原文入力:2009-01-12午後09:19:18
ハンギョレ-参加連帯 共同企画
民生ニューディール 庶民経済再生 緊急提案
崖っぷちに立つ中企・小商工人
イ・ジョンフン記者
←釜山である中小企業を経営するソン・某社長が景気不況で稼動さえできない新装備を指差している。この装備は2億ウォンをかけて昨年6月用意した。
中小企業と小商工人は庶民経済の動脈だ。労働者10人中約9人はこれらを通じて生計を営む。私たちの経済の動脈が経済難で今致命打を受けている。原材料価格上昇と資金難等で多くの零細企業が倒産するなど枯死状況に置かれている。零細企業主たちの相次ぐ自殺はそのすさまじい実状の傍証だ。事情がこうであるにも関わらず政府対策は‘凍った足に小便’で事実上無対策に近い。経営難で心配されている釜山のある零細企業社長とソウル小商工人の切迫した状況に対する政府の具体的な対応が切実だ。
釜山で自動車部品業者を経営するソン・某(58)社長は最近になってしきりに取り引き企業等から電話を受ける。大部分がソン社長が納品している製品価格を低くしてくれという内容だ。記者が訪ねた時には小さい機械音さえない状態で一人で電話を受けていた。彼は「一律的に4%下げろというでしょう?そうなったら私たちは死ぬほかはありません」として何回も大声で争った。彼の会社は五種類のアルミニウム製品を作ってGMデウ協力企業等に納品しているが、製品種類に関係なく4%ずつ納品単価を低くしてくれという要求に彼は掌を振って断った。
釜山で自動車部品業者経営S氏
先月稼動率30%…“単価削れ” 要求ばかり殺到
政府金融支援策信じて訪ねた銀行では‘門前払い’
■景気低迷と単価引き下げで赤字累積
ソン社長の工場はGMデウの休業の影響で、昨年12月20日から今年1月4日まで門を閉めた。それでもソン社長だけはもしかして購買者が訪ねてくるかもしれないので1月1日を除いては会社を守った。だが彼を訪ねて来るのは皆納品単価をまけろという電話だけだった。皆原材料(アルミニウム)価格が下がったので納品単価を下げてくれというということだった。
納品単価の70~80%を占めるアルミニウム価格は2007年下半期 kg当り2200ウォンから2008年上半期3100ウォンまで噴きあがった。40%以上上がって既存注文を対応しようとすれば赤字を見るほかはなかった。だが元請け業者は原材料価格上昇分を納品価格にまともに反映しなかった。原材料値段が上がって3-4ヶ月すぎて2600ウォンまで認めた。2008年下半期からは事情が突然変わった。最高点を越えて徐々に価格が下がって行くや元請け業者は直ちに納品単価引き下げを要求した。1ヶ月の間に三,四回ずつ原材料価格が下がったので納品単価も下げようと調整を要求した。追加で下がって行く展望だとし現在の2200ウォン水準より低い2160ウォンにしようという要求もあった。
ソン社長は「刃物を握った人が相手だから要求を聞き入れるほかはない」として「単価を低くすれば赤字を見るしかないが、それだけでも受けようとするなら弱者の立場では‘泣きながら芥子を食べるしかない’式に受け入れるほかはない」と語った。この日も受話器をつかんで元請け業者キム・某次長と言い争いを行ったが結局要求を受け入れた。ソン社長の会社の昨年売り上げは14億ウォン程、原材料価格上昇,納品単価引き下げなどの困難で売り上げが前年より70%も減った。大幅赤字が避けられなかった。
■去っていく職員たち
ソン社長は1994年アパートを売って用意した1500万ウォンを元手に妻と二人きりで工場を作った。当時はソン社長が機械を操り、妻が製品を整理した。これをまたトラックにのせて直接納品した。睡眠が足りなくてうとうとし接触事故を起こしたことも多かったし、工場で卒倒して応急室の世話になったことも少なくない。それでも品質を認められて得意先が一つ二つ増えて工場も大きくなった。2006年には産業団地の場所を譲り受けて立派な工場を建て売り上げも数十億ウォンを誇る所まで成長した。
だが最近6ヶ月間にまき起こった危機は去る15年の歳月を吹き飛ばしてしまう勢いだ。GMデウが生産量を減らして注文も減ったし、それにより工場稼動率が下がった。昨年12月の稼動率は30%に過ぎず1ヶ月に一週間程度だけ工場が稼動した。2007年20人に達した職員たちも一人二人と会社を離れてゆき現在は10人だけ残っている。
■むなしい政府対策
ソン社長は原材料購入と人件費など運転資金をつくろうと銀行を訪ねたが、お金の苦労がますます厳しくなっている。昨年初めまでは借りて行けといった銀行は門を堅く閉めて久しい。ソン社長は昨年末、技術保証基金(技保)を訪ねた。銀行貸し出しを受けられるように保証をしてくれと要請した。しかし売り上げ減少と担保不足などを理由に拒絶された。去る8日政府が技保の保証限度拡充などを含め50兆ウォン規模の中小企業支援対策を発表するやまた訪ねた。だが効果がなかった。ソン社長は「政府が発表した対策を信じて訪ねたが今回は‘雇用保険料を延滞して200万ウォン余りの差し押さえがあるのでできない’と拒絶された」として「職員が‘(小額差し押さえでも貸し出しをしろとの)政府政策は出されたがまだ伝達されていなかった。6ヶ月後にでも訪ねてきなさい’と言っていましたよ」と話した。
担保力が不足した技術革新型企業に貸し出しをするという政府政策からもソン社長は疎外された。彼は「技術革新型企業,先進企業など規模の大きい所に対しては奨励策が多い」として「うちのように職員10人余りの小企業に政府政策は‘見た目のよい満州杏(見掛け倒し)’だ」と話した。
逆に負担は日増しに増えている。元請け業者の提案で昨年2億ウォンをかけて導入した新しい設備は稼動さえできないまま毎月利子だけで90万ウォンも加わる。2006年に借りた中小企業振興公団の政策資金1億8千万ウォンも今年から分期ごとに1500万ウォンずつ償還しなければならない。彼と似た境遇の周囲業者社長の相当数は安値で工場を売って団地を離れた。
創業以来15年間、1ヶ月以上工場を停めたことがないというソン社長は代わりに長期間の休業を考えている。彼は「1月の工場稼動日が7日に過ぎず、いっそ工場を停めた方が良くはないかと思う」と話した。「社長の私がこういう話をしてはいけないが、この頃は本当に出勤したくない。半分しか残らなかった職員らに月給を払う自信もなく、いつまで持ちこたえることができるかわからない。」ソン社長に2009年1月の冬風がとりわけ冷たく見えた。
釜山/文・写真イ・ジョンフン記者