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"乙巳条約の時 朝鮮 抵抗 強まり…伊藤が直接 統監に就任"

登録:2010-08-31 08:17
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/437424.html

原文入力:2010-08-30午後07:27:31(764字)
伊藤の外交電文 草稿発見

チョン・ナムグ記者

1905年日本が‘乙巳条約’(第2次韓日協約)を強要し締結した当時、朝鮮の抵抗が非常に激しく、伊藤博文が外交官を統監に任命しようとしていた計画を変更し自身が直接就任することにしたことを示す資料が日本で発見されたと<朝日新聞>が30日報道した。

この資料は1905年、条約締結を指揮した伊藤博文が条約締結事実を日本に報告した外交電文の草稿であり、当時 通訳を受け持っていた前間恭作(1868~1942)の子孫が保管していて韓国強制合併100年を迎え今回 九州大学に寄贈した。

外交電文の草稿を見れば、伊藤は乙巳条約を締結した事実を報告しながら、初めは‘統監を任命しなければならない’と書き、この部分に線を引いて消した。前間はこの部分について「日本の計画は当初、朝鮮統監に外交官を任命するということだったが、伊藤が草稿を作成する途中で自ら統監に就任することに意を変えた」と解説を残した。

伊藤博文研究者である伊藤之雄京都大大学院教授は「この文書のおかげで日本が乙巳条約を締結する時までは統監に外交官を座らせようとしており、伊藤博文もそのような予定であったという点が初めて明らかになった」として「交渉過程で朝鮮の抵抗があまりにも強いのを見て、一介の外交官が統監職をきちんと遂行するのは難しいとみて、伊藤博文が自らその席に座ることを決心したと見られる」と話した。

東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr

原文: 訳J.S