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ソウル 3大料亭‘梧珍庵’が消えた

登録:2010-09-09 12:01

原文入力:2010-09-08午後10:26:08(915字)
50~70年代 密室政治の主舞台
ホテル新築計画…撤去に入る

ノ・ヒョンソク記者

←撤去前の梧珍庵の正門(上)と撤去工事が始まった梧珍庵の現在の姿。

ソウル、首都の3大高級料亭一つで、1950~70年代の密室政治の主舞台であったソウル、鍾路区、益善洞の梧珍庵が歴史の裏側へ消えた。

文化財界関係者たちによれば、梧珍庵は今年初め 所有主C氏により700坪余り規模の韓屋建物が売却された。去る7月に料亭は営業を中断し、今月から目隠し幕を張り撤去作業に入ったことが確認された。現場のある関係者は「ホテルが新しく建ち、韓屋は撤去し公園などに移すと理解している」と伝えた。ソウル3大料亭としては三清洞の三清閣、城北洞の大元閣、梧珍庵を挙げたが、1990年代に三清閣が複合文化空間、大元閣が吉祥寺に変わり、梧珍庵も今回取り壊され全て痕跡を消すことになった。

雲峴宮の後方に位置した梧珍庵は1953年に所有主C氏が文化財収集家イ・ビョンジク(1896~1977)の旧家を取得し営業を始めた。母屋、離れなど内部施設は50~100年前の各々時期を異にした伝統韓国式家屋洋式で‘小宮闕’と呼ばれるほどその建築美を誇った。基壇石などの石物は20世紀始めに日帝が景福宮殿閣を撤去した当時に流出した文化財級のものと知らされた。こちらにたびたび出入りしたという収集家のK氏は「韓屋部材を全て売る計画と聞いた」として「建物がきれいに保存されれば良い」と話した。

梧珍庵はソウル市登録飲食店1号として1950年代の侠客 金斗漢が常連客として出入りし、60~70年代には政界の実力者や政治家が集まり料亭政治を繰り広げた所だ。1972年イ・フラク当時中央情報部長と北韓パク・ソンチョル副首相がこちらで7・4共同声明を事前議論したというエピソードでも有名だ。

文・写真ノ・ヒョンソク記者 nuge@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/438881.html 訳J.S