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[3・1記念日特集]韓-中-日歴史教科書分析 | 古代・中世史争点

登録:2010-03-01 08:48

原文入力:2010-02-28午後07:25:35(1649字)
中・日‘渤海は中国の属国’
朝貢・冊封 根拠に規定
国家運営 独自性 看過

←歴史的争点に対し韓・中・日の中学校歴史教科書はどのように記述しているか(※クリックすればさらに大きく見ることができます)

東アジアを構成する韓・中・日3ヶ国教科書に叙述された韓国歴史の姿は少なからず違う。すべての国は歴史教科書で自国の歴史を美しく肯定的に描写しようと努める。しかし隣の歴史を公正でなく叙述することは望ましくない。

3ヶ国の歴史教科書で最も早い時期の事実で問題になるのは‘漢四郡’だ。一部の日本教科書は漢が朝鮮半島を攻撃し楽浪郡などを置いたと言い、地図で忠南の一部まで漢と魏の領域として表わしたり、朝鮮半島の大部分を領土としたと叙述している。黄海道に設置された帯方郡の中心が今のソウル付近だったと記述している本もある。漢が支配した領域を誇張することも問題だが、漢四郡以前の韓国史を叙述せずに我が国の歴史が事実上漢の支配から始まったと見えることになっている点がさらに大きな問題だ。中国の古代韓国史記述はこの間漢四郡より文化交流に重点を置いてきたが、今はそれさえも見当たらない。

日本の教科書に見える深刻な叙述は‘任那日本府’に関するものだ。これと関連した‘東京書籍’の<新しい社会歴史>の記述を見れば、"5世紀頃、大和政権が韓半島の南部任那(伽耶)に拠点を設置し、韓半島南部を軍事的に指揮する権利を中国皇帝から認められるために南朝に使節を派遣した" と書いている。これに比べ、韓国教科書は伽耶の発展や百済と倭の交流に関し叙述するだけで任那日本府は否定している。日本の教科書が韓国歴史を漢四郡・任那日本府を中心に記述しているのは韓国史が中・日の影響を受け他律的に始まったというわい曲された見解を植え付けかねない。

朝貢・冊封関係を見よう。古代東アジアは勢力が強かったり文化的に優位にある国家に貢物を送り、そこから冊封を受ける朝貢・冊封関係という独特の国際秩序によって維持されてきた。ところが中国の教科書は冊封を受けた国家が中国の属国、はなはだしきは地方政権だったと記述している。渤海が良い例だ。日本の代表的な歴史わい曲教科書に挙げられる‘扶桑社’教科書は冊封を受けたという理由で朝鮮を中国の属国と表現し、日本は朝貢・冊封体制から抜け出ていたことを強調する。しかし古代から東アジアに存在した朝貢・冊封関係の実際の姿は時代ごとに異なり、一国家の自主性有無は形式的外交関係だけでなく国家を独自に運営したかどうかによって決定されることだ。したがって冊封を受けたという点が属国や地方政権の根拠とはなりえない。

←アン・ビョンウォン‘アシア平和と歴史教育連帯’共同代表(韓神大教授・国史学)

倭寇の構成も論難の的だ。‘東京書籍’は倭寇を描写して "倭寇の中には日本人以外の人も多かった" と書いている。中国では倭寇の出没とそれを撃退した戚継光の活躍を強調しているのみだ。中・日教科書は共に倭寇による中-日の摩擦と交流を扱っているだけで朝鮮が受けた被害には言及していない。

壬辰倭乱に対して‘扶桑社’は‘出兵’と表現し、侵略戦争だという点を隠しているが、‘東京書籍’は朝鮮侵略と明確に記述し朝鮮民衆が受けた被害と日本軍の残虐行為,陶磁器製造技術者の連行などに関し叙述している。中国では1950年代から壬辰倭乱を‘朝鮮を助けた戦争’(援朝戦争)と教え、戦争の過程,明国軍隊の活躍と貢献,李舜臣将軍の戦史などを詳細に叙述したが、今はほとんど叙述していない。

アン・ビョンウォン‘アジア平和と歴史教科書連帯’共同代表(韓神大教授・国史学)

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/407306.html 訳J.S