「法治主義を誰よりも信奉する私が、よっぽどのことがない限り、このようなことを考えるでしょうか」
12・3非常戒厳宣布を1時間30分ほど控えた昨年12月3日午後9時頃、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は自身の執務室を訪れたチョ・テヨル外交部長官を激しい声で叱責した。非常戒厳宣布計画を一歩遅れて聞いたチョ長官が「70年間大韓民国が積み上げたものが一気に崩れ落ちる」とし、考え直すことを要請したためだ。
尹大統領は不快な口調で、「私の個人のためにこうしていると思うか」、「従北(北朝鮮追従)左派を放っておけば、国が崩壊し、経済や外交も、何も進められなくなる」、「短期的な困難はあるかもしれないが、外交政策には全く影響がないだろう」と言ってチョ長官を非難した。
チョ長官も退かなかった。チョ長官は「これまで野党から戒厳の話が出るたびに『あり得ない』と一蹴してきたのに、国民をどのように説得するつもりですか」と反論した。尹大統領は質問に答えず、「国政が麻痺し国家運営が難しい」として戒厳を宣布する意思を曲げなかった。
19日にハンギョレが取材した結果、尹大統領は戒厳宣布直前に経済や外交、安全保障など様々な理由を根拠に戒厳に反対した国務委員らの意見を全て無視し、「有無を言わさず」戒厳を宣布したことが明らかになった。形式と実質のいずれにおいても、非常戒厳宣布のための「国務会議」が行われたとは言えないと指摘されるのはそのためだ。
尹大統領は戒厳直前、遅れて大統領室を訪れた国務委員と大統領室関係者たちの反対意見をすべて跳ね除けた。これに先立ち、尹大統領は当日午後8時頃、ハン・ドクス首相とチョ長官など国務委員6人だけを招集し、会議ではなく「通告」を進めようとしたが、ハン首相の説得で他の国務委員らも大統領室に呼び出された。
戒厳という言葉に「耳を疑った」というチェ・サンモク大統領権限代行兼経済副首相(企画財政部長官)は検察の取り調べで、「戒厳は経済と国家の信認度に致命的な影響を与える。絶対にだめだ」と声を荒げながら反対の意思を明らかにしたという。
チョ・テヨル長官は警察の取り調べで、大統領の説得に失敗して会議室に戻ってきたチェ長官が「『強く引き止めたが、(大統領は)腹を立ててばかりだった』と言った」と述べた。戒厳を受け入れるのが難しかった両長官は、キム・ヨンヒョン前国防部長官に「これは違うのではないか」(チェ・サンモク長官)、「どうして事態をここまで悪化させるのか」(チョ・テヨル長官)と問い詰めたともいう。
大統領を至近距離で補佐するチョン・ジンソク秘書室長の説得も通じなかった。ホン・チョルホ大統領秘書室政務首席は検察の取り調べで、「前後関係ははっきり覚えていないが、チョン・ジンソク秘書室長が『非常戒厳はいけない』と大統領に申し上げると、大統領が『私を説得するな』(または『説明するな』)と言った」と供述したという。
全員の引き止めを振り切った尹大統領は会議室を訪れ、非常戒厳宣言を「通告」した。当時、国務委員らは尹大統領が「皆さんが心配しているが、誰とも相談しなかった」、「大統領の決断だ」、「非常戒厳宣布の権限は私にある」などの発言を一方的に並べたと、検察の取り調べで述べた。その後、尹大統領はブリーフィング室に移動し、午後10時23分、国民向け談話を発表し、戒厳を宣布した。
同日の国務会議は、議決定足数(11人)を満たすためだけのものだった。 国務会議に最も遅れて到着したオ・ヨンジュ中小ベンチャー企業部長官には、同日午後9時42分から10時11分までの29分間に大統領室関係者から「早く(大統領室に)来てください」という督促の電話が4回もかかってきた。オ長官は同日午後10時17分に会議場に到着し、国務会議は定足数を超えたが、会議は5分で終わった。