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100年ぶりに‘西大門’復活

登録:2009-10-22 11:31

原文入力:2009-10-21午後07:09:54
日帝 撤去‘敦義門’ 2013年までに復元

ソンチェ・ギョンファ記者

←‘新門’(敦義門・西大門)

‘新門’(敦義門・西大門・写真)がよみがえる。敦義門は太祖5年(1396年)にソウル城郭の4大門の一つとして南側の崇礼門,北側の粛靖門,東側の興仁之門と共に造られた門だ。以後、世宗4年(1422年)に敦義門を現在の位置に再び造り人々は両門を新門と呼んだ。現在の新門路などの名前はここから出た。しかし、この名称は日帝強制占領期に韓国に居住した日本人らによって‘西大門’に変わり、敦義門自体も1915年日帝の都市計画により完全に撤去された。

ソウル市は4大門の中で唯一残っていない敦義門を2013年までに原形どおり復元すると21日明らかにした。敦義門の位置はソウル,江北三星病院と京郷新聞社の間で、敦義門復元のために西大門四つ角の高架車道も撤去される。敦義門周辺には1万6666㎡規模の‘敦義門歴史文化公園’が作られ、近隣の慶熙宮,京橋荘などと関連づけられる展望だ。

ソウル市は敦義門と共にソウル城郭全区間と周辺地域に対する復元・整備にも本格的に出ると明らかにした。これに伴い仁王山区間835m,南山区間753m,東大門運動場263mなど計7ヶ区間2175mの城郭が2013年までに復元される。道路により城郭が切れた区間は道路上にソウル城郭の位置を表示し興仁之門~梨花女子大病院,恵化門~カトリック大など6ヶ区間182mには陸橋を城郭の形で作ることにした。2013年以後には個人所有の土地と建物を買い入れ城郭4035mをさらに復元し4小門の一つである昭義門(西小門)も復元する計画だ。

ソウル市は2013年、敦義門復元が完了すればソウル城郭,北漢山城,蕩春台城とまとめて朝鮮王朝の都城防御遺跡としてユネスコ世界文化遺産への登載を推進すると明らかにした。

ソンチェ・ギョンファ記者khsong@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/383162.html 訳J.S