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チェ・ヤンジュン,オ・ジョンサン氏 過去史再審 相次ぎ無罪

登録:2010-05-01 12:54

原文入力:2010-04-30午後10:16:19(1724字)

ソン・ギョンファ記者

←チェ・ヤンジュン(71)氏

 "30代で背は別に大きくはないがほっそりした感じの捜査官が大きな椅子に私を裸の状態で座らせた。腕と脚を椅子に縛り、腹側に被覆がむけた電線を巻き黒い布を巻き付け頭の上から水を注いだ。真っ黒な長い板の上にあった軍用電話機を回すと、全身に電流が流れ大声を張り上げた。ある日は性器と両側親指を電気拷問した。拷問で私が腕を上げられなくなると、すぐに捜査官がご飯を持って食べさせてくれた。"

日本に行きスパイに追い込まれ再審控訴審も無罪

‘金をもっと稼げる’という話で日本に行き在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に抱き込まれたスパイに仕立て上げられたチェ・ヤンジュン(71・写真)氏は1982年11月に起きたことを今でも生々しく覚えている。‘サミル工事’という看板の釜山保安隊で拷問された後、チェ氏は「山を越えて船に乗り北に行って金日成にも会った」と自白した。裁判所は国家保安法違反(スパイなど)疑惑で起訴されたチェ氏に翌年、懲役15年,資格停止15年を宣告した。

27年が流れた去る1月、ソウル中央地裁は再審でチェ氏に無罪を宣告した。"チェ氏は電気拷問、殴打で虚偽の自白をした" と判断した。チェ氏は "27年ぶりにわだかまりが解けた" として涙声で話した。

しかし3ヶ月後、彼は再び法廷に立った。検察が "チェ氏とチェ氏の親・姻戚の主張の他に苛酷な行為があったことを認めるに足る直接的な証拠がない" として控訴をしたのだ。検察は当時、保安隊要員ク・某氏を証人として申請することもした。しかし去る14日の公判にク氏は出てこなかった。

30日、控訴審裁判所はチェ氏に繰り返し無罪を宣告した。ソウル高裁刑事4部(裁判長 キム・チャンソク)は "チェ氏が任意性のない状態で述べたと見るに充分だ" と明らかにした。宣告後、チェ氏は "まだ拷問後遺症に苦しめられているのに‘顧問がなかった’とし控訴する検察を見て途方に暮れた" とし "再び国家が私のような人を二度三度と殺さないよう願う" と話した。
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政府批判の一言で35年間 苦痛の歳月

←オ・ジョンサン(69)氏

"政府では粉食を奨励するが、政府高官と富裕層は粉食と言いながら麺少々に卵と肉類が大半の粉食を食べていて国民が政府施策にどうして順応できるか。"

京畿道,平沢でウサギ40匹を育てていたオ・ジョンサン(69・右側)氏も1974年5月をはっきりと覚えている。バスで横の座席に座った女子高生が‘反共・勤勉・貯蓄・輸出増大 雄弁大会’に参加するという話を聞いて、オ氏は政府を批判する言葉を吐きだした。女子高生はこの話を教師に伝え、教師の申告により中央情報部に強制連行され拷問にあったオ氏は、翌年 懲役3年,資格停止3年の刑を宣告された。

出所したオ氏が訪ねて行った時、その教師は‘許してくれ’としてひざまずいた。2007年、真実・和解のための過去史整理委員会の調査で、中年になったその女子高生は‘その時は授業時間に反政府的な話をする人はアカ、スパイだと習い先生に話したこと’と述べた。

30日、裁判所は35年ぶりにオ氏に無罪を宣告した。ソウル高裁刑事7部(裁判長 キム・インウク)は判決文で「(オ氏が)無差別暴行、脅迫、眠らせないなど過酷な拷問で自白したもので有罪の証拠とすることはできない」とし大統領緊急措置違反には免訴、反共法違反には無罪を各々宣告した。オ氏は「女子学生であれ先生であれ、誰に責任を問うことができるだろうか。再び私のように国家によってこういう苦痛を受ける人がないことを望むだけ」と話した。

ソン・ギョンファ記者 freehwa@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/418724.html 訳J.S