。まだ少年から返事がない。電話も来なかった。

キムジョ・グァンス映画監督
原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/465072.html 訳M.S