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鄧小平・李承晩・金日成 皆‘侵攻’推進…北, 中・ソ 説得し先攻

登録:2010-05-09 11:27

原文入力:2010-01-01午前01:48:16(25114字)

金大中・盧武鉉10年間 統一 大きな進展
MB‘真実・和解委’門を閉めるべきでない

-韓国人には米国が韓国の統一を望んでいないという長い間の神話がある。どう思うか?

“米国と韓半島周辺の強大国たちは統一を願わないと遠い昔にそのように考えた。現状維持のために統一を犠牲にさせるのかという疑問があった。

しかし、金大中の和解政策は米軍の駐留を前提としている。2000年6月、南北首脳会談で金大中は‘米軍が統一以後にも(韓半島に)留まることができる’ということについて金正日の同意を得た。これは(金大中統一政策の)基本的な設計だ。韓国で米国の利益を守り保護する論理的な計画だ。そしてビル・クリントン大統領は米国の現実政治の側面で韓国の統一を支持した。

21世紀に米国が最も心配するのは何なのか?
中国だ。国防省はソ連崩壊以後から中国について心配してきた。中国は東アジアの(最大)権力であり、米国の利害関係に実質的脅威となる。韓国は違う。私たちは同盟だ。米国は韓国の統一を助けることができる。北韓または北韓のリーダーシップを中立化させることも一方法になりうる。

金大中は常に理想主義,妄想家という指摘を受けてきたが、事実彼は非常に親米的だった。金大中は韓国で米国が介入した状態での韓国,北韓和解・統一を望んだ。日本は韓国の統一を敬遠しているかも知れない。統一韓国は日本のさらに強い競争者になるためだ。中国は北韓が権力を維持することを望む。なぜなら北韓と中国は最後の共産主義国家であるためだ。ロシアは韓半島統一に格別な影響がない。米国はクリントンと金大中の登場以後、(統一になっても)東北アジアで安定した構造を維持することができる。”

-韓国が統一の良い手本を持ったか? ベトナムとドイツはそれぞれ違った統一過程を経た。韓国が彼らから何を学べるか?

“ベトナムの統一方式は1950年の金日成の方式と同じだ。ベトナム統一は全面的な侵略に終わった。ベトナムは南部ベトナム権力を破壊した。それは今日どこの誰にも良い手本ではない。

ドイツはいつも韓国で統一の手本として提示されてきた。しかしそれは良い手本ではない。東ドイツはソ連の操り人形だった。ベルリンの壁が崩れる時、東ドイツは10万人の警察力のような小さな軍隊だけを持っていた。ソ連は東ドイツに36万人の駐屯軍を持っていた。これがドイツと韓国が根本的に違う点だ。モスクワでボタンを押すことで、ゴルバチョフが東ドイツに軍隊を移動させない、そのような措置だけで韓国が統一を得ることにはならない。またドイツ統一は非常に高価な代価を払った。ドイツ市民の税金をたくさん引き上げた。韓国人がこれを恐れるのは当然だ。

しかし金大中とチョン・ジュヨンが推進した南浦と開城など、北韓輸出自由地域政策は少しずつ少しずつ北韓を再建することができた。北韓の賃金が安いから南側企業が利益を得る時に北韓のインフラ構造も少しずつ発展する。経済的に数十年かけて南韓,北韓を再統合するのは非常に良い計画だった。2006年に金正日と盧武鉉の首脳会談で黄海道海州と南浦港と関連した協定は大変重要だった。しかし履行されなかった。

こういう方式がはるかにより優れている。ドイツの統一は多くの費用を要求する。言い換えれば、金大中と盧武鉉,クリントン政府での対北韓政策が良かった。しかしジョージ・ブッシュが入ってきた以後、盧武鉉が退いて以後(すべてのことが)作動しなくなった。南北韓のすべてで。”

-あなたは金大中と盧武鉉の対北韓政策が好きでしょう?

