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日帝残滓の‘不快な真実’

登録:2010-01-16 14:38

原文入力:2010-01-15午後09:20:13

キム・キュウォン記者

←<統監官邸, 忘れられた庚戌国恥の現場>イ・スンウ著/ハヌルジェ・1万5千ウォン

1899年4月、ソウルの新門(敦義門・西大門)から東大門外の清涼里まで電車が開通した。当時‘電気鉄道’‘電気車(チョンギゴ)’‘電車(チョンゴ)’とも表現した電車は朝鮮人に驚くべき近代の文物だった。

2006年韓国放送テレビのあるプログラムはこの電車開通が東洋最初だったと報道した。その根拠は日本,東京では1903年に電車が初めて開通し朝鮮より4年も遅れたという事実だった。このプログラムでは電車開通を根拠に大韓帝国の近代化水準が世界列強と比較しても決して遅れをとっていなかったと報道した。

ところが、こういう報道は二重に誤った内容だった。ソウルの電車開通は東京よりは4年先だったが日本の京都よりは4年遅れた。したがって東洋最初の電車という報道は事実ではなかった。さらに東京の電車開通がソウルより4年も遅れたのは、東京の近代化がソウルより遅れていたためではなかった。東京には電車の代わりに‘鉄道馬車’という価格が安く速い交通手段があったので、あえて電車に急いで切り替える理由がなかった。当時この報道はこの懸案に対する正確な事実も奥深い真実もなかったわけだ。

韓国人は近現代日本に対し強い反感と劣等感を持っており、それは古代や中世日本に対する果てしない優越感として現れたりもする。問題はこういう長く複雑な感情のために時々韓国人たちが前の見えない愚かな人になるという点だ。

例えば2008年にソウル市が大部分壊してしまったソウル市庁建物の形は日帝が漢陽のど真ん中に刻み込んだ‘大日本’という字の‘本’字に該当するという俗説があった。しかし当時の記録を探してみれば、設計者はそれを‘本’字ではなく‘宮’字と認識していたという点を確認することができる。

イ・スンウ私たちの文化財資料研究所長が書いた<統監官邸, 忘れられた庚戌国恥の現場>は韓国近現代史に対する‘物静かな’事実と真実検索の3番目の成果だ。前にもイ所長は2冊の‘ゆがんだ近代歴史の跡を検索する’という本でこういう‘不快な’事実と真実を捜し出し世の中に知らせてきた。今回の本でも彼の不快な問いは続いた。

特に今回の本ではこういう不快な真実の他に、日帝の痕跡が深く宿しているが韓国人たちがそこまで悟れていない事実も発掘して書いた。現在は空地として残っている庚戌国恥の現場である‘統監官邸跡’,景福宮ではなく南山倭城台に位置した初めての‘朝鮮総督府の跡’,仁王山に彫られた‘東亜青年団結’という文字,長谷川韓国駐在日本軍司令官の官邸であった韓国銀行後方駐車場,朝鮮国王と朝鮮総督間の距離を狭めた清渓川‘観水橋’,国会議員の‘歳費’という表現,仁川の‘松島’という地名など。
著者の美徳はいくら日帝の行為が憎くても、日帝が(誤って)したことでないものは、そうではないと言う勇気を持っているという点だ。韓国人が近現代歴史について持っている偏見と固定観念に挑戦するという点で、著者の文はどんな言論人の文よりもジャーナリスティックだ。同時にそのような挑戦が文献と現場に対する執拗な追跡を土台としているという点でもやはりジャーナリスティックだ。

キム・キュウォン記者 che@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/399220.html 訳J.S