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[マガジンesc] シコシコしたコマ(灰貝) 飽きることなく ついばむ

登録:2010-03-11 14:35

原文入力:2010-03-10午後08:40:17(4224字)
escウォーキングマップ20.宝城(ポソン),筏橋邑(ポルギョウプ)一巡り
国内文学紀行 1番地, <太白山脈>の主舞台 筏橋の文化遺跡の中へ6km

←蔡東鮮(チェ・ドンソン)生家の塀の中に咲いた白梅花.

筏橋。日帝強制占領期間から韓国戦争に至る荒波の時期に、尖鋭な理念対立と葛藤が展開された場所の一つだ。隠されていた近現代史の裏面を暴いた趙廷來氏の大河小説<太白山脈>の主舞台だ。虹橋(アーチ橋)とコマ(灰貝)の故郷 筏橋は<太白山脈>以後、国内文学紀行の1番地に浮上した。太白山脈の重さに押さえられ陰に隠れて筏橋の文化遺跡たちが逆に光を失った感じすらする。路地毎に激動期を経た過去の痕跡が小説の登場人物たちと入り乱れ、枯れて残っている全南,宝城郡,筏橋邑に行く。村事務所から始まり、筏橋川を行き来して日式家屋と韓屋古宅たちを見ながら紅橋を経て再び村事務所に戻る。

‘木材を一本一本全部 煮て作った’宝城(ポソン)旅館

先ず村事務所1階の蔡東鮮記念館①に入る。"広い野原の東の果てに…" で始まる鄭芝溶(チョン・ジヨン)の詩<郷愁>に曲を付けた人が蔡東鮮(1901~1953)だ。筏橋出身の近代音楽の先駆者と呼ばれる。<故郷>(鄭芝溶 詩,または朴和穆(パク・ファモク 詩<望郷>,または李慇相(イ・ウンサン) 詩<懐かしくて>)等、私たちの耳になじんだ曲が彼の作品だ。記念館で彼の写真と楽譜,遺品に出会うことができる。村事務所の後には最近作られた蔡東鮮音楽堂がある。

道路整備工事が進行中の山沿いの横道に沿って町の中心街側に歩く。路地の片隅に残っている日式家屋たちが眼につく。三叉路で古びた赤レンガ造りの家(旧 金融組合建物・登録文化財)②に会う。金融組合から農協事務室を経て現在は農民相談所として使われている日帝強制占領期の建物だ。

"カボチャをちょっと栽培しようと思うんだけどさ、販路問題はどうだろうねー"  "試験栽培だねー。昔よりは良くなっているよー。これからは契約栽培たくさんやって別に問題ないけどねー。" 相談が真っ最中の事務所内の側壁に強制占領期間に金庫として使われた別室のどっしりした鉄門がぎこちなく残っている。

こちらは日帝強制占領期間の繁華街(本町通り)の入り口にあたる地点だ。日帝強制占領期間には周辺に郵便局(現 KT建物)・警察署(現 旅館・パン屋)等が集まっていた。反物屋や旅館,料亭も並んでいたという。日帝強制占領期間の筏橋の地位を示す痕跡だ。蔡東鮮の父親が100年前に開校させた筏橋小学校に向かう。

学校にまつわる住民たちの記憶。"幼かった頃、洪水になれば運動場に水が一杯になってどじょうがうじゃうじゃいた。" (住民 イ・ジョンヒ氏・58)  "麗水(ヨス)順天(スンチョン)事件の時、学校の運動場に住民を男女別に集めて手を触ってみて、習った人と習えなかった人を選び出した。" (パク・クモク氏・84)筏橋小学校正門のそばには2階建て日式家屋の旧 宝城旅館(登録文化財)③がある。1935年に "木材を一本一本全部 煮て作った" という木造旅館だ。 小説に警察討伐隊員らの宿舎である南道旅館として登場した。最近まで店舗として使われてきたが文化財庁が買い入れた後に現在復元工事を進めている。

‘死体がぐったりと並べられた’昭和橋の風景

"義祖父順天~筏橋間の鉄道工事で土方をして稼いだ金で建てたものです。"創業者の外孫 シン・ヨンチョル(62)氏は 「支所長も税務署長も赴任すれば皆 宝城旅館に宿をとったものです」と付け加えた。年末までに解体補修工事を終えて展示館・宿泊施設を備えた芸術家たちの創作・文化空間として活用される予定だ。

かつての造り酒屋跡(宝城旅館前の食堂・本屋一帯)を過ぎて‘ソップリガン’の場所へ行く。食堂とカラオケがあった場所で、40余年前までこちらに鉄釜や鋤を作る鋳物工場があったという。鋳物工場で毎日数十人分の食事の仕度をしまくったというパク・クモク氏が話した。「溶けた鉄が飛んできて、手に当たると何ヶ月も治らなかった。手でも足でも黒くなっていない人はいなかった。”

←コマ定食(訳注:コマ=灰貝はかつて日本にも広く分布していたが昭和40年代後半に絶滅危惧種になった。現在は有明海で少量がとれるが、市場には出回らない。極めて美味)

筏橋駅側に行く。肩たすきをかけた一行が握手攻勢をしながら路地を縫う姿から近づいた選挙の時節が実感できる。筏橋駅前の観光案内所で筏橋周辺観光地略図を得ることができる。第2芙蓉橋に行く道路脇には平日でも道の左右に市場④が立っている。汁にするコマ(灰貝)・トリ貝、ノビル・ナズナなど春の柔らかいナムル屋台が立ち並ぶ。ゆでておかずとして主に食べるコマ 1㎏ 5000ウォン,祭祀の膳にも上がる高級真コマは9000~1万ウォン、タレをふりかけて刺身で食べる大きなピコマは1万5000ウォン。