“当然だ。私は金大中が大統領に選出された時、かなり驚いた。私は永らく彼を知っていた。私は彼が大統領になれないと思っていた。ところが選出された。私の判断が間違っていて非常にうれしかった。98年2月の就任式に参加し就任演説を聞いた。彼は根本的な方式の対北韓政策を実施するだろうということを知った。そのような根本的な変化が正しい。彼が多くの進展を成し遂げたことを歴史が証明してくれる。開城工業団地には4万人の労働者がいる。これから10万人まで増える展望だ。20年前には誰もいなかった。これはチョン・ジュヨンと金大中のリーダーシップが成し遂げた主要な成就だ。人々は‘北韓にお金をばら撒く。帰ってくるのは何もない。南北首脳会談を(お金で)買った’と考える。そのように言うことはやさしい。私たちは一歩後に退き、客観的に歴史を評価する必要がある。そうする時(南北関係で)金大中が多くの進展を成し遂げたということを知ることが出来るだろう。”

-李明博大統領は金大中-盧武鉉政府でなされた南北間協定を大きく無視した。しかし南北関係が深刻な物理的衝突や葛藤があることでもない。こういう状況をどのように理解しなければならないか?

“李明博は北韓に荒々しく対処すると公約したのでそのようにしている。彼の政治的支持層は保守的で韓国政治スペクトラムで右側に位置した人々だ。彼は彼の政策ではなく、経済が悪かったために当選した。その選挙結果には驚かなかった。むしろ驚いたのは彼が作動しない政策を着実に固執しているという点だ。北韓との関係はさらに悪くなった。

バラク・オバマが大統領になった以後、少なくとも去る6ヶ月間、北韓は米国と韓国にもう少し穏健になろうと努めている。しかし李明博が大統領になって以来、南北関係で進展があったと見ることは難しい。これは党派的な話ではない。北韓を圧迫する強硬策で、北韓が自分たちの行動を変えると考えてみよう。非常に良いことだろう。しかし2006年に北韓が核実験を行った。そして去る5月に再び核実験を行った。1945年以来、北韓は圧迫されれば直立したまま抵抗してきた。彼らの対処方式だ。

カーター行政府当時、鄧小平は中国を統治した。鄧小平は当時、ジミー・カーターに話した。‘北韓を圧迫しては絶対勝つことはできない。北韓を少しずつ孤立から抜け出すようにする必要がある’と。正しい言葉だ。金大中と盧武鉉がクリントン行政府とともに去る10年間、チューブから歯磨きを出すようにしようと絞り取ったが、イ・ミョンバクが再び歯磨きをチューブの後方に押込んだ。

韓国は‘真実と和解委員会’が努めている韓国戦争大虐殺に対する真相究明を行う必要がある。‘そんなことは起きなかった、全て忘れよう’と話すことはできない。李明博は経済的観点では良い大統領であるかもしれない。韓国経済は安定している。李明博がいることで良いことも多い。しかし(彼の)対北韓政策は作動していない。”

イランとは違い、米国との関係改善を希望
北韓 核兵器を放棄できると考える

-李明博は南北関係改善の前提条件として北韓の‘先ず核廃棄’を要求している。これが効果的と見るか? でなければ彼の接近が近い将来、変わることと見るか?

“返事がちょっと長くなりそうだ。米国では外交政策の決定は非常に党派的なイシューだ。ビル・クリントンが去りジョージ・ブッシュが就任した時、クリントンの政策の大部分をひっくり返した。これは北韓とクリントンとの間に結んだ協定も無視するということを意味する。北韓のチョ・ミョンロク国防委員会第1部委員長が、2000年10月にホワイトハウスへ来て‘北韓と米国が互いに敵対しない’という協定にサインした。ところがブッシュは北韓を‘悪の枢軸’と描写した。彼は北韓をまず攻撃対象とした。北韓はこれに‘協定のインクも乾かない内に’と反論した。

李明博も金大中-盧武鉉当時に南北首脳会談で結ばれた主要協定‘互いに敵対視しない’という協定が存在しないかのように行動した。韓国でも党派的な変化があった。外交政策には永続性がなければならないという主張がある。相手方はこちらの内部政治を理解してくれない。北韓は裏切られたと感じた。‘万一、米国や韓国の次の大統領が以前に結んだ協定を破棄するならば、私たちはなぜ約束を守らなければならないか’と北韓が言う。北韓はこういう問題を持っていない。彼らの指導者は永遠に全く同じであるためだ。民主主義でなく独裁体制であるためだ。ジョージ・ブッシュと李明博が前任者らが結んだ協定を履行しないのは良いことではない。不幸だ。

