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[マガジンesc] 半島の歴史が刻まれた屋根のない博物館

登録:2010-04-09 11:35

原文入力:2010-04-07午後09:30:06(4206字)
escウォーキングマップ22.江華邑と江華山城
江華郡庁から龍興宮-高麗王宮跡地を経て南門まで6.5km

イ・ビョンハク記者

←聖公会江華聖堂。2階建て韓屋の外観だが内部はつながった1階建の建物だ。

檀君ハラボジの栄光から日帝強制占領期の侮辱までが詰まっている。漢江・臨津江・礼成江入り口の航路要衝地、江華島(カンファド)。先史時代と三国時代の激しい領土争いを経て‘東洋蛮夷’‘西洋蛮夷’侵略の度に私たちの歴史の前面に登場した島だ。苦難の中での先人たちの足跡がぎっしりと詰まっている。‘屋根のない博物館’‘韓半島の縮小版’とも呼ばれる江華島に行く。江華郡庁を起点に龍興宮(ヨンフングン)・高麗王宮跡地と西門を経て南門まで歩く。

20年間、マンドゥ(餃子)を蒸してきた餃子屋の臭いが漂う

郡庁駐車場に車を駐め、警察署をすぎて龍興宮路地に進む。20余年間、マンドゥを蒸してきた正統餃子屋の前路地が良い香りだ。昔の韓屋の壁に沿って曲がれば龍興宮①高柱大門が開いている。‘龍が起きた’所だ。朝鮮25代王 哲宗(1849~1863年在位)が即位前19才まで農業と樵をしながら暮らした潜邸(皇太子でない人が王に推戴される前に住んでいた家)だ。‘江華道令’李元範だ。家は当初はわらぶき小屋だったが、哲宗即位4年後に母屋と離れ座敷を備える韓屋にした。

←シムド織物工場の場所に残された煙突。

龍興宮公園に行く。旧シムド織物工場跡だ。日帝強制占領期間以来、江華邑では人絹を作る織物工場が繁盛した。60~70年代には織物工場が20ヶに達するほどだったが、今は消えて一部が跡だけを残している。公園の片側に当時の煙突②をその名残として残した。シムド織物で50年働いたというイ・ナムシク(75)氏が話した。「国民学校を卒業するとすぐに入って一生を主に織布部で働きました。あの煙突の場所に染色部がありました。」煙突のそばに碑閣③がある。清の侵入(丙子胡乱)で江華城が陥落すると、南門で爆薬に火をつけて殉死したキム・サンヨン先生を賛えて建てた2基の碑だ。左側の碑は1700年に、右側は碑文がすりへり1817年に建てなおしたものだ。碑閣の向い側には‘江華3・1万才記念碑’④がある。

万歳記念碑の後方(市場跡駐車場と江華邑事務所一帯)は朝鮮時代の軍営である鎮撫営の場所だ。市場(現駐車場)に軍事訓練場(教場)を西門横に(外教場)に移す前まで、練兵場と査閲台建物である閲武堂があった。現在の恩恵教会が閲武堂の場所だ。龍興宮公園の丘の上の旧聖公会江華聖堂⑤に上がる。1900年に建設された建物で、外見は韓国式家屋だが、内部はバシリカ様式で設計された礼拝堂だ。2階形式だが内部はつながっている。石段の上の門や鐘閣,聖殿の4本の柱にかけられた漢文柱連はまちがいなく山寺の趣だ。建物後方の司祭館を見て裏口に出て行き、再び龍興宮公園から降りて行く。

←江華山城 南門前の江華留守 閔鎭遠永世不忘費

燃えて再び燃えて略奪されて…木々は知っている

江華天主教会を過ぎて北山(松岳山)の山裾の高麗王宮の跡地⑥へ歩く。高麗高宗が1232年にモンゴル侵略に備え首都を開京(訳注:開城の別名)から江華に移した後に作った宮廷の跡だ。39年間にわたり高麗の首都だったが、開京還都の時にモンゴルの要求で宮廷と城を崩さなければならなかった。朝鮮仁祖の時にもこちらに仮宮を作ったが、丙子胡乱の時に炎上し、その後 江華留守部官衙建物が建てられたが丙寅洋擾(1866)の時にフランス軍の侵奪で再び燃えた。現在は東軒と吏房庁,復元された外圭章閣などがある。フランスに返還を要求している国宝級文化財はまさにこちら外圭章閣にあった古書等を丙寅洋擾の時にフランス軍が略奪したものだ。略奪現場を見守ってきた樹齢400才になるエンジュの木が王宮の跡地の片隅に立っている。

日帝強制占領期間以後、東軒は郡庁として、吏房庁は登記所として使われた。王宮跡地の外で汲んで飲んだという古びた井戸 王子亭と大きな陰を垂らした樹齢700年になる‘高麗的’イチョウ⑦に出会う。イ・ナムシク氏は「幼かった時、イチョウの前面に大砲弾の倉庫を見た覚えがある」として「吏房庁前には門が3ヶもあり、周辺にはわらぶきの家々がびっしりと建っていた」と話した。

太極模様が描かれた北關帝廟⑧(1892年建設)外三門は閉まっている。江華邑には關羽・劉備・張飛を祀る3ヶの關帝廟(東・西・南)が残っている。住民たちに‘關帝廟’を尋ねれば首をかしげる人が多い。‘プッカンアムメ’,‘ナムカンアムメ’がどこかと尋ねれば分かってくれる。発音どういrに名前が変わり固まったためだ。昔の韓屋が残っている路地を通り、江華女子高そばの江華郷校⑨に行く。高麗の時に初めて建てられた後、転々として朝鮮英祖の時に現在の位置になった。境内の塀そばに江華留守紀蹟碑・下馬碑を見ていると、塀の向こう側からカルルルと春の花がほころぶ音が聞こえてくる。春の日差しを浴びておしゃべりしながら走る江華女子中・高の生徒たちだ。

