原文入力:2010-08-25午後08:05:54(1646字)
保守委員、民間人査察案件に "それ、何ですか?"
意見表明 相次ぎ否決され 民間委員ら 辞職も
ソン・ジュンヒョン記者
←道に迷った人権委. キム・ヨンフン記者 ki myh@hani.co.k r
去る23日夜遅くまで続いた国家人権委員会全員委員会の一場面.
国務総理室の民間人査察疑惑に対する職権調査案件を議論しながら保守指向のある人権委院がこのように話した。「事実関係をよく知らせられていないのでどんな内容なのかよく分からない。」 すると、別の人権委員が 「1ヶ月以上も民間人査察問題で国が騒々しかったのに、ニュースも見ないのか」と問い詰めた。また別の人権委員も 「<ハンギョレ> <京郷>だけでなく<朝鮮> <東亜> <中央>と<韓国放送>(KBS)でも全て報道した」と批判した。進歩と保守、政治的指向を別にして人権懸案にいつも注目していなければならない人権委員としての資質を疑わせる内容だ。人権委の内外では全員委員会のこういう笑えない風景を巡りコメディ プログラムの‘鳳仙花学堂’に例えたりもする。
人権団体らはこういう人権委の最近の決定や歩みを見て、人権委の存在理由に対し深刻な疑問を提起している。李明博政府任期の半分で人権委の基本機能までが麻痺したという苛酷な批判も出ている。
実際、人権委は憲法裁判所が‘憲法不合致’決定を下した夜間集会禁止と関連して憲法裁判所に意見を表明することを放棄し、国家がパク・ウォンスン希望製作所常任理事個人を相手に出した名誉毀損訴訟に対する意見も出さないことにした。去る23日の全員委員会では深刻な人権侵害であることが明らかになった総理室民間人査察事件に対する職権調査もしないことにした。この日の会議では公職選挙法違憲審判と関連した意見表明案件も否決された。
先週末には人権委設立の生き証人のひとりであるキム・ヒョンワン人権政策課長が結局、辞職願いを出した。彼は2001年4月、国家人権委員会法が通過した後、人権委設立企画団に参加し機構の役割と方向を‘設計’した。キム課長の辞表に対し、人権委事務総長を務めたキム・チルジュン弁護士は25日「人権委の一時代が幕を下ろした」と評価した。
人権委の内外では‘人権政策課長は人権懸案をモニタリングし、公権力を監視する役割を受け持つ職責だが、ヒョン・ビョンチョル委員長側から度々ブレーキをかける状況が耐え難かったのだろう’という分析が出ている。人権委関係者は「人権懸案に対し激しく悩まない人々に、問題を提起しそれが続けざまに失敗に終わる状況を見ながら自ら恥辱的と判断したようだ」と伝えた。
人権委活動を持続的に監視してきたシン・スギョン新しい社会連帯政策企画局長は「人権委が独立機構として設計されたのは、構造的人権侵害を監視するため」として「李明博政府になって人権委揺さぶりと無力化が続き、当初の設立趣旨が見る影もなかった」と指摘した。ある人権委員は 「社会的に敏感な懸案に対する問題提起が継続的にブレーキがかかることになれば、事務局でも最初からそのような人権懸案と政策関連案件を全員委員会に上程しなくなる」 として組織の保守化を警戒した。
実際に人権委事務局は人権関連専門性があったり市民社会と疎通できる特別職公務員たちが順次排除され、一般職公務員を中心に再編されている。ヒョン委員長は昨年10月、特別職のイ・ミョンジェ広報協力課長を職権免職した経緯があり、一部民間出身職員らは留学に出たり休職している。昨年7月に就任したヒョン委員長は、この間 人権団体とただの一回も懇談会を開いたことがない。
ソン・ジュンヒョン先任記者 dust@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/rights/436751.html 訳J.S