また私がひとつ言いたいのは、金大中が2001年3月(米国を)訪問して以来、韓-米間に政策の不一致があったということだ。時々は滑稽なこともあった。一方がこちらへ行く時、他方は正反対に行った。金大中は(ブッシュ政府でも)太陽政策が維持されるよう願った。しかしジョージ ブッシュは金大中に‘私は北韓を信じることはできない’と話した。<CNN>平壌特派員だったマイケル チノイが出した本にこういう内容がある。金大中がワシントンを訪問する前に、ブッシュに電話をかけた時だった。金大中が電話をかけた時、ブッシュはホワイトハウス執務室で電話を受けたが、受話器を手で覆って秘書に‘この人誰なの?’と尋ねた。金大中は数ヶ月前にノーベル賞を受けたというのにだ。(このように)ブッシュは外交問題には門外漢だった。そして金大中は世界で最も経験豊富な政治家だった。状況はますます悪くなった。

ブッシュはイラク戦争を敢行した。韓国戦争の間、ヘリー トルーマン大統領は全く人気がなかった。韓国人はこれをよく知らないのかもしれない。52~53年、トルーマンは世論調査が始まって以来、米国史上 最も人気のない大統領だった。当時、米国人は米国が韓国戦争に介入することを非常に嫌った。2007年ブッシュの人気はトルーマンと似ていたし、2008年にはそれよりさらに低かった。そして米国史上、最も人気のない大統領としてホワイトハウスを去った。

イ・ミョンバクは就任してブッシュと親しくなろうとした。彼はブッシュを強く捕まえた。また盧武鉉とブッシュの間に広がった韓米関係の困難を復旧することを願った。あたかもそれが盧武鉉の誤りであるかのように。しかしそれは(韓米関係が難しかったのは)ブッシュの誤りがより大きかった。李明博はブッシュを抱いた。しかしブッシュはすでにレイムダックだった。人気がなくホワイトハウスを去った。私たちは選挙で政権が変わることということを知っていた。李明博が見るのに(ブッシュの政策に従うことが)賢明だったのか? そうではない。保守要人がまた別の保守要人を好きなのは当然だ。しかしブッシュが‘北韓との対話’という金大中の政策に背を向ける時、李明博がブッシュを抱きしめた。ブッシュはこちら側に行って李明博は北韓に向け強硬というまた別の方向に行った。

李明博がソウルで対北韓強硬姿勢を維持している時、バラク・オバマも北韓に対して対話の手を差し出した。韓国と米国の対北韓政策が外れたのは2001年以後10年ぶりだ。北韓が何を考えるか、北韓がどれほど悪かろうと、こういう政策混乱の責任が北韓にあると言うことは難しい。北韓は実際に米国と南韓の対北韓政策を知りたがった。(対北韓政策の混乱は)米国と韓国の内部政治のためだ。

気になることは李明博は北韓に対して和解政策を展開することができた。なぜならチョン・ジュヨンは非常に能動的であったし、経済開発を押し通し、李明博は現代グループの最高経営者出身であるから。それで私は彼が非常に実用的だろうと考えた。しかし対北韓経済政策ではそうでなかった。ミステリーだ。”

-イ・ミョンバクは現代グループが北韓に投資する前に現代を去った。

“うん、そうだ”

-オバマの対北韓政策もブッシュの対北韓政策とほとんど差がないという主張もある。

“それは北韓の失敗のためだと思う。オバマ大統領が就任した当時、北韓は米国に向かい挑発をしなかったとすれば、米国は北韓に手を差し伸べただろう。米国はキューバ,リビア,イランなどに手を伸ばした。北韓はいわゆる不良国家と呼ばれる冷戦状態に置かれている唯一の国家だ。北韓は(オバマ行政府に)途方もない要求の山を投げた。‘我々は核保有国家だ。米国はこれを知らなければならない。我々は10年前から軽水炉を望んできた。我々に軽水炉2つをくれ。(その代価として)我々に何かをしろと言うな’等等等。彼らは2009年初めにも最大の要求を継続した。彼らは4月に長距離ミサイルを発射した。独立記念日にはより大きな実験をした。これは明白に(北韓が)米国と親密だとする意図であり、米国の注意を得ようとする試みであった。しかし(彼らの)予想とは逆に何の効果もなかった。オバマ大統領にとって最も強硬な対北韓政策ラインだったジョン・ボルトン前駐国連大使の政策を行うようにさせた。北韓の行動のために。オバマがブッシュの対北韓政策を持続したのは事実だ。しかしこれについて非難されなければならないのは愚かな北韓の挑発であり、オバマではない。彼らは彼らがしなければならない行動の正反対に行動した。

