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「娘のすい臓を提供したキンバリーさんに会いました」母の熱い抱擁

登録:2020-01-21 09:28 修正:2020-01-21 13:27
2016年1月に臓器提供で全世界27人に命を伝えて亡くなった故キム・ユナさんの母イ・ソンギョンさんが20日午前、ソウル中区のプレスセンターの記者会見場でユナさんから臓器提供を受けた米国人のキンバリーさんと抱き合っている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 英語とスペイン語を勉強して航空会社の乗務員になりたいと言っていたキム・ユナさん(当時19歳)は、2014年5月に米国アリゾナ州にあるトライシティ・クリスチャンアカデミーに留学した。2016年1月、ユナさんは学校に行く途中で交通事故に遭い、脳死状態に陥った。ユナさんの両親のキム・ジェバクさん(54、リプリーの奇妙な博物館代表)、イ・ソンギョンさん(49)夫婦は、もはや助かる見込みのない娘の臓器を他の人に提供することに決め、ユナさんは全世界27人に命を贈り、この世を去った。それから4年が経った20日、ユナさんから腎臓とすい臓の提供を受けた米国人のキンバリーさん(23)が、ユナさんの家族に会うために韓国を訪れた。臓器提供者(ドナー)の遺族と移植を受けた人が出会ったのは、韓国では初めてのこと。

 韓国の臓器提供運動30年を迎え、「愛の臓器提供運動本部」(以下、本部)が20日、ソウル中区(チュング)のプレスセンターで国内で初めてドナーの遺族と移植を受けた人の出会いを進めた。

 今回の出会いでキンバリーさんはユナさんの家族に「ユナがくれた命で健康な人生を送れるようになった」と話し、「この感謝と喜びの気持ちは、とても言葉で表現することができない」とし、「いつもユナを胸にとどめて生きる」と話した。2歳の時から小児糖尿病で闘病していたキンバリーさんは、18歳の時に糖尿合併症で腎臓が完全に損なわれたが、19歳になったころユナさんから腎臓、すい臓を移植されて健康を取り戻した。母親のイさんは「ユナは明るくよく笑うしっかりした長女だった」と語り、「あまりに早く私たちの元を去っていったが、ユナの死が無駄にならず大きな希望になったので娘が誇らしい」と答えた。

 出会いの後、本部は「国内法はドナーの遺族と移植受給者の交流を妨げている」とし、「今回の出会いのように、彼らの交流がより活性になるべきだ。法改正を通じ、少なくともドナーの遺族と移植受給者の間の書信交流くらいは可能にしなければ」と求めた。臓器などの移植に関する法律31条は、ドナーと移植受給者が互いに個人情報を与え合うことを禁じている。金銭などがやり取りされる可能性があるという懸念のためだ。キムさん家族とキンバリーさんとの出会いは、米国で臓器を提供したため実現することができた。しかし本部側は、ドナーの遺族と移植受給者が1対1で会わずに機関を通じて交流すれば、そのような懸念を軽減することができるという立場だ。本部のキム・ドンヨプ事務処長は、「ドナーの遺族と移植受給者が直接書信交流を行うという話ではない」とし、「機関の仲裁の下、定められたマニュアルに従い、お互いに負担にならない程度に消息だけを伝えるということ」と強調した。

故キム・ユナさんから腎臓とすい臓の移植を受けたキンバリーさん(左から3番目)とユナさんの両親のキム・ジェバクさん(一番左)、イ・ソンギョンさん(左から2番目)が出会って抱き合っている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 脳死臓器提供者遺族の会である「ドナーファミリー」も、「家族の命を受け継いだ人の消息が知りたい」とし、「元気に過ごしているという安否だけでもやりとりできるようにしてほしい」と口をそろえた。2011年に脳死した息子の臓器を提供したチャン・ブスンさんは「息子を見送った後、私に必要なひと言は『お母さん、よくやったよ』という言葉だった」とし、「その時私たちの息子の命を受け継いだ誰かが『ありがとう』『元気に生きていきます』という手紙の一枚でも書いてくれたら、大きな悲しみの中でもまた立ち上がる勇気を持てたはず」と訴えた。2010年に脳死で息子を亡くしたドナーの遺族のイ・デホさんも、「息子は7人の命を生かして亡くなった」とし、「私はただ、同じ空の下のどこかで一生懸命生きているであろう人々の消息が知りたいだけ」と話した。

キム・ミンジェ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/925079.html韓国語原文入力:2020-01-20 20:26
訳C.M

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