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[単独ルポ] アスファルトに長さ1mの不発弾が…

登録:2010-11-25 02:36

原文入力:2010-11-24午後03:11:02(2587字)
残酷な延坪島 現場 1シーン、町内商店 ガラス窓 割れ骨組みだけ残る
住民たち "また撃つのではないか、今出て行かなければならないが…" 不安感に震え

イ・スンジュン記者、パク・ジョンシク記者

←24日午前、仁川、甕津郡、延坪島北側の海兵隊砲台と幕舎の間の道路に北韓が23日に発射した砲弾が爆発しないまま打ち込まれている。後方で消防車と救急車が鎮火作業のために軍部隊に向けて走っている。 延坪島/パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr

 23日夜遅く仁川沿岸埠頭を出航した船は空と水が一様にまっ暗な闇の中をゆっくりと進んだ。船内にはみなぎる緊張感で重い沈黙が流れ、4時間余り後、船はまだ夜の明けない‘被爆の現場’に到着した。
 24日明け方5時、延坪島船着き場におりて眺めた延坪島は相変らず煙の臭いが立ちこめていた。島を横切る山はまだ所々で燃えていた。島の北に行くほど火薬の臭いが強かった。こちらの住民たちが大船着場、大山と呼ぶ山道の両側に真っ赤な火が燃えていた。

 延坪島北側郊外周辺道路のアスファルトには真っ黒い煤にまみれた長さ1mの不発弾がくっきりと打ち込まれたまま、前日の残酷な砲撃の跡を残していた。住民たちは全員が待避壕に身を避けて村は物寂しかった。爆撃を受け燃えてしまった空き家で主人を失った犬たちが空に向かって吼えていた。

 ガラス窓が割れすっかり焼けてしまった民家にも小さな火種が残っていた。延坪島にある民家31軒が砲撃で破壊されたり炎上した。近所の新築建物工事現場のコンテナ事務室は半分ほどゆがんでいた。ソウルで言えば‘明洞’にあたる町の市場通りの商店は大部分、ガラス窓が割れさびしく骨組みだけが残っていた。

 20坪にもならないある待避所には30人がスチロフォームを寝床にして軍用毛布で寒さを避けていた。住民の誰もが眠れずにいた。待避壕で夜を明かし明け方に家財道具をまとめにでかけるところと言っていたナ・ヨンオク(46)氏は「恐ろしいし不安でならない」として、こわばった表情で路地を懐中電灯で照らした。彼女は「西海交戦の時は海で起きたことでピンと来なかったが、砲弾が直接落ちることがこれほど深刻で恐ろしいこととは知らなかった」と話した。

←24日明け方、ある警察官が延坪島脱出のために船に乗る子供を受けとり抱いている。 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr

 夜が明けるにつれ不安な表情の住民たちが一人二人と村役場に集まってきた。一夜の間に廃虚に変わってしまった村を眺める住民たちの表情には虚しさを越え恐怖がにじみ出ていた。一つの手には子供をつかみ、他の手には荷物を持った母親たちは心配だと言った。突然、避難民になったこれらの人々は村役場に「陸地に行く船がいつ出るのか」と催促した。「老弱者女性たちから乗せましょう」という叫びが起きたが、人々は船に足を押しこむことが優先だった。船の収容人員を越えてしまい、堪え難い顔をした数十人かが再び船から下りる場面も見られた。結局、老人と女性たちを中心に350人余りがこの日朝8時、海上警察の警備艇2隻に別れて乗り島を離れた。残った人々は「また撃つのではないだろうか。今出て行かなければならないのに…」としながらも、先に発った人々に向かって手を振った。

←延坪島住民 数十人が24日明け方、島から出ていくために埠頭へ接岸する海上警察の船を待っている。パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr

 事件発生前まで延坪島の一日はいつものままだった。潮時に合わせて女性たちは海岸へカキを取りに行き、山ではハルモニたちが植樹事業に参加して盛んに木を植えていた。渡り蟹漁船は午前までこまめに海を縫って走っていた。

←24日明け方、延坪島に投入された消防署員らが砲撃で火災が起きた家の火を消し、内部に入り火種が残っていないか調べている。 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr

 “それでも人々が家にいる時間帯ではなくて幸いだった….”アジア大会の中継を見ていてあわてて家の外に逃げて身を守ったキム・某(56)氏はまだ胸をなで下ろしていた。門の前10mの距離に駐車しておいたキム氏のマティス乗用車は砲弾に当たり焼けたまま横倒しになっていた。「初めは射撃訓練だと思ったけれど、戦争が起きたという友人の電話で何も考えずにひとまず走った。今は怒りとか恐ろしいというよりは、まだ実感が沸かず考える余裕もない。」
 

←24日午前、砲撃を避け身一つで逃げてきた延坪島住民たちが地下待避所で憂いの表情で外側の便りを待っている。パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr

延坪島漁村係監査キム・ジェシク氏は「潮時になって大部分の住民たちが3日続けてカキを採りに海に出て行て幸いだった、そうでなかったら人命被害がもっと大きかっただろう」と伝えた。

←24日、日が昇る頃、北韓の海岸砲による砲撃で被害に遭ったある食堂の割れた窓ガラスから眺めた延坪島の通りの姿. パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr




←北韓の砲撃で全て焼けてしまった延坪島商店街の前で24日午後、ある住民が言葉を失ったまま立っている。 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr




←ある女性が24日明け方、地下待避所で子供をしっかり抱きしめたまま、ほおずりをしている。 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr













←砲撃で柱だけがかろうじて残った家で、ある住民が家財道具をまとめている。 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr





←地下待避所に避難したあるハルモニが24日明け方、ロウソクをつけて不安な表情で夜が明けるのを待っている。 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr




 延坪島/イ・スンジュン記者 gamja@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/450437.html 訳J.S