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‘わからず屋 人権委’に消えうせた障害者の夢

登録:2011-01-05 07:54

原文入力:2011-01-04午後08:17:58(1695字)
‘脳病変 1級’活動家 ウ・ドンミン氏
"障害者福祉拡大・ヒョン・ビョンチョル退陣"
先月 人権委事務室で座り込み
電源遮断された夜、寒さに震え
高熱に急性肺炎…結局 亡くなる

ソン・ジュンヒョン記者、キム・ミョンジン記者

←故ウ・ドンミン障害者人権活動家とともに活動したキム・ギジョン城北障害者自立生活センター事務局長(遺影を持った人)が4日昼、ソウル、乙支路の国家人権委員会1階ロビーでエレベータが作動しないため遺影を持ったまま泣いている。ウ氏は昨年12月、ヒョン・ビョンチョル国家人権委員会委員長の辞退を要求し人権委で座り込みを行い、肺炎にかかり亡くなった。 キム・ミョンジン記者 littleprince@hani.co.kr

"映画<シューシャンク脱出>の主人公 アンディが監獄を出たがったように、私も心のなかの監獄から出て行きたい夢がある。" 脳病変1級重症障害者活動家ウ・ドンミン(43)氏が昨年6月、自身が身を置いていたソウル、城北障害者自立生活センター情報誌に書いた手記の一部だ。脳病変障害で彼は6才の時まで立ち上がる力がなく横になって過ごした。成人になっても依然として不自由なからだとどもりがちな語り口が彼には‘監獄’だった。その監獄のせいで正規教育を一度もまともに受けられなかったが、彼は世の中の壁とぶつかりながらいつも自立を夢見ていた。"結婚もして、海外旅行にも行って…、他の人がすることを同じようにしたい" ということが彼の素朴な夢だった。ウ氏が障害者福祉と人権伸張のために戦う場に走って行った理由もこういう切実な願いのためだった。

新年早々の2日午前10時、ウ氏はその夢をかなえられないままソウル 上渓白病院で急性肺炎のため亡くなった。先月3日から国家人権委員会で障害者福祉拡大とヒョン・ビョンチョル人権委員長の退陣を要求し座り込みをして罹ったインフルエンザが直接的な原因だった。

当時、ソウル、武橋洞の人権委建物11階でウ氏とともに座り込みをした城北障害者自立生活センター イ・ウォンギョ(45)所長は 「深夜12時以後には建物全体の電源が遮断され、30人余りの障害者活動家たちは寒さの中で夜を明かした」と伝えた。座り込み開始2日後から苦痛を訴える人々が生じた。占拠4日目の6日に全国障害者差別撤廃連帯と城東障害者自立生活センター所属活動家2人が高熱で倒れ、ウ氏も顔が赤く熱くなり救急車に乗せられ運ばれた。

だが、ウ氏は2日後の12月8日、ハンナラ党の2011年予算案と障害者活動支援法案拙速通過を糾弾する集会にまた現れた。同僚たちはこのようにいつも座り込み現場を守る彼について‘雨が降ろうが雪が降ろうが出勤するドンミン氏’と呼んだ。だが、それが最後だった。その日以後、ウ氏は座込み場に出てくることができなかった。風邪が急性肺炎になり、集中治療室入院5日後に目を閉ざしてしまった。

4日、ウ氏が最後の座り込みをした国家人権委前で彼を送る路祭が開かれた。彼の同僚たちが人権委建物前に彼の写真20枚余りが付いた大型横断幕を掲げた。電動車椅子に乗った活動家30人余りを含め 80~90人の追慕人波が激しい風に吹かれながら路祭を守った。

 "タンポポの花のように生きなければならない。私が行かなければならないあの闘いの道に…." 彼の同僚たちは不自由な体で歌を歌い涙をのんだ。路祭が終る頃、ウ氏の遺影を持った同僚たちは彼の最後の戦場だった人権委11階へ向かった。しかし人権委がエレベータ運行を停め、紆余曲折の末に車椅子に乗った同僚たちを残したまま残りの同僚たちだけで階段を歩いて上がった。ウ氏が亡くなる最後の道まで障害者には不便だった。

ソン・ジュンヒョン先任記者 dust@hani.co.kr, オム・ジウォン記者

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/rights/457200.html 訳J.S