原文入力:2009-10-09午後02:51:29
[ハニTV ‘もっとインタビュー’と共にするハンギョレが会った人]
民主労働党 イ・ジョンヒ議員
パク・チャンス記者,キム・ジウン記者,キム・ギョンホ記者
←常に戦いの現場で先頭に立つ姿で映ることに対してイ・ジョンヒ議員は「いつも(行動する)直前まで悩む。民主主義原則が根元から揺れる状況でどこまで対応するのが正しいのか,どこまでが許されるのか、いつも悩む」と話した。キム・ギョンホ記者jijae@hani.co.kr
この前イ・ヘチャン前国務総理がイ・ジョンヒ(40)民主労働党議員を賞賛したという記事が載せられた。「イ・ジョンヒ議員が本当によくやっている。だから後援支援金も出した。」チョン・セギュン民主党代表もやはり公式の党会議で「イ・ジョンヒ議員の努力に尊敬と激励を申し上げる」と話した。政界関係者が他党の国会議員を公開的に賞賛するのはあまりないことだ。政界だけでなく、政界外でもイ・ジョンヒ議員の名前は多く取りざたされる。ろうそくデモや龍山惨事,国会本会議場など、その時々の最も激烈な‘現場’に常に彼女がいたためだろう。賛辞だけがあるわけではない。ある保守新聞の論説委員は「なぜイ議員は常に叫び、戦い、座り込みをする姿だけが見えるのか。国会議員ならばもう少し洗練された方法でできないのか」と指摘した。保守の人々には彼女の‘過激さ’が目立って見えるのかもしれない。イ議員に会うやいなや尋ねてみた。「なぜ多くの人があなたを賞賛すると思うか?」イ議員は苦しげな表情で「とても難しい質問ですが…よく分からない。後で答える」と話した。彼女の答えはインタビューが終わる頃に聞くことができた。
-イ・ヘチャン前総理からの後援支援金は入ってきましたか?
“はい。(笑い)有難く戴きました。戴いて有難いと電話を差し上げました。”
-イ前総理と直接会ってはいないのですか?
“6月抗争記念事業会でネチズンの皆さんと席を作りイ前総理と私を呼んでくれました。その場で会いました。”
-イ前総理がどんな話をしましたか?
“激励をたくさんして下さり、政治家の姿勢を話して下さいました。国会議員として仕事をして、どんな点に注目するのが良いか(本人の)経験を語ってくれました。”
-盧武鉉前大統領逝去の直後、イ議員が書いた追慕文を感動的に読みました。‘永らく彼を好きだった’でしたが、盧前大統領が好きだったが支持はしなかったのではないですか? なぜそうしたのですか? 後ほど後悔しませんでしたか?
“ウン~...,盧前大統領がボンハ村に帰り‘あーいいなあ’、このようにおっしゃる姿がとても良かったんですよ。その方の政策を支持しようが支持しまいが‘(私は)この方を本当に好きだったんだな’、そう思いました。支持しなかった最初の理由はイラク派兵のためでした。派兵に対して私が憲法訴訟を提起した程に、事実とても失望したし残念でした。憲法に規定された平和に生きるという価値に対して、もう少し熟慮して国民の考えを反映するようにと願ったのですが、そうでなかったためです。もちろん盧武鉉政権の進歩的政策もあります。総合不動産税のような…。そのような懸案がもう少し確固として定着できるように助けていかなければならなかったのでは、きちんと完成される前に揺れて痕跡すら残ることが出来ない状況にきたという評価は私自身しています。”
-現実政治で価値をそのまま具現することは容易ではないようです。イ議員も今国会議員として法を作り政策を監視していますが、そのような立場から見れば価値が現実にある程度屈折されるのは避けられないという気がしなかったですか?
“私が法律家として10年生きながら学んだことは、そうだとしても必ず維持されなければならない原則、たたむことのできない地点は明確にあるということです。憲法に保障された基本権のようなものでしょう。他のところでは譲歩したとしても、そういうものは維持しなければならないという共感を広げることが政治勢力の責任だと思います。”
-金大中前大統領は生前にカン・キガプ民主労働党代表に民主大連合の必要性を強調しました。イ・ジョンヒ議員も‘小さな差を突き詰めるより一緒に戦わなければならない’という話をしたことがありますが、共に戦うということは選挙連帯までも可能だという話でしょうか?
“もちろんです。”
-来年6月の地方選挙で民主党と民主労働党,進歩新党が単一候補を出しハンナラ党と対抗するのが望ましく、またそうなるべきだと思いますか?
