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幸福を焼く‘3ヶ 1000ウォン パン’

登録:2011-01-26 11:46

原文入力:2011-01-26午前08:45:42(1874字)
ホームレスには無料・2店中 1店の収益は助け合いに

←24日夜10時頃、ソウル、城北区、吉音洞の‘グランプリ パン屋’でオ・ギファン(67)氏がクリームを作るために真ちゅう製の容器に卵を割り入れ、これを泡立てている。

グランプリ パン屋 オ・ギファン氏‘薄利多売’で成功
弟子たちに商号無料提供…60ヶ所で開業
"材料価格上がり 3ヶ1000ウォン維持 難しく心配"

オ・ギファン(67)氏が白いエプロンを着て袖をまくり前腕を出した。非常に濃く練った小麦粉を入れた大人のふくらはぎほどの円錐型ビニール容器‘シボリ’を上に掲げたオ氏が鉄板上に点を打つように170gの練り粉を正確に絞り出した。60ヶのパン生地が載せられた2つの鉄板がオーブンに入り、しばらくすると香ばしい香りが漂い始め可愛い鈴形のパンが完成した。

オ氏はソウル、城北区、吉音洞と道峰区、双門洞の2ヶ所で‘グランプリ パン屋’を営む。彼のパン屋の前には‘3ヶ1000ウォン’という大きな懸垂幕が懸かっている。町内パン屋が一つ二つと店をたたんでいるがオ氏のパン屋だけは休む間もなく人々が出入りしている。

24日夕、吉音洞のグランプリ パン屋で会ったオ氏は2003年に精魂を込めて育み営んできたパン屋の門を閉めた経験があると語った。「店から150m離れたところに大企業の有名なパン屋ができて、その後 商売がどうにもなりませんでした。2年も持ちこたえられずに店をたたみました。」 23才の時からパンを作り始め経歴が30年を軽く越えるベテラン パン職人も大型フランチャイズ パン屋の前には歯が立たなかった。「パン屋を整理した後、どうやって暮らしていこうか悩みながら通りを歩きまわりました。道で出会ったある野菜商人が‘ホウレンソウ 3束1000ウォン~’と叫ぶ姿が目に入り、尋ねると一日の売り上げが180万ウォンだと言いました。安くしてたくさん売れば良いと思い直しましたよ。」

その方法でオ氏は城北区、鍾岩駅前に小さな‘グランプリ パン屋’を出し、パン3ヶ1000ウォンで売り始めた。反応は爆発的だった。彼の下で仕事を習ったパン職人たちも一つ二つと同じような看板を掲げて独立し始めた。資金が足りない弟子たちには製パン機械と事業資金も貸した。‘グランプリ パン屋’の商号も誰もが無料で使えるようにした。オ氏は「ソウルだけで60店を越える‘グランプリ パン屋’がある」として「建国大前や三陽洞などでは私たちのパン屋のそばに小規模で開業した大型フランチャイズ パン屋が門を閉めたこともある」と話した。

値段が安いパンだからと言って質が悪いわけではないとオ氏は話す。彼は「若干安いバターを使うことを除けば、残りの材料は全て全く同じだ」として「むしろ機械で作るパンより一つ一つ手で作った私たちのパンの方がはるかに良い」と自負心を見せた。内部装飾や包装を派手にしないことも価格を低くする助けになった。この日、パン屋でかごいっぱいにパンを入れたイ・チャンヒョン(59)氏は「パンの味も良く、価格も安くしょっちゅう来る」として「庶民のためにこの間 価格を上げなかったので、価格が少しくらい上がってもここでパンを買う」と話した。

オ氏は双門洞パン屋の収益金全額を苦しい隣人を助けることに使う。江北区、牛耳洞の92㎡(28坪)ビラに妻と2人で暮らすオ氏は隣人を助けるながら自家用車も持っていない。吉音洞のパン屋で一緒に仕事をするキム・ソンヨン(49)室長は「ホームレスが来れば社長が度々パンをあげるので、パンをもらいに来る人が多い」として「パン一つくれという人がいれば断ったことがない」と伝えた。

だが、オ氏は近い将来‘3ヶ1000ウォン’という垂れ幕を外さなければならないかもしれない。小麦粉、砂糖、牛乳の価格が昨年末から大きく上がったという。「ソル(旧正月)が過ぎて小豆のあん価格がさらに上がれば‘2ヶ1000ウォン’に垂れ幕を変えるべきか、商売をたたむか悩ましいです。パン3つ食べれば腹がいっぱいになるので‘3ヶ1000ウォン’にしたのだが…。2ヶ食べて腹がいっぱいになりますか?」文・写真 キム・ジフン記者 watchdog@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/460600.html 訳J.S