本文に移動

ハン・ホング司法府-悔恨と汚辱の歴史40.裁判官に対する理念教育試み(下)

登録:2010-03-08 12:01

原文入力:2010-02-28午後09:21:20(4511字)
"判事 安保思想 不十分"の指摘に 裁判所 公安検事を呼び特講
安全企画部, 韓総連事件の後 裁判官理念教育 試み
無罪判決判事に‘左翼保護勢力’罵倒も
ソウル地裁‘公安特講’波紋 国会でも論難
保守言論まで "判事 意識化 試み" 批判

←ソウル大・延世大など大学生10人余りが1997年1月23日午後、ソウル地下鉄電車内で黒マントをまとい、安全企画部法の撤回を要求する沈黙示威を行っている。金泳三政権は韓総連事件以後の公安ムードの中で、1996年末に安全企画部法闇討ち通過を通じて安全企画部の捜査権を復活させた。安全企画部は自分たちが捜査した事件に司法府が無罪や軽い刑を与えるのではと憂慮し一貫して判事たちを飼い慣らそうとした。 <ハンギョレ>資料写真

安全企画部の捜査権廃止と韓総連事態

1996年8月の韓総連事態にかかわったある裁判所は、5共和国時期の司法府と見まがうほど権力に協調的だったが、安全企画部は相変らず司法府を快くは思わなかった。安全企画部は民主化以後、過去のように判決に介入できなくなった上に、学生運動出身裁判官も出てきて非常に不安になった。

1991年5月の国家保安法改定以後にも1995年1月には釜山地方裁判所パク・テボム部長判事,1996年3月にはソウル地方裁判所パク・シファン判事など中堅裁判官らが国家保安法違憲審判を提請するや安全企画部の不安は加重された。これより先立って1993年12月の安全企画部法改定で国家保安法7条(鼓舞・称賛)と10条(不告示)に対する安全企画部の捜査権が廃止された。これは公安機関に対する民主的統制という観点で見る時、とても初歩的な変化ではあったが安全企画部の権限が初めて縮小された事件だった。捜査権廃止により韓総連事件関連者を‘公式的’に捜査できなかった安全企画部は、これらの拘束令状が棄却されたり執行猶予判決が下され "時局認識が著しく不十分" な裁判官に対し何か対策をたてたがった。しかしすでに安全企画部が直接司法府に対し強力な調整や統制をすることは難しかった。

公安政局と理念教育強化

そのような折り、金泳三大統領は韓総連事態と関連して "大学生たちの暴力デモに対する根源的な処方として新しい理念教育の枠組みを用意することを政府に指示" した。大統領は学生たちに対する理念教育方案を用意せよと言ったが、安全企画部は判事に対する理念教育をしようと考えた。<法曹界の一部,判事理念教育 必要性指摘>という安全企画部報告書は「法曹界の一部では最近公安事件発生などを契機に、判事らに対する理念教育の必要性を提起」しているとし 「予備法曹人らの教育機関である司法研修院に体制守護意志を後押しするための理念教育課程が用意されていない上」「検事たちは法務研修院で随時理念教育を受けているのに比べ、裁判官は別途教育課程がなく安保思想が欠如しやすいため」「司法研修院に理念教育講座を開設する一方、裁判官らに北韓情勢,左翼運動圏の実状を知らせられるよう特講の機会などを随時用意しなければならない」と主張した。

この当時、司法研修院の教育課程には研修院生たちが1年目6月に安全企画部庁舎を訪問し安保教育を受けることが定例化されていた。安全企画部はこれに満足せず、研修院生と裁判官に理念教育を実施しようと建議したのだ。安全企画部は韓総連事態発生以前の1996年6月24~25日、司法研修院1年目らを新庁舎に呼び "社会各界の左翼勢力" に言及する中で "特定時局事件の無罪宣告や令状棄却を例にあげたスライドを放映" した経緯がある。この時、一部研修院生らが不満を表わしたが、このスライド教育は安全企画部内で行われたためか外部に広く知られなかった。

予備軍訓練で判事非難し物議

韓総連事件に続き9月18日江陵に北側潜水艦が浸透する事件が起き、安全企画部は積極的に理念教育を始めた。ところが安全企画部が外郭団体名義で製作・配布したビデオ教育資料が大きな問題を起こした。11月9日から主要言論は“情報機関や予備軍訓練場で当局が時局事件の拘束令状を棄却したり裁判で無罪判決を下した判事を狙い‘韓総連保護勢力’‘左翼保護勢力’等と表現したビデオテープを上映すると明らかになることにより、大法院が真相調査を始めた”と報道した。問題のテープは“韓総連令状が棄却された当時のあるテレビ ニュース画面を借り‘左翼同調者’というセリフを巧妙に挿入”したが“ニュース画面は法服を着た判事の形を絵で描くことで処理し登場させた後、横に‘韓総連デモ学生令状棄却-証拠不充分’という字幕を入れた”ということだ。ビデオはこういう画面に“私たちの社会には左翼同調者が多い。これによってまだ韓総連事態を擁護する行動と発言,マスコミの報道およびコラムが継続的に出てきています”というナレーションを付けた。言論は“ビデオを見た人は誰でも令状棄却判事を‘左翼同調者’と連想するほかはない”と報道した。