第2芙蓉橋を渡って見下ろせば、葦畑の間に泡を立てて上げ潮が筏橋川の上流に駆け上っている。30~40年前までは、ここまでコマを積んだ船が入ってきたという。橋⑤を渡って、右側の鉄橋のかかった下流側に日帝強制占領期間に住民を動員して積んだという中道堤(ナカシマ堤)⑥が続く。住民たちは第2芙蓉橋ができるまで、危険を冒して鉄橋を歩いて渡った。筏橋第一高(旧 筏橋商高い)を過ぎ、帝釈山の山裾に上がれば両側に並ぶ一抱えもある桜の間に太白山脈文学館⑧と朴氏祭閣⑦が姿を表わす。

朴氏祭閣は<太白山脈>冒頭に玄富者の家として描写される韓国・日本の住宅様式が混在された家屋だ。小説のようにパッと開けた展望を誇る明堂だが興味は新しく建てた建物より麓に向かって駆け上がった土石垣と斜面につくられた池に注がれる。池のまん中には土を盛り島のようになっているが、昔はここにウサギを放し飼いにしていたという。母屋そばの大きな椿はすでに山裾に赤い花を厚く敷きつめ探訪客たちのシャッター攻勢を受けている。太白山脈文学館には小説を構想して書き弾圧を受け脅迫を受け、出版されるまで6年間の執筆過程,取材ノート,肉筆原稿,マスコミの報道内容,趙廷來氏が使った物品などが展示されている。

1939年に作られた石造礼拝堂 回亭里教会(現 デクァン子供の家)⑨を見て、筏橋川昭和橋(第1芙蓉橋・1931年)⑩に行く。血なまぐさいにおいのする理念葛藤,住民たちの苦痛が深く刻まれた橋だ。小説に出てくる“昭和橋の下の干潟や浅瀬に死体がぐったりと並んで・・・・”という場面ではなくとも、筏橋の年配の方、誰に尋ねても似たような話が出てくる。“一列に立たせておいて銃を撃ち水に落とした。死体と血が上げ潮・引き潮に乗って流れた。村事務所周辺と昭和橋の下にはいつも死体が積まれていたようなものだ。”

←イム・ボンヨル家屋(キム・ボンウンの家)の紅梅

かつての矢場である古い観徳亭(5年前に逆後方へ移転)建物を遠くから見て鳳林里のイム・ボンヨル家屋(旧 キム・ビョンウク 家屋)⑪に行く。雄壮な壁が引き立って見える。古びてはいるが清潔な情緒がにじみ出てくるこの古宅は、小説で‘キム・ボンウンの家’として描写される。 母屋のそばの庭に大きく開いた紅梅・白梅の花のつぼみ、香りがほのかだ。

‘マッコリ 一杯ずつ注ぐ’布教堂のイブキ

←宝物304号筏橋虹橋(ポルギョホンギョ). 前方の3つの虹型橋が過去の虹橋だ。

宝物304号虹橋⑫を眺めながらポンニム橋を渡る。筏橋聖堂をすぎて路地に入ると虹橋里敬老堂そばの路地に古い韓屋が佇んでいる。“これが李承晩の時に国会議員を務めたキム・某家だが、この頃、塀を新しく積み直している”(住民 カン・デピョン氏・78) 路地を回って出てくると虹橋と洪水で橋が切れた時に修理して建てた断橋重修碑など6ヶの碑石の群れ⑬に会う。一部はすりへり刻んだ文字が落ちてしまった姿だ。虹橋は橋の下に降りて行き見上げる姿が美しい。過去の石はそれほど残っていないが、3個の虹型橋の下に設置した龍頭が残っている。

松広寺,筏橋布教堂⑭には一抱えもあるイブキがあり、立ち寄るに値する。“毎春 いぶきにマッコリ一杯ずつを注いであげる”という住職ポリ僧侶は「この布教堂が日帝強制占領期間に夜学活動がなされた場所」と説明した。塀の中に白い梅が豪華に咲いた蔡東鮮生家を見ると、日が暮れた。歩き終えて、噛みしめるとシコシコとした味が絶品という筏橋コマを味わいに食堂へ向かった。 約6kmを歩いた。

←地図グラフィック デザイン(※クリックすればさらに大きく見ることができます。)

ウォーキング メッセージ

ついでに楽安邑城(ナガンウプソン)まで…

湖南高速道路住岩出入り口から出て27号国道に乗り、松広寺入口,外西面を経て、筏橋邑に行く。昇州出入り口から出て857号地方道に乗り仙巌寺入口,楽安邑城を通って行ってもかまわない。町にはコシギコマ食堂(061-858-2255),クギル食堂(061-857-0588)等、コマ定食・コマピビンパを出す食堂が多い。3月末までが旬。茹でたコマとコマお好み焼き・コマ刺身の和え物などが出てくる定食はたいてい1万2000ウォン内外で高い方だ。ポンニム橋の前の筏橋ウロン屋(061-857-7613)はタニシ料理専門店。タニシを入れて沸かした味噌汁(ウロンタン・6000ウォン)がさっぱりしている。春から秋までが旬。筏橋で独立運動家であり大倧敎創始者でもある羅喆(ナチョル)先生の生家(七洞里),もう一つの昔の石橋である逃馬橋と石碑(典洞里),亭子 翠松情(古邑里)も見るに値する。筏橋からほど近い美しい韓屋村のカンゴルマウル,楽安邑城もある。筏橋邑事務所(061)850-5601.宝城郡庁文化観光課(061)850-5224.

筏橋=文・写真 イ・ビョンハク記者 leebh99@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/212/409336.html 訳J.S