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南蔚州(ナムウルチュ)消防署の温山(オンサン)119安全センターのセンター長を務めるイ・ジョンジェさん(57)は、23年前に出動した火災現場で死亡した同僚の記憶で、心の痛みを抱えて生きている。「消防生活をはじめたのがほぼ一緒で、歳も同じくらいの同僚でした。蔚山(ウルサン)家具マートで火災が起きたので一緒に出動したんですが、突然すべての可燃性物質が同時に発火して爆発する『フラッシュオーバー』現象が起きて、同僚は亡くなってしまいました。心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつのせいで自ら生を終えた同僚もいます」
大韓生物精神医学会の論文「消防公務員とPTSD」(リュ・ジアなど、2017)によると、消防公務員は頻繁な外傷事件にさらされること、不規則な交代勤務、強い職務ストレスにより、PTSD発生の高危険群に分類される。PTSDは特にその他の障害を併発することが多いのが特徴だ。主にうつ、薬物やアルコールの使用障害、不安障害、パニック障害が同時に存在するケースが多い。
そんな心の傷が体まで壊したのだろうか。チョン・ボンシクさんはPTSDと発作性心房細動の症状以外にも様々な病を患っている。まず、杖なしでは動くことも難しい。2014年に火災現場から戻ってきて消防車から降りた際、左膝をひねってしまい、軟骨が損傷した。今年4月には脛骨(けいこつ)切断手術を行い、すねにチタンと固定するためのネジを入れた。手術費だけで1500万ウォン(約167万円)以上かかった。足底腱膜炎、脊椎側湾症、脊柱管狭窄症、網膜静脈閉塞症など、10以上の病も持っている。
身長183センチ、体格が良く、海兵隊でテコンドーの教官として勤務し、「タンク(戦車)」というあだ名で呼ばれたチョンさん。消防士として働いている時も常に「体力がある」と言われ、40代だった2004年には英国シェフィールドで開催された世界消防士競技大会のテコンドー部門で優勝している。歳を取ってからはじめたボクシングでも高い実力を示した。2007年の全国生活体育ボクシング大会など、各種の大会で優勝した。「45歳の消防士ボクサー」との見出しで地元紙にも紹介された。
そんな肉体的自信から、チョンさんはいつも「分かった、それなら俺がやるよ」と言って何事にも率先して取り組んだ。「体力がついてくるから、なおさら頑張れたんだと思います。消防士技術コンテストのような大会や訓練にもよく出ていましたし、救急隊員をしている時も数多くの重い患者を背負っていたもんです」。チョンさんとの勤務経験を持つ昌原(チャンウォン)消防本部龍院(ヨンウォン)119安全センターのセンター長、ファン・ジョングンさんの証言だ。しかし、そのような数多くの現場出動と延長勤務、体を酷使する業務が残した病症は心の病と共に蓄積し、いつしか老いた消防士の体のあちこちから信号を送ってくるようになった。「現場で3日ほど眠ることもできずに勤務して家に帰ると、短期記憶障害のようなものが出て、自宅の玄関の暗証番号も思い出せないんです。それで妻に電話して聞いたりね」
心と体が壊れるとともに家族も崩壊した。チョンさんは家族との連絡がほとんど途絶えている。妻は2年前に別の地域へと去ってしまった。20代後半と30代前半の2人の娘も、就職を準備すると言ってソウルに出た。チョンさんは、こんな状況になったのはすべて自分のせいだと言う。消防士として暮らしつつ、家族にとって良い父親や夫にはなれなかったというのだ。「仕事が多くて家にもあまり帰れなかったし、不眠症がはじまってからは敏感になって、交代勤務で昼間に寝なければならない日に子どもたちが少しでも騒ぐと『静かにしろ』と怒ったり。子どもたちは驚いて泣き、妻が止める、ということの繰り返し。妻の実家にも30年間で3回しか行けませんでしたから。振り返れば後悔ばかりですよ」
2020年6月に体調が急速に悪化し、定年まで3年残して退職したチョンさんは同年、混合型うつ病および不安障害で、人事革新処から障害14級に認定された。また、報勲部から報勲対象者7級にも認定された。障害14級は退職時の所得額の9.75%に当たる額を障害年金として受け取れ、報勲対象者7級は毎月36万5000ウォン(約4万600円)の補償金などが受け取れる。
しかし、その程度の額では毎月400万ウォン(約44万4000円)近くかかる治療費がまかなえない。そこでチョンさんは2021年、睡眠障害や不整脈などの病気は業務のせいで発生したとして、報勲部に国家有功者認定を求めて訴訟を起こした。しかし2年近くの裁判の末、7月5日に昌原地裁はチョンさんの請求を棄却した。訴訟過程でチョンさんを鑑定した医療陣は、交代勤務などが原因かもしれないが、疾病に及ぼした影響は軽微だと判断した。そのうえ、不整脈は業務とはまったく関係ないとした。チョンさんは困惑した表情を浮かべた。彼は控訴しないことにした。
一度は公傷と認められた左脚の関節炎と半月板損傷についても、治療が続くことを考慮して昨年に公務上の再療養を申請したが、やはり認められなかった。これもやはり「業務とは関係ない」というのが理由だった。「治療費の問題もありますが、実は国家有功者訴訟をすることになったのは、娘たちがせめて加算点をもらって就職に役立てば、私に対する気持ちが少しはほぐれるかという思いもありました。でも国はやってくれるつもりがないんだから、もどかしいです」
消防士が天職だと思っていたチョンさんは、最近は時折、消防士ではなく別の仕事をしていたらどうなっていただろうか、と考えるようにもなったという。「悪いものは見るな、聞くなと言うけど、まったく、俺は愚かなもんだから」。チョンさんは作り笑いを浮かべながら言った。