司法府,特に所長裁判官たちは“裁判官が法と良心に従い判断した裁判結果に対し‘保護勢力’などの表現を使うことは司法権の侵害で見ざるを得ない”として激昂した。安全企画部は中間幹部が出て‘実務者の失敗’と弁明することでごまかそうとした。しかし大法院長が休暇を中断しソウルに戻るなど、裁判所の雰囲気が尋常でないと見て、結局 安全企画部長 クォン・ヨンヘが電話で公式謝罪と再発防止を約束し、その内容を書いた公文書を大法院に送った。これで事態は一段落したが、安全企画部が外部に謝罪文を送ったのは初めての出来事だった。

安全企画部はこうしたことまで起きたにもかかわらず執拗に安保教育を押し進めた。安全企画部は11月14日と19日、ソウル市内高校校長227人を安全企画部に呼び‘民主市民統一安保教育’講座を、20~22日には倫理・社会科教師528人を動員し同じ教育を実施した。一般国民に対する安保教育,理念教育は安全企画部法に規定された職務範囲から明確に逸脱したことで、政府組織法上は統一院と教育部が引き受けなければならないことだった。金泳三政権は韓総連事件以後の公安ムードの中で、1996年末に安全企画部法の闇討ち通過を通じて安全企画部の捜査権を復活させた。安全企画部は自分たちが捜査した事件に司法府が無罪や軽い刑を与えるのではと憂慮し、一貫して判事を飼い慣らそうとした。

公安検事による判事相手の韓総連特講

政府当局の韓総連に対する強硬気流は年が変わっても相変わらずだった。1997年の韓総連第5期出帆式暴力デモと関連し拘束された学生たちの数は何と195人に達した。検察は1996年の延世大事態時は単純加担者27人を起訴猶予したが、今回は暴力デモを根絶するという次元で拘束者全員を起訴するという方針をたてた。こういう状況でソウル地方裁判所刑事部判事20人余りは6月14日ソウル地検公安2部長シン・ゴンスから‘学生運動の変質と実体’という主題の特講を聞いた。この特講は判事らの要請で用意されたが、特別な討論や質問なしで1時間進行された。

安全企画部はこの特講に対し次のような報告書を上げた。“法曹界の一部では/ (…)/裁判所が昨年延世大乱動事件関連拘束者473人中430人余り(91%)に執行猶予を宣告するなど、裁判官の時局認識が著しく不十分だと指摘し/去る6.14ソウル地方裁判所のソウル地検公安2部長招請講演時、一部言論が韓総連事件裁判に影響を及ぼしかねないと批判したにもかかわらず/講演に参加した判事らは左翼勢力の実状を理解するに際しとても役に立ったと好評しただけに//裁判所にとって北韓専門家または公安分野に精通した学者などを招請し自然に理念教育を実施するよう誘導する一方、この際 司法研修院の安保教育も強化しなければなければならないと提言している。”

安全企画部の報告書はいつものように‘法曹界の一部’という表現で友好的な世論だけを紹介するが、この事件で法曹界と言論は非常に騒々しかった。民主弁護士会だけでなく弁護士協会も裁判所がこういう講演を用意したこと自体が刑事訴訟法の根本原則に外れることだとより強力に批判した。弁護士協会と民主弁護士会がこの説明会を批判した内容は、安全企画部の一日動向報道にも紹介されている。保守新聞もやはり“判事が社会的論難となっている争点に対し、担当検事から説明を聞くのはきわめて異例なこと”で“この日の講演が公安担当検事が判事らを教育する形式を取ったという点で公安検事を通じた判事らの意識化ではないのかという一部指摘”もあると報道した。言論の報道は“裁判所周辺”では“判事らが学生運動の現況を把握しようとの趣旨は良いが、韓総連事件担当検事から講義を受けたことが裁判に影響を及ぼすのではないかとして心配することも”したなど批判的な内容が主だった。

<ハンギョレ>は社説と記者の論評を通じ、韓総連事件裁判を控えた判事らが集団で裁判の一方当事者となる公安部長を招請し‘韓総連特講’を受けた事実を“奇怪なこと”と強力に批判した。裁判所が“判事らはすべての事件に対し予断を持たず証拠を土台に判断をしなければならない”という刑事訴訟法の大原則を破ったということだ。この新聞は刑事訴訟法に“裁判が始まる前には控訴状を除く一切の検察捜査記録を見ないようにした‘起訴状一本主義’を規定していること”は“裁判官の先入観を最大限排除するためのもの”と指摘した。またこの新聞はこの講義が裁判所の要請によってなされたという点は“すべての裁判官は個別的な事件に対し独自に判断しなければならない”という原則を無視したものと批判した。この新聞は今回の特講波紋は過去の独裁政権時期の‘正札制判決’‘自販機判決’等の悪夢を思い出させるとし、“検察の特講を受けた判事らが集団的予断をしたあげく韓総連関連学生たちに鯛焼きのように同じ判決をするならばどうすべきか”として憂慮した。

公安検事の判事らに対する韓総連特講波紋は国会にも飛び火した。1997年7月8日に開かれた法司委で検事出身のチョ・チャンヒョン議員は“果たしてこれがこれで良いことなのか”と嘆いた。チョン・ジョンベ議員は裁判所がまだこの問題が司法府の独立性と公正性をどれくらい侵害することなのかに対する認識が不足していると叱責した。彼は“裁判官が公判廷外でも検事から控訴事実と関連がない内容の講演を聞くならば裁判の公正性は維持される道理がなく、裁判に対する国民の信頼度危機に処することになるだろう”と警告した。

ハン・ホング聖公会大教授・韓国史

原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/214/407271.html 訳J.S