尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は11回の弾劾裁判のうち9回出席し、自分の潔白を詳しく主張した。しかし、直ちに他の証言で反論され、裁判が進むほど信頼はさらに低下した。嘘がまた別の嘘を生む形だった。
■生中継された場面まで否定
尹大統領は25日に行われた最後の意見陳述でも、非常戒厳宣布後に国会の戒厳解除議決を止めようとした事実を否定した。尹大統領は707特殊任務団の要員が窓ガラスを割って国会本館に入った理由を「衝突を避けるため、明かりが消えた窓を探して入った」と主張したが、当日は軍人たちが明かりのついた事務室の窓ガラスを割る場面が生中継されていた。また「(国会)本館まで入った兵力はわずか15人」と述べた。キム・ヒョンテ特任団長の証言を基にした主張だが、その日の国会の監視カメラに映った本館進入兵力は少なくとも19人だった。尹大統領は「戒厳解除要求決議以前に国会に入った兵力は106人に過ぎない」とし、「極少数の兵力で国会議員を逮捕して引きずり出せというのは、あり得ない話だ」と声を高めた。
しかし、尹大統領は国会が戒厳解除要求案を議決した後も、イ・ジヌ首都防衛司令官に国会議員を引きずり出すよう指示したというのが検察の捜査結果だ。戒厳解除要求の議決後まで計算すれば、国会に出動した軍兵力は計678人(特殊戦司令部466人、首都防衛司令部212人)。
尹大統領はまた、最終意見陳述で「国務会議をするつもりでなければ、一体なぜ12月3日夜に国務委員が大統領室に来たのか」と問い返した。しかし、この抗弁は国政のナンバーツーであるハン・ドクス首相の憲法裁判所での証言で否定された。ハン首相は「通常の国務会議ではなく、形式的・実体的な欠陥があったと考えていること、それは一つのファクト」だと述べた。
■自分の主張まで覆す
尹大統領は最終弁論でも「警告のための、国民に訴えるための戒厳」だと主張し、先月23日の第4回弁論では「布告令に法的に検討して手をつけるべき部分は多いが、どうせこの戒厳は長くても一日以上続くのは難しい」とし、違憲の素地がある布告令条項をそのままにしておいたと述べた。ところが、このような主張は、尹大統領の代理人団が憲法裁に提出した意見書とも相反する。意見書では「民主党の戒厳解除が数日かかると予想した」と書かれていた。
6日、「大統領に人員を引きずり出せと言われた」というクァク前司令官の主張に反論し、尹大統領は「私は『人』を言うときに、議員なら議員と言うことはあっても、人員という言葉は使ったことがない」と主張した。ところが、尹大統領はわずか2週間前の弁論で、キム・ヨンヒョン前国防部長官に「長官が見るに、特殊戦司令部の要員は主に本館の建物の外の庭にいましたか、それとも本館の建物の中にあの多くの『人員』が全員入ったんですか」と尋ねた。尹大統領の公式演説文にも「人員」という表現が多く登場する。相手の証言が嘘だと主張しようとして、自分の嘘がばれたわけだ。
■友好的な証人さえ尹大統領の嘘を証明しただけ
尹大統領側の主張が、自分側の申請した友好的な証人によって否定される場面もあった。イ・サンミン前行政安全部長官は尹大統領執務室で、電気・水の供給断絶に関する内容が書かれたメモを見たと主張した。これに先立ち、尹大統領が「(非常立法機構関連のメモ)これを(チェ・サンモク企画財政部長官に)渡したこともない。戒厳を解除してかなりたってから、メディアにメモが出たことを記事で見て知った」と答えたものとは食い違う。
非常戒厳宣布の正当性を主張するために呼んだ「不正選挙」関連の証人さえも、尹大統領の期待に応えなかった。尹大統領は4日に行われた第5回弁論で「選管委電算システムの点検結果の報告を受けたが、かなり不十分で、でたらめだった。選管委が十分にすべてを見せたわけではなく、ごく一部の5%程度の装備だけを見せた」と主張した。中央選挙管理委員会が協力せず、ごく一部だけを点検したが、セキュリティ状態が深刻だったという主張だった。しかし、ペク・ジョンウク前元国情院3次長は「一生懸命点検してから集計してみると、『全体の5%くらいまでは(点検)できた』と説明した」と説明した。時間と人員が足りず選管システムの5%程度を点検したという説明だった。