“原則はそうあらねばならないと思います。ただし適用される態様は地域によって異なることもあります。全国的次元では選挙連帯または選挙連合が必要だが、たとえば湖南では民主党と(民主労働党が)善意の競争をすることが現実的なこともあります。(連帯の)原則は必要です。党の大きさには差があるが明らかに一緒に行かなければならないという考えがなければなりません。進歩的で民主主義的な価値と疎外された人を一緒に抱きかかえて行けるという信頼がなければなりません。”
学力考査首席模範生‘ユン・クミ’事件に衝撃
議員となり龍山事件現場が最も悲しい場面
-進歩政党の人々の中には‘民主党とハンナラ党の間には小川が流れているが、民主党と進歩政党の間には長江が流れる’と話す方々がいます。民主党と進歩政党が共有できる価値があまりないという意味のようですが、イ議員もそういう認識に同意しますか?
“私はそのような表現(小川と長江)に同意しませんが、もし(民主党と民主労働党の間に)長江というものが流れているならば、私は長江の中間ぐらいにいるのではないかと考えます。(笑い)今私たちの社会を見れば、(ハンナラ党と民主党の間に置かれた)‘小川’が‘絶壁’ということが明らかになりました。民主党と民主労働党の間に長江はありえるが、ハンナラ党・保守勢力との差よりははるかに小さいのです。(連帯は)必ずやらなくてはなりません。ただし、私たちの数が多いからお前らは付いて来い式のやり方は許されません。”
←民主労働党イ・ジョンヒ議員-進歩新党との再統合問題はどうですか? 可能だと考えますか?
“去る4月の蔚山(再補欠選挙)で市民は一様に‘ひとまず合わさってこい。そしたら票を入れるから’とおっしゃいました。分かれていることが長く続いてはいけません。ところで合わせることを無理にしてはいけないと思います。裁判所で言えば、離婚した夫婦が合わさって再び別れるならば永遠に再結合が難しくなります。合わさることができる試みが全てなされた後で気持ち良く合わさりたいという思いがあります。”
イ・ジョンヒ議員の出身高校を尋ねた。あえてこれを尋ねたのは、彼女が1987学年度の学力考査で首席を占めたことを引き出すためであった。彼女は340点満点に326点で、全国女子の首席を占めた。言論インタビューがどっと押し寄せ、‘これから何になりたいのか’という質問が繰り返された。彼女もやはり「法曹人になって疎外された人々を助けたい」という返事を繰り返した。彼女はとても自然にソウル大法大に進学した。「ある新聞で‘首席合格者たちがよくそのように言うが、実際にそのような生活を送っているか’と指摘するコラムを読みました。幼い年齢でうっかりしてした返事なのに、その返事がその後にも私の頭の中にずっと残ったようです。自分の話に責任を負わなければならないということ….」大学時期には勉強より運動にさらに情熱を注ぎ、ソウル大総女子学生会長まで務めた。
-どの高等学校を出てきましたか?
“ソウル瑞文女子高ですがよくご存知なかったんですよ。イ・ヒョリ氏が出た学校と言えば皆分かります。(笑い)”
-勉強をとてもよくしたが、大学に入って学生運動に身を投じた特別な契機がありましたか?
“女性問題に対する自覚のためでした。1学年の時、女性問題に対し分析した文を見て、継続して覗いて見たいと考えました。その頃、東豆川で駐韓米軍によって殺害されたユン・クミ氏事件に接しました。私の同期たちの中で東豆川の性売買女性の憩いの場で仕事をした人が何人かいましたが、彼らを助けに行きそれがとても深刻な問題だということを知ることになりました。売春問題と駐韓米軍問題が互いに複雑に絡まっていることを知りました。その被害者たちの問題を解決してあげたいという考えで司法試験の準備をしたので、私の人生で女性問題に対する自覚が大きな変換点だったと言えます。”
盧前大統領に好感 しかしイラク派兵に失望
総合不動産税など進歩的政策は定着するように助けなければ
-民主労働党に入党したのはいつですか?
“(18代総選挙直前の)昨年3月2日です。”
-以前には全く党員として活動しませんでしたか?
“はい。政治に飛び込むつもりは全くありませんでした。その時(昨年3月)は民主労働党が大規模離党事態でかなり難しい状況に置かれていた時です。難しい時なので出なければならないと考えました。民主労働党でなかったら(政治には)出なかったでしょう。”
-国会議員になった後、最も悲しかった時、最も残念だった時はいつですか?
“龍山事件が起きた時、1月20日ですが朝8時半ぐらいに現場に行きましたが全面凍結していました。そこは電線がとても多いのですが、午前中ずっとその電線から雨が降るように水が落ちていました。夜明けにどれほどの(水大砲を)撃ちまくったらああなるのかと思いました。私が国会での対政府質問を準備していると(鎮圧当時現場にいた)1人が自分が撮った映像を送ってきました。それを見ればイ・ソンス(死亡)氏と思われる方が(建物屋上から)飛び降りる所がないかときょろきょろ探して火と有毒ガスに倒れる場面が出てきます。‘あそこに人がいるのに…’と泣く声も聞こえ‘人が落ちる’という声も聞こえます。それでもイ・ソンス氏の頭の上にはずっと水大砲が降り注ぎます。人が落ちるその場面は私だけが見たものですが、あんなに悲しい場面をそのような情報を見られるのが国会議員の特権かもしれません。”
-チョン・ウンチャン新任総理が龍山問題を解決できると期待しますか?