しかしビル・クリントン前大統領が米国記者らを救出するために、昨年夏 北韓を訪問したことが重要な分岐点だった。なぜならクリントンと金正日の間に非常に実質的な対話があった。クリントンは10年前に北韓に対して新しい米国の政策を推進し両国間協定を作った人だ。クリントンの北韓訪問以後、(北韓が)別の方向に徐々に動き始めた。北韓は5月の核実験以後、去る数ヶ月間 挑発をしたことがない。それで私は10年前に戻ることができると多少希望的に考えている。(オバマ)行政府内には、ブッシュ行政府とクリントン行政府の政策を支持する人々がいる。オバマ行政府内で対北韓政策方向性を巡り、これらの間に大きな争いがある。しかし重要な勢力は北-米関係が10年前の協定に立ち帰るよう願っている。”

-6者会談が北核問題解決の枠組みとして適切だと見るか?

“6者会談は中国が主に主張してきた。また常に中国が主催した。中国にとって(6者会談は)大変重要だ。中国は北韓と米国が互いに対話することができるようにしようとした。ところが、ジョージ ブッシュは‘北韓と対話することを願わない’と話した。ディック・チェイニーは‘私は対話しない。私たちは悪とは話さない’と言った。北韓は(ブッシュ政府では)悪の枢軸だった。それで米国と北韓が互いに対話することが重要だった。これが6者会談の主要な目的だった。

北韓が6者会談に復帰するのは全面的に合理的だと考える。なぜなら6者会談は成功的だった。はなはだしきはジョージ・ブッシュも(北韓,米間)協定に動くようにした。また中国は北韓の主要な同盟だ。中国は北韓が6者会談に戻らず中国を当惑させることを願わない。それで私は北韓-米国対話の次に6者会談につながると思う。

<韓国戦争研究>

←ブルース・カミングス

- <韓国戦争の起源>は1980年代、韓国の歴史学界および社会科学界に大きな衝撃を抱かせた。韓国社会に近現代史、特に韓国戦争に対する関心を呼び起こした。その後、韓国の学者たちは<韓国戦争の起源>を基盤に、そしてまた彼を越えようと刻苦の努力を注いだ。パク・ミョンニム,キム・ドンチュンなど多くの学者の立派な成果がある。最近の韓国における韓国戦争関連研究をどのように評価するか?

“多くの韓国の研究者たちが私の最初の本で研究に力を入れているのを見る度に、私を謙虚にさせ光栄にもする。私が韓国研究者たちが見られなかった文書を見られたことは幸運だった。また私は90年代まで韓国が持てなかった自由な雰囲気で本を書くことができた。私はいつも韓国人たちのために本を書いていると感じている。文書にあるのは事実だ。私は南韓,北韓ともに(私がみた文書に対して)どんなことも書けないことを知っていた。そうすれば監獄に行ったから。81年に私の本が出てきた時。予想したように全斗煥政権が私の本を発禁にした。ブラックリストに上がった本の中で唯一の外国著者の本だった。しかし、そのような措置がむしろ全斗煥を嫌う学生たちに(私の本が)さらに多い興味を呼び起こさせた。

その時から韓国記者たち、または韓国歴史家たちは私に会う度に話したりした。‘若い人々、学生たちの皆があなたの本が好きだ’と。それで私はこのように言った。‘お歳を召した方々は?’と。私ももう年寄りだ。65才以下の人々は韓国戦争を体験した過去の世代に比べ、もう少しバランスが取れ開かれた視角で私の本を読むことができると考える。

私は退屈で保守的な歴史家たちが‘君は(何らかの事件が起きた後) 50年は何も研究してはならない’と話したりした。なぜなら a)君は(後ほど)文書を得ることになるだろう。 b)証言者たちがいるだろうと。私はそのような原則を破った。私が(韓国戦争) 50年が過ぎる前に文書を得たからだ。

私はパク・ミョンニムとキム・ドンチュンの(韓国戦争関連)著作らを集めてきた。また他の韓国研究者らの著作も集めてきた。例えば光州抗争に対して書かれた全南大ナ・グァンソの本も手に入れ永らく勉強した。

-最近は主に関心を持って研究しているのは何か?

