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次男ガマールが辞任を阻み…軍 "辞任しなければ追放" 最後通告

登録:2011-02-14 12:15
https://www.hani.co.kr/arti/international/arabafrica/463197.html

原文入力:2011-02-13午後07:38:45(1270字)
ムバラク辞退の舞台裏

イ・ポニョン記者

ホスニ・ムバラク前エジプト大統領が休養地に避身した状態で、側近を通じての49秒辞任声明で30年執権を終える醜態を見せた背景には、最後まで権力に執着した彼と息子ガマールの貪欲があったことが明らかになった。当日、軍部が‘退け’という最後通告をしたという報道も出てきた。
<AP>通信は12日、政府と与党、軍内外の人々から聞いたムバラク退出の舞台裏を伝えながら、10日夜11時(現地時間)から翌日午後6時までの大混乱の原因を提供したのは彼の次男ガマールだったと報道した。

ムバラクが10日夜、対国民演説で大統領の席を守ると公言する前に政府と軍はすでに辞任の他には解決法がないという判断を下したという。だが、ムバラクはカイロ都心の状況を正確に伝えられていなかった。最側近らと息子ガマールが作った‘人のカーテン’の中にいたということだ。彼らは状況を十分に解決できるとし辞任を引き止めたという。当初の原稿内容がどうだったのかは明らかでないが、ガマールが何度も原稿を修正したあげく、夜遅くに対国民演説が可能になったとある政府関係者は伝えた。演説を控え米国がエジプト軍部から把握したシナリオは、辞任または大統領権限の全面委譲だったという。

しかし、オマル スレイマン副大統領への権限委譲を言いながらも席に対する執着を露骨に表わし、状況はより一層悪化した。この日昼、与党の民族民主党のホサム パドゥラウィ事務総長は、ムバラクに会った後「大統領が国民の要求を受け入れるだろう」と話した状態だった。エジプト軍と米国中央情報局(CIA)でも辞退を既定事実化する発言が出てきたことを見れば、当初 ムバラクは対国民演説で明らかにしたこととは強度の違う内容を準備したものとみられる。

対国民演説が直ちに強い反発に直面し、軍部は状況をこれ以上は放置できないという判断をしたという。<ワシントン ポスト>は軍部が演説後、数時間後に「自主辞退しなければ追放されるだろう」という最後通告をムバラクに送ったと報道した。<AP>通信はスレイマンを副大統領に任命し、野党圏との対話に出るよう薦めたのも軍部であり、ムバラクが辞任を拒否し軍部の忍耐心が限界に至ったと報道した。

急迫した状況変化の中で、ムバラクが正確にはいつ頃決心をしたかは不確かだ。 だが、与党事務総長がムバラクが辞任しないのに責任を負って退いたという報道が出てきて30分後に辞任が発表された。彼が12日午後、大統領宮へデモ隊が集まる中をヘリコプターで紅海の休養地に移動する時でも席を守ることができるという希望を抱いていたという推定が可能な内容だ。

イ・ポニョン記者 ebon@hani.co.kr

原文: 訳J.S