強制動員被害のトラウマに生涯苦しみこの世を去った被害者の遺族が、日帝戦犯企業を相手取った損害賠償訴訟一審で勝訴した。
光州(クァンジュ)地裁民事3単独のパク・サンス部長判事は、故キム・サンギさん(1927~2015)の遺族のスンイクさん(66)が2020年1月、日本の川崎重工業(旧川崎車両株式会社)を相手取って起こした損害賠償請求訴訟で、原告の一部勝訴判決を下した。裁判所は川崎重工業が遺族1人に1538万ウォン(約176万円)を賠償するよう命じた。遺族は8人兄弟で、残りの遺族は消滅時効が過ぎて賠償を請求できなかったという。
キムさんは1945年2月から8月まで、兵庫県神戸市にある川崎車両株式会社に連れて行かれ、機関車や武器などを作る仕事に動員された。裁判の過程で遺族はキムさんが2005年に自筆で作成した強制動員経緯書を被害の証拠として提示した。
「日帝治下で応召通知により日本国に徴用で連れて行かれた経緯書」と題された同文書には、川崎車両株式会社の住所と共に、18歳の頃、日本に入国し服務するよう命じる応徴士(徴用に喜んで応じた人という意味)令状を受け取った心境と、麗水(ヨス)から船に乗って日本に渡った経路、米軍の爆撃による被害などが書かれている。川崎重工業の法律代理人は、「キムさんが軍需品製造に強制動員されたかどうかは定かではない」とし、「被害を証明する客観的な資料がない」と反論してきた。被害者側の代理人であるチャン・ウンベク弁護士は「今回の判決を見ると、裁判所は被告の主張を受け入れず、キムさんの被害事実を認めた」と説明した。
裁判が終わった後、遺族のスンイクさんは父親の苦しみを訴えた。スンイクさんは「幼い頃から父に『日本で犬も食べられない籾殻が混ざったご飯を食べながら苦痛に耐えていた』という話をよく聞かされた」とし、「生涯トラウマに苦しみ、夜は外出ができなかったし、私たちの子どもたちも苦しい人生を送った」と語った。
スンイクさんは「死んだ後でも良いから無念を晴らしてほしいという父の遺言を守ることができて幸い」と述べ、「被害者が80年前の被害事実を直接証明しなければならない現実に、国に対しても残念さを感じる」と指摘した。
一方、訴訟を支援する日帝強制動員市民の会は、2019~2020年の間に11社の戦犯企業に対し強制動員被害者と遺族87人が計15件の損害賠償請求訴訟を起こしたが、この日キムさんを含む4件だけに一審判決が下されたと明らかにした。残りの裁判は日本企業の無対応で訴訟書類が送達されず、長期間遅延されているという。