“連結単行本<韓国戦争の起源>を準備中だ。約400ページに及ぶ。今、その作業をしているところだ。これとは別に、ソ連と中国の文書を含んだ改訂版<韓国戦争の起源>を書く計画だ。おそらく5年以内に出てくるものと希望する。それが最終本にはならないだろう。なぜなら北韓の文書らが(全く)分からないから。私とチャールズ・アームストロングなど一部の学者は韓国戦争と関連した北韓書類らを入手した。非常に貴重なものだ。ただし45~51年間のものなどだ。いつか北韓書類がさらに公開されれば、私たちがそこから韓国戦争に対して新しい視角を得ることができるだろう。米国は文書公開にもう少し開放的だ。

しかし私たちは電子コミュニケーション(電話,録音機など電子機器と関連した音声情報)については何も分からない。電子情報国家安全機構は私たちが持っている最も大きな知識だ。米中央情報局(CIA)の7~8倍に達する量だ。韓国戦争前と戦争期間の電子知識は私たちが持っていない大変重要な資料だ。2次大戦が終わり40~50年が過ぎたが、暗号と情報は文書リストから除外されている。米国が日本の暗号を解読していたことが明らかになった。米国は戦争期間、日本のメッセージを読むことができた。これは2次大戦に対する歴史を変えたし、すべての戦争エピソードを再評価しなければならなかった。チャーチルとルーズベルトが日本の電信内容を読んでいたということを知るならば、米国が北韓・中国の暗号,中国の暗号,ソ連の暗号を解読していたかもしれない。私たちは1940年代にソ連の暗号を解いた。‘ベノナ文書’がそれだ。しかし、これは韓国戦争前に止まった。私の著作の仮説は、米国が日本暗号を解読していたというところにある。米国は韓国戦争期間、北韓,中国,ソ連の暗号をみな解読しただろう。だから情報機構の文書が大変重要だ。そしてCIAは情報公開から完全に閉ざされていた。

人は歴史が人生と同じであることを理解しなければならない。78年の韓国戦争の歴史は、85年とは違い、95年とは大いに違い、2009年とは完全に違う。そして私たち皆が去った時、私達の子供たちと孫たちが韓国戦争に興味を感じるその時は、また完全に変わるだろう。この点が歴史が魅力的な理由だ。事実は同じで変わらない。それが真実だ。しかし、私たちはすべての事実を知りはしない。私たちがすべての事実を知ることになるならば、私たちは常識的にこれを判断しなければならない。私は私の本が韓国戦争に対する最後の著作だとは思わない。しかしこれだけは言える。 (今、私が書いている)韓国戦争の関連本が私には最後の本になることということを。(本が出た以後)私は引退しているから。

-あなたは1981年に北朝鮮を旅行したと聞いている。その旅行が本を書く上で何か影響を及ぼしたものがあるか? 旅行の前後で北韓を眺める視覚が変わったことはあるか?

