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[このひと] "洛東江本流 絶対に手を付けてはいけない"

登録:2010-12-06 11:11

原文入力:2010-12-06午前08:47:42(1695字)
‘汝矣島から4大河川へ’出した韓国を代表する建築家 キム・ソクチョル

ハン・スンドン記者

←建築家キム・ソクチョル氏

漢江開発など国家事業に参加…建築 人生・最近構想 集大成
"世宗市~延坪島~元山を結ぶ西海岸ベルトで葛藤を解くべき"

 "洛東江を傷つければ歴史と地理が呪いをかけるだろう。"

ソウル芸術の殿堂をはじめ1970~80年代に数多くの国家ハードウェア改造事業に参加し、建築輸出の道も切り開いた韓国を代表する建築家のひとり キム・ソクチョル(67・写真)氏が40年余りの都市建築世界を総合し最近構想まで加えた増補版<汝矣島から4大河川へ>(思想の木)を出した。

この本で明らかにした‘キム・ソクチョル式4大河川再生’は、その構想のスケールや目標、哲学からして独特だ。例えば1969年の汝矣島計画と漢江マスタープランから始まり、40年余り続いている彼の漢江プロジェクトは南北を合わせた韓半島統合を前提としている。漢江と西海をつなぐ‘第3の道’を作り、開城~ソウル~水原~仁川を合わせるアーバンリンク(urban link)を構築し、楸哥嶺構造谷を通じて元山につながる運河回廊地帯までを念頭に置いた遠大な構想だ。「延坪島もこのままではこのようなこと(南北武力衝突)が今後も継続的起きざるを得ない。この問題は世宗市から延坪島を包括する大構想を通じて解いてゆくべきだ。」

彼が作業中の設計図を見よう。セマングムと群山・益山・全州を括った地域・都市連合が扶余・公州・世宗市を中心に大田・清州まで括る連合につながり、また水原~ソウル~仁川の大圏域と連結された後に北上し、漢江河口圏域へ行き西側には北方境界線(NLL)に沿い延坪島、東北側には開城を経て平壌へ、非武装地帯を経て元山につながる様々な色の点や線、面らが鮮やかだ。「人々は構想を言葉だけで騒ぐが、私はその具体的な方案まで持っている。」

 「元々、日帝時に海軍は木浦~新義州を結ぶ西海開発を念頭に置いたが、陸軍の釜山~新義州陸路軸が中心になり韓半島の運命が変わった。今後、南北統一も白頭山脈側を軸とするのは難しい。西海側ベルトで行かなければならない。」
特に彼は「洛東江本流には絶対に手をつけてはいけない」と主張した。漢江と違い、至る所が上流であり、水源が東西に分散している上に、本流と支流が独立的な洛東江はどこよりも屈曲が激しく周辺の風景が美しく、川の水の自然浄化機能に優れているので 「運河にするのは不可能」というのが彼の信条だ。 彼は洛東江の中上流地域に持続不能な汚染原因である産業団地を作ったことからして誤りだとし、これをあまねく生かすには幅4~5メートル・深さ2メートル程度の小規模運河を洛東江に沿って西側に別に建設し工業団地都市と河口をつなぐことだと提案する。

 "運河と川の区分もできず、また、互いに全く異なる川を4大河川という名前で一つにまとめ、画一的にことを推進するのは独裁的であり政治的目的を前面に出した曲学阿世」と彼は批判した。彼はセマングムを抱いている錦江圏は新しい百済圏都市連合を形成し中国と連結すれば‘環境保護か地域開発か’の古ぼけた論議までを解消するWIN-WIN戦略を展開できると語った。栄山江は蟾津江と連結し、智異山・多島海・広域海都市圏まで含む "地球上のどこにもない、海と山が共に交わる世の中" を作り、産業・休養・観光を統合、中国・日本まで相手にする戦略で進まなければならないと言った。

10余年前から癌闘病を続けてきたが、10年ほど さらに仕事をして 「韓半島と韓民族の都市と建築を人類の象形文化として残したい」という彼の声には相変らず力があふれていた。

ハン・スンドン先任記者 sdhan@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/452226.html 訳J.S