世界女性デー(8日)の翌日の9日(現地時間)、ドイツ中部ヘッセン州カッセル市にあるカッセル大学は、学生の自治空間の前庭に設置された「平和の少女像」を奇襲撤去した。同大学の学生自治会が昨年7月、韓国およびドイツの市民団体であるコリア協議会に要請し、学生会館の前に建てた像だった。
この少女像には「ヌジン」(NÛZÎN)という名前が付けられていた。クルド語で「新しい人生」という意味だ。「慰安婦」被害者を象徴する少女像の名前をクルド語で付けた理由は、戦時性暴力が韓日両国関係を越える普遍的かつ国際的な人権と植民地主義の問題であることを強調して表示するためだった。少女像が片づけられた場所に置かれていた案内文に、第2次世界大戦時、ナチス・ドイツ軍が運営した慰安所に関する内容がより多く含まれていたことも同じ理由だ。
15日午後4時、カッセル大学学生会館前の少女像があった空地で、カッセル大学の学生とドイツ市民ら100人が集まった。ベルリンの少女像をずっと見守ってきたというゲッティンゲン市民のザッハさん(26)とカッセル大学の学生のリジャさん(24)は、「少女像を本来の場所に戻せ」というシュプレヒコールに声を合わせた。カッセル現地はもちろん、ベルリン、フランクフルト、ハンブルグなどドイツ全域から来た人々は、正式な説明なしに、少女像を突然撤去した大学を糾弾するための集会を開いた。
「日が昇る前に少女像を撤去したからか、誰も見た人がいません。拳で顔を殴られたような気分。まるで犯罪のように、盗まれたように感じられます」
カッセル大学学生自治会の幹部であるラルス・セフォさん(25)は、まだ少女像が今どこにあるのか行方は分からないと語った。大学は、学生たちの対話要請を無視し、今なお撤去に関する公式の説明をしないでいる。大学当局は、オンラインのウェブサイトに少女像の設置は「一時的」であり、「許可はすでに満了した」という立場だけを示している状態だ。セフォさんは「学生自治会は少女像を取り戻し、守りたい」と語った。
カッセル大学が学生との連絡・協議の代わりに奇襲撤去という「無理な方法」を取った背景には、現地の日本外交当局の圧力があったものと推定される。カッセル大学の元職・現職の学生自治会とコリア協議会の説明によれば、昨年7月8日に少女像が設置された後、日本の在フランクフルト総領事をはじめ、日本の右翼と市民らが大学総長と副総長など総長団に様々な形で「少女像をなくせ」という荒っぽい圧力を加えたとみられる。シュノア前学生自治会長は、直接受けたことがあるのかと問う質問に「私には日本の教授2人が直接手紙を送ってきた」として「返事をしなかったので、さらに攻撃的に行動した」と答えた。
学生自治会が昨年コリア協議会と少女像の永久賃貸契約を締結した際に副会長を務め、現在は会長を担当しているゼバスティアン・エルロスさんは、この日本紙に「大学が学生会と協議会の永久賃貸契約の内容をすべて理解した後、構内の公共の場所に少女像を設置できるよう許可した」と述べた。だが、大学総長団は2月末、学生自治会に少女像の撤去を公式に要求した後、9日に一方的に撤去を決めた。学生たちは、少女像が物理的に消えて空いた場所を見て、この事実を知った。
集会現場に出てきたあるドイツ在住韓国人は「大学の奇襲的な少女像の撤去を見て、過去に女性たちが『慰安婦』として強制的に連れて行かれた歴史が思い浮かび、いっそう胸が痛む」と述べた。だが、学生と市民が少女像を本来の場所に戻すことができるかどうかは未知数だ。法的には、大学が構内の公共の敷地の使用に関する許可の権限を有しているためだ。ベルリンのミッテ区に設置された少女像が、市民の世論に後押しされ撤去の危機から脱したように、カッセル大学の少女像の運命は、今後どれだけ多くの学生と市民が存続を要求するかにかかっている。現地の市民と学生たちは「少女像守り人」という名前で今後毎週水曜日に少女像があった場所でデモを続ける計画だ。