“私は1981年8月に北韓に行き、私の本は81年9月に出た。私が帰ってきた時、出版業者が私にコピー本を見せた。私と出版業者を除いて、どこの誰もその本(韓国戦争の起源)について知らなかった時だ。私がそれ以前に行ってみることができなかった国に行くことができるということは魅惑的なことだ。北韓は16~17人の学者らを招請した。もちろん北韓はあらゆるものに案内した。明景台,子供病院,万寿台劇場,一般的な案内ツアーのすべての場所へ私たちを案内した。しかし私は一般的な北韓の人には会えなかった。しかし私のガイドは非常におもしろい人だった。私のガイドはキム・ジョンスだった。彼は後に北韓国連代表部大使になった。私は彼がニューヨークにいる時、何度か彼に会った。キム・ジョンスは非常に賢かったし、旅行をたくさんした人だった。彼は北韓が孤立し、外の世界に対して全く知らないということに対して抗弁した。私はキム・ジョンスとほとんどすべての主題について彼と対話した。彼は79~80年全斗煥が権力を掌握する時、米国がこれを助けたのか、奪う時にこれを助けたのか、そして私がそれに対してどう思うかについて非常に多くの興味を持った。私は‘国務部が全斗煥が権力に上がることを望んだとは思わない。ジミー・カーターが全斗煥が権力をにぎることを望んだとも思わない。しかし、軍事情報局にいる人々、CIAまたはそれ以外の誰かが全斗煥を望んだかもしれない人々が(米国政府の中に)いて、彼らが全斗煥が権力をにぎるのを助けたのかもしれない’と話した。その時、キム・ジョンスは言った。‘私はそうだったと見る’と。

私が考えるに、80年代は経済的に北朝鮮政権は最高点にいた時だった。人々はよく食べ、服にも不自由はなく、住宅事情も良かった。貧しい国のように見えなかった。80年代に北韓は中国よりさらに良い暮らしをしていた。韓国の1人当り国民所得は81年に北朝鮮と同じ程度だった。ところが韓国は北韓をホコリの中に放っておいた。ところが妻が3年前に北韓に行き撮ってきた写真を見たが、私が81年に行った時と完全に全く同じだった。北韓は80年代末以後、激しいスタグネーションを体験した。それは本当に犯罪だ。北韓が自国民をまともに食べさせることができず、経済的マヒ状態をほとんど30年間引きずってきたことは(政策的)失敗でなくまさに犯罪だ。(北韓)経済は90年代初めから悪くなり始めたと見る。北韓リーダーシップが(過去) 15~18年間、人々が死んでいくのに人々を救うための十分な仕事を正しくしなかったということは犯罪だ。

北韓に対する私の本で私は‘私がそこに行った時、良かった’と話した。これは私が強制収用所のようなそんなことに幸せだったという意味ではない。北韓は非常に違いに違うまた別の国だった。そのような観点で魅惑的だったということだ。私には未だにそうだ。”

-あなたは韓国で有名人だ。はなはだしきは、あなたの本を読んでいない人々でもあなたの名前はよく知っている。

- (チョン・アンスク通信員)クォン特派員の質問にもう一つ加えたい。何があなたを韓国戦争を深く掘り下げさせたのか?

“韓国人たちは外国人が韓国に興味を感じることが相対的に新しいので、そのような反応を示すのだと思う。しかしフランス,米国,おそらく韓国,そして他の国にもフランス史に対してよく知っている歴史家たちがいる。タクシー運転手でも、教授でも、会社員であろうとも、韓国人たちは私が韓国に対して考えていることより、多く(韓国を)知っていると考えるというのはおもしろい。もちろん日常的な事件については彼らが毎日新聞を読むので私より良く知っていることもある。しかし違う点で、彼らが全く聞いたこともない文書を私が20年以上研究した。”

-家族の話をしてもらえるか?

“私の妻は大家族で育った。義父は優れた公職者であり外交官であったし、大企業にもいた。私は私の妻の家族に対しインタビューで話したことがない。プライバシーのために。しかし家族たちが20年よりもっと前に私が全斗煥政府で悪名が高かった時に、私を婿として歓迎してくれた。妻の兄さんは軍人だったが、非常に暖かく私に親身だった。それで家族の中では政治は止まる。そうすべきだ。

私は私の息子たちを誇りに思っている。私たち夫婦は16才,20才の二人の息子を持っている。私は私の妻を非常に誇りに思っている。バージニア大学で、この国で最も難しいことの一つを受け持っている。妻は難しい学問である社会科学をしていて、700人の教授たちをコントロールしている。私は彼女がこういう仕事をすることについて非常に幸せだと思う。私が彼女に初めて会った時、私の妻がこういう仕事をしていなかったので、一層驚きだ。私は立派な家族を持ち非常に祝福されていると思う。これ以上の詳しい話はやめなければならない。

-大事な時間をいただき感謝申し上げる。

<北-米 対話>

* カミングスとのインタビューの後に北韓-米国の対話が開かれた。Eメールを通じ北韓-米国の対話と関連した追加答弁を聞いた。

-オバマ行政府での初の北韓-米国対話が開かれた。今後の北韓-米国対話の進行過程を楽観しているか? 北韓が6者会談に復帰すると見るか?

