原文入力:2010-12-03午前10:03:06(2112字)
チョン・ジンシック記者
←ソ・スンウ/忠南、錦山高2年
京畿道教育庁が去る10月5日‘京畿道学生人権条例’を全国で初めて制定・公布したことを契機に‘体罰禁止’を巡る議論が活発だ。先月25日、忠南、錦山郡選挙管理委員会主催で錦山郡議会で開かれた‘学生体罰禁止条例案’模擬議会に参加した高校生2人が体罰に賛成・反対する理由を明らかにした文を<ハンギョレ>に送ってきた。
反対 | 苦痛と恐怖は一時的効果だけ
持続的相談・愛で包むべき
教育は未完成段階の学生たちを完成させる過程としての意味が深い。全てのことを分別できて行動するならば、その人は学生と呼ぶことはできない。学生たちが過ちを犯し試行錯誤を経るのは極めて当然のことだ。したがって、教師は学生を正しい道に導くため体罰で治めるよりは正しい道を分かるようにし愛で包まなければならないと考える。
その理由として最も重要なのは人倫的な問題だ。学生が犯した誤りや試行錯誤を解決する方法として人格体に苦痛の伴う懲戒を行うことは学生の人権を尊重しない反人道的行為だ。学生の人権が優先的に考慮されなければならない教育の場で、学生の人権を尊重しない体罰を行うのは‘教育’という体罰の本来目的に外れる。
第二に、体罰が学生に及ぼす悪影響が憂慮される。体罰が学生たちの生活態度を正すために一時的な効果はあるだろうが、窮極的に彼らのための教育方法ではない。もちろん体罰当時には学生が誤りを認め葛藤が解消されたと見えることがある。だが、長期間にわたる体罰の雰囲気の中で学生と教師間の違和感が造成され、心理的な不安を与えることになる。したがって学生が教師に尊敬心と信頼よりは恐怖心と距離感を感じることになる。
多くの学生たちが体罰を望んでいないという事実がもう一つの理由だ。私が通う錦山高で自主アンケート調査をした結果、質問に応じた400人余りの学生の半分が体罰を望まなかった。これからは学生たちが望まない体罰よりは、多数が願う新しい教育方式を探さなければならない時だ。
体罰は学生たちの知的水準に照らしてみる時にも非効率的だ。鞭と罰で治めることは効果を早めることはできるが、誤りを正す究極的な方法ではないために反復的で持続的な体罰が必要になる。学生たちには反対に持続的な相談と観察、愛が必要な状況だ。
体罰禁止以後に起きるだろう多少の混乱は、教師と学生間の共感を通じた理想的な教育のために私たちが解決しなければならない問題であるだけのことだ。
ソ・スンウ/忠南、錦山高2年
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賛成 | 体罰と暴力は明確に区分すべき
教師の無関心、学生にさらに大きな被害
学校は教育の場だ。教育は単に学生たちに知識を教えるだけでなく、品性と人間性を育成する目的もある。体罰は価値判断が未熟な学生たちに古今東西を問わず これらを教える一つの手段と成った。
体罰は先生の関心と愛の表現だ。もちろん最近になって血友病の子供を暴行した‘オ・ジャンプン’教師のように学生をひどく暴行する事例もあった。しかし、そのようなケースはきわめて少数に過ぎない。暴行と体罰は明確に区分されなければならないものだ。
もちろん体罰を越えた暴力を認めることはできない。それでも学生たちを制裁する手段としての体罰を禁止することは正しくない。実際、錦山女子高の教室で起きる体罰は細い棒やげんこつでの小突きなどが大部分を占める。賞・罰点制度を活用する先生もおられる。先生方はむやみに鞭を持つよりは先に言葉で制裁を加えられる。それでもだめな場合にだけムチを持たれるのであって、決して体罰を乱用しているのではない。また、その強度に対しても多くの学生たちは暴力とは考えない。
我が国の学級当たり平均人数は30人程度で、経済協力開発機構(OECD)平均を大きく上回る。一人で多数を相手にする先生たちに体罰を禁止するということは先生の教育意欲と自信を落とし学生たちに無関心で接するほかはなく、無関心は子供たちにさらに大きな傷となりかねない。
体罰に代わる手段にも問題がある。教室で教師の指示に従わない学生たちを教室の外に送りだすならば体罰で終われることがより大きくなりかねない。学級の一員に戻ることができる機会を剥奪されることもありうる。賞・罰点制度を施行する方法もある。しかし先生が学生たちのためにする感情的な部分が介入できなくなる。そうなるならば教師と学生の間は乾燥するほかはなく、先生は授業をするだけの機械に転落するかも知れない。
個性と人権が尊重されることを望む学生たちも、責任と義務を履行しなければならないという事実をさらによく悟らせるためにも体罰は必要だ。
イへウ/忠南、錦山女子高2年
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/451979.html 訳J.S