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戦争が起きれば 死ぬのは? "まさに我々"

登録:2010-06-05 08:56

原文入力:2010-06-04午後09:46:05(1657字)

←絵の原作は、ゴヤが描いた<5月3日の虐殺>とピカソ作品 <韓国での虐殺>

キム・テグォンのエラスムィスと友人たち/
"文. 戦争が起きれば誰が死にますか?"   "答. あなたが死にます。" この頃、口の端にのぼる愚問賢答です。昔も今も王様はこの明らかな事実をどうして分からないフリをするのでしょうか。

いたずらっ子トム・ソーヤーを誕生させた小説家マーク・トウェインは晩年に<戦争のための祈祷>という短編を書きました。「この国は銃を取った。 戦争が勃発するや皆の胸の中に愛国の神聖な火が燃え上がった。」戦争に反対する人々は沈黙を強要されました。出発の前日、兵士と家族は教会に集まり戦争のために祈りを捧げます。「これらと祖国に不滅の名誉と栄光をお与え下さい。」その時、ある老人がいきなり現れました。「神様の使者である私がお前たちにその祈祷の完全な意味を説明する。」若者の死骸で覆われた野原、負傷者の苦闘と悲鳴、罪なき未亡人たちの悲しみ、そして限りない絶望-老人は戦争の惨状を描写します。しかし誰も信じなかったのです。彼を「気違いだと」感じました。

マーク・トウェインは20世紀初頭にこの作品を書いたが、当時 米国が戦争中だったためか、発表もできないまま亡くなりました。十余年後、1次世界大戦が勃発するとすぐに皆の胸の中に愛国の火が燃え上がりました。反戦運動を繰り広げた進歩的知識人らは捕えられたり無視されたりしました。その後にも戦争はなくなりませんでした。21世紀はジョージW. ブッシュの戦争と共に始まり、今この地にも‘戦争も辞さない’と叫ぶ者たちがいますね。ところで本当に皮肉です。実際にブッシュ本人は兵役忌避疑惑を受けたではないですか。現在のこちらの事情も似ているよ。表面では‘国民皆兵’であっても、内部事情は‘庶民皆兵’ではないのかと言われるこの国で、市民の怒りと嘲弄は正当です。それでも、イ政権を「軍隊にも行かなかった未了者ら」と表現するのは気がかりですね。戦争をしようという王様が不届きばだけで、軍未了が罪悪ではありませんから。第一に女性に、二番目に男性だが体の具合が悪い方々に、三番目には、より大きな代償を払って戦う良心的兵役拒否者にとって、‘未了者は黙っていなさい’という話は意図しない暴力になることがあるんです。そして最後に、兵役を済ませたからといって戦争を起こしてもかまわないというのは違うんじゃないですか? このような時、ぴったりした表現を一つ。エラスムスは "戦争は甘い、体験していない者にでも" (dulce bellum inexpertis)というラテン語の格言を紹介します。詩人ピンダロスは話したそうだよ。「何たるかも分からない者には戦争がうれしい。しかし実際にどれほど恐ろしいことかを知れば身震いするはず。」昔の賢人たちは世の中の波風を体験していない若造だけが喜んで戦おうとの言葉を残したんですが、この地では逆になりましたね。若者たちも反対する戦争を何人かの年配の方々はどうして吼えるのでしょうか。

←キム・テグォン漫画家・<ルネサンス 美術のお話> 著者

マーク・トウェインがあの文を書いた頃、米国が行った戦争でフィリピン人 数十万人が命を失いました。この戦争の糸口は米国軍艦メイン号の‘原因不明の沈没’でした。米国とベトナムの戦争も真相が分からないトンキン湾事件で始まったんですよ。今さら昔のことを明明白白に明らかにすることは難しくても、少なくとも戦争という愚かなことを繰り返してはいけないのではないでしょうか? まして、今度は私たちが死ぬかも知れないのに!

キム・テグォン漫画家・<ルネサンス美術の話>著者

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/424205.html 訳J.S