“オバマ大統領がこの間、米国との関係が悪かったイラン,シリア,リビア,キューバ,ビルマなどとの関係回復を試みている。この(関係回復)汽車が北韓駅をそのまま通過するとは思わない。私はその点で楽観主義者だ”

-北韓が核を放棄するかに対して根本的な疑問を持つ人が多い。安全保障さえできるならば、または北韓の要求どおりに北韓と米国間に平和協定さえ締結されるならば、北韓は核を放棄すると見るか?

“去る1991年から2002年まで米国と北韓が北核交渉を繰り広げた。米国と北韓は関係正常化と核兵器放棄というプログラムを持ったが、まともに進展しなかった。ところがジョージ・ブッシュが2002年9月に先制攻撃(可能)対象国家として、2002年10月には去る94年に結んだ基本協定をわざわざ撤回しようとした。その次に2003年3月にイラクを侵攻し、こういう急進的な行動は北韓の強硬派が(北韓の)安全のために核を維持しなければならないという声にさらに拍車を加えた。私は以前に北韓が核兵器保有可否を多少あいまいな状態にすることが北韓により有利だろうと考えていた。とにかく以後、北韓は2006年,2009年に核実験を行った。

こうしたことが北韓が核兵器と核プログラムを放棄するだろうと考えることを難しくさせる。しかし北韓は1994~2002年まで8年間、プルトニウムの凍結を受け入れた。イランはこういう決定を受け入れたことがない。更に金日成は94年に取引を承認したし、核兵器が韓半島にこれ以上存在しないとも話した。だから北韓が核兵器を放棄できるという希望を相変らず持っている。”

-北韓の武器輸送機がタイで差し押さえられた。これに対し米国はUN国際制裁の結果とし、今後も制裁を継続するという。その一方で北韓-米国対話には直接的な影響を及ぼさないと言っている。すなわち制裁と対話を併行する‘ツートラック‘戦略を使っている。これは現在の対北韓核交渉で効果的な戦略か?

“米行政府はほとんど20年間、北朝鮮に向けて‘ニンジンとムチ’の戦略を使ってきた。あたかも北韓が政治体制でなくロバであるかのように。また北韓が行動を変える程の大きなムチを使うこともなかった。これと関連して軍事的解決策を使うことにはならない。それは1953年に米国がすでに学んだことだ。”

シカゴ/クォン・テホ特派員 ho@hani.co.kr

■ブルース・カミングスは

韓国戦争 修正主義的に解釈
米国中心冷戦的世界観 覆す

<韓国戦争の起源(日本でのタイトルは"朝鮮戦争の起源")>で有名なブルース・カミングス(1943年生まれ)は現在、シカゴ大学客員教授で韓国近現代史と東アジア国際関係が専攻だ。20代の時、1967~68年平和奉仕団の一員として韓国に始めてきて縁を結び、米国の代表的な韓国現代史研究者となった。1981年に韓国戦争に対し米国中心の冷戦的世界観を覆す修正主義的解釈を出し、当時歴史学界にセンセーションを呼び起こした。ビル・クリントン行政府時は平和・外交を基本路線とする韓半島政策の理論的枠組みを提供した。

金大中前大統領と接触が厚く、1985年2月金前大統領が米国亡命を終え帰国する時、彼の安全のために一緒に韓国に来た‘同伴外国人団’に参加した。著書としては<韓国戦争の起源>の他にも、北韓研究書である<北韓 また別の国>,<韓国現代史>などがある。彼の妻は韓国人だ。同僚であり弟子のウ・ジョンウン博士(バージニア大学長・韓国学)と結婚し二人の子供をもうけた。

カミングス教授インタビューは彼が在職中のシカゴ大歴史学科事務室で行われた。彼は「ソ連と中国文書を新しく追加した<韓国戦争の起源>改訂版作業を始めている。5年以内に出てくることを願う。これが韓国戦争に関する私の最後の著作になるだろう」と話した。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/396630.html 訳J.S