“聴聞会の時は期待をちょっと持ちましたが、秋夕の時(現場に)来られてなさったお言葉を聞いて期待がちょっと落ちました。政府が今、龍山問題解決のためにはお金をかけなくとも法の限界を跳び越えなくてもできることがあります。捜査記録公開がそうです。総理が決心さえすれば良いのです。ところがそのように問題を解いてみようとしないようで残念です。”
-それでは最もやりがいがあった時はいつですか?
“(じっくり考えて)私が作りたかったこの法案が通過された時、最もやりがいがありました…と話せれば良いのですが、まだそうしていないですね。(笑い)”
-一つもありませんか?
“まだありません。発議した法案はありますが、昨年には‘MB悪法’に押しだされ、今年前半期はメディア法に押しだされたし….”
-一つだけ、これだけは必ず通過させたいという法案があるならば?
“五本の指を噛んで、痛くないのがないのに….(笑い)通商手続き法です。国家が外国と協定に署名しておき‘外交秘密だから公開できない’と言って国会に批准してくれと持ってきます。批准しなければ国際紛争になると言って無条件批准しろと押しこみますが、その手続きを変えようというのがこの法律です。昨年7月、民主党が国会に戻って来る時、ハンナラ党は二つの約束をしました。家畜伝染病予防法改正と通商手続き法を制定をするということでした。文書合意にもかかわらず(約束は)飛んで行った状態です。”
-パク・セイル ソウル大教授が‘保守は哲学がなく進歩は政策がない’と指摘したことがあります。進歩勢力には政策がない、コンテンツがないという批判をどう思いますか?
“私はもし私たちが明日執権するならば、この国をどのように運営していくか、そういうことを毎日考えています。(笑い)政策が足りない、代案が多くない、満たさなければならないことが多い、こういう批判をたくさん受けますが、私たちが描く社会に対する夢が全くないということではないのではありませんか? すでに見せましたよ。今直ちに何から行うべきか、反対する方々をどのように説得することができるかが(もっと重要な)問題だと考えます。説得できる論理と進行できる段階を一つずつ作ることが重要だと考えて私も努力しています。”
-ある保守新聞社の論説委員にイ・ジョンヒ議員にインタビューをすると言うと、‘イ議員は良いことは良いんだけど、どうして常に戦って座り込みする方式ばかりするのかが分からない’と言いました。こういう批判をどう思いますか?
“(しばらく考えた後)私が元々、弁護士をしていたじゃないですか。討論し反論し、そのように仕事をするのが最もやさしく気楽です。国会がそういうところだと考えてきたんですよ。ところが、来てみたらそのような討論が不可能な状況がとても多く起こります。‘(議員の)数が多いからすべてやってしまう’と言うのに、そこで‘私は討論を少ししなければならない’と言えますか? そうすれば私の責任が終わるのでしょうか、国民が‘あなたはすべき仕事はすべてした。数が少ないから仕方ない’と言うことが出来るかについては疑問があります。国会議員と弁護士が違う点が何か考えてみれば、弁護士の時は本当に冷静で物静かでとても静かに仕事をしていました。わざわざ距離をおいたりもしたんですよ。ところが政治はそんなに冷静にすれば済むことではないようです。国民にとっては腹を立てることまで代弁できる人が必要なのではないのかと思います。”
インタビューが終わる頃、イ議員は一番最初の質問に答えた。
-先ほどは答えられませんでしたが自分のどんな面が評価を受けていると考えますか?
“私には恐いものがありません。(笑い)二番目は、私が常識ないしは法律に知識があり説得して論駁する仕事をしてきましたよね? 相対的にそういうことに習熟しているからそうみたいです。大声を張り上げなくても討論し説得できる方法を知っているから。”
-法律と常識,討論の話をされたんですが、相手が不法な行動をするからとそれを食い止めようと自分も不法な行動をするのは正しいのか、あまりに行き過ぎたのではないかという悩みはないですか?
“悩みますよ。いつも(行動する)直前まで考えます。これがどのように評価されるか、深く悩みます。民主主義原理にはどんな意味があるのか。たとえばメディア法(通過過程)を見ながらでも、それでは国会で表決の意味は何なのか、多数決の原理は当然に守らなければならず合法的説得過程も守るべきだがそれは民主主義原理とどのように連結することなのか、そのような根本的な質問をすることになります。理想的であることは民主主義原則とその中で合法的な線が守られなければならないということですが、(民主主義原則が)根元から揺れる状況でどのようにどこまで対応するのが正しいのか、どこまでが許されることができるのかといつも悩んでいます。”
インタビュー/パク・チャンス副局長 pcs@hani.co.kr,整理 キム・ジウン記者 mirae@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/380890.html 訳J.S