郷校の道を下り、崩れつつある旧ソンイル織物工場の建物をすぎて西門に向かって歩く。西門内道⑩に入ると壁も屋根も低く古びた家々の掌ほどの窓が続く。40年以上、西門内道で暮らしていると言うイ・ウィスン(75)ハルモニが40年間に積もった不満をこつこつと打ち明けられた。「あいつが西門だけどね。ここは昔はとても大きな通りだったんだ。今だに開発されなかったから、すっかり廃れちゃってね。建てる許可も出さないし、崩れてきても直す許可も出さないんだからね。取り壊す、取り壊すと言って40年だよもう」

江華山城の内城西門(瞻華樓)⑪は1977年に復元された門だが、過去の色が漂う城壁と茂った木々で結構古色蒼然とした味が感じられる。東洛川にかかる三間虹霓門(アーチ型石水門)⑫と演武堂旧跡⑬に出会う。演武堂は市場跡にあった閲武堂と同じ軍事訓練場査閲台の役割をした建物だ。演武堂を記憶しなければならない訳がある。1870年に日帝の強圧により江華島条約が締結された場所だからだ。建物は跡形もなく場所を知らせる石碑だけが立っている。

朝鮮哲宗王が、即位前19才まで暮らしたところに作られた龍興宮前路地。

←白頭山の五葉松で作ったハワイ移民1世ファン・プジャ宅の韓屋

江華大路(48号国道)に沿って中心街に入り、旧市場裏路地を覗いて見る。古く崩れいく狭苦しい家々が格子型路地に沿って並んでいる。市場を背に暮らしていた住民たちの人生のホコリが重々積み上げられた路地だ。路地に沿って‘南關帝廟’⑭を尋ねて尋ねて訪ねて行く。案内板もない路地の角に‘禁雑人’と書かれた石碑の立つ南關帝廟がある。旅人も‘雑人’だろうが、そちらを守る‘正見従事’という菩薩が黙って門を開けてくれる。 中央に關羽・劉備・張飛を祀った圓成殿があり、前後に弥勒菩薩と檀君を祀る小さな建物が位置している。3ヶの關帝廟中、最も早く建設(1884年)された。

子供菩薩・花菩薩,占い所が立ち並ぶ路地に沿って東關帝廟⑮まで見て、再び中心街に降りてゆき、路地を歩く。30年間しるこを煮てきた昔風しるこ屋と‘浴室完備’のソウル旅館・国際旅館を過ぎてチョックッカルビタンで有名な新アリラン食堂,親環境栽培豆料理専門豆 セアル食堂を経て南門側に歩く。道のそばに貼りついている古びた韓屋が待つ。ファン・プジャ宅(16)と呼ばれる瓦の家だ。ハワイ移民1世ファン・ククヒョンという方が帰国し、1928年に白頭山から持ってきた五葉松で作ったという。韓国料理・和式が混ざった2階建て母屋が目を引く。幼い時から住んでいるという管理人 イ・チョンジャ(59)氏は「外側は織物工場として使われてひどく傷んだ」と話した。1947年にかつての弟子を訪ねて江華島に来た金九先生が母屋の前で一行と撮った写真が江華文化院に残っているという。

南門路に沿って直進すれば南門 晏波楼(17)が姿を表わす。1711年に建設され1955年に豪雨で崩れたものを復元した。門の内側に立つ江華留守 閔鎭遠の歴史的な事実を刻んだ碑を支えうつ伏せになった石亀の顔の表情がおもしろい。南門の外道の向かい側に城壁の上が重そうだ。数百年になる真っ黒なケヤキがありったけの力をふりしぼり媒煙に耐えている姿だ。南門まで6.5kmを歩いた。

←江華邑と江華山城. 地図グラフィック(※クリックすればさらに大きく見ることができます。)

ウォーキング メッセージ

来週からは花祭りも満開

◎行き方|ソウル郊外周辺循環高速道路金浦出入り口から出て48号国道に乗り直進、金浦通津・月串を過ぎ江華大橋を渡り、江華邑に行く。金浦から大串面を経て草芝大橋を渡り84号地方道に乗って行ってもかまわない。

◎見どころ|江華大橋を渡り、左側の江華歴史館に立ち寄れば、江華の歴史理解に役に立つ。高麗王宮の跡地・徳津鎭・草芝鎭・廣城堡・江華歴史館は各々入場料が900ウォン,5ヶ所一括入場券を買えば2700ウォン。江華島市民連帯などが用意した‘江華散歩道’も用意されている。主要歴史遺跡地を括った4ヶ コース。4月10~25日高麗山と支石墓(コインドル)広場一帯で‘高麗山つつじ芸術祭’が開かれる。見せかけの行事なしに花を楽しむ祭りだ。4月中旬以後には江華山城北門側桜花見通りでも花祭りが行われる展望だ。

◎食べ物|定食屋 ウリオク(032)932-2427,親環境栽培豆料理専門店豆 セアル食堂(032)933-5520,塩辛汁焼き肉屋新アリラン(032)933-2025,ムック定食屋王子亭(032)933-7807.

◎旅行情報|江華郡庁文化観光課(032)930-3221,江華文化観光解説協議会(032)933-5441.

江華=文・写真イ・ビョンハク記者 leebh99@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/212/414932.html 訳J.S