板門店(パンムンジョム)共同警備区域(JSA)は東西800メートル、南北400メートルの狭い土地だ。にもかかわらず、会談場が多い。軍事境界線の上には、中立国監督委員会の会議室(T1)や軍事停戦委員会の本会議室(T2)、軍事停戦委員会小会議室(T3)がある。合わせて7棟だ。このうち3棟は国連軍司令部が、4棟は朝鮮人民軍(北朝鮮軍)が管理している。停戦直後の1953年10月に建てられた。
共同警備区域の軍事境界線の南側には「平和の家」(1989年竣工、地上3階建て)と連絡事務所の「自由の家」(1998年竣工、地上4階建て)がある。北側には、「統一閣」(1985年竣工、地下1階・地上1階建て)と連絡事務所の「板門閣」(1969年竣工・1994年増築、地上3階建て)がある。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は4月27日には平和の家で、今月26日には統一閣で、2回にわたり首脳会談を行った。そしてその統一閣で、米国のソン・キム駐フィリピン大使と北朝鮮外務省のチェ・ソニ副相を責任者とし、朝米首脳会談の議題を調整するための実務会談が27日から行われている。板門店が敵対と軋轢を溶かす対話の溶鉱炉となっているわけだ。
ところで、朝米両国はなぜ統一閣を会談場所として選んだのだろうか。この質問の答えを見つけるためには、統一閣の前に板門店共同警備区域という空間の特殊性に注目する必要がある。国連軍司令部軍政委の承認なしには誰もここに出入りできない。民間は60日前に国家情報院に、政府・公共機関は14日前に統一部に、国防部・軍は14日前に軍事停戦委員会の韓国軍連絡団に申請しなければならない。外国人旅行客は指定の旅行会社を通じて軍事停戦員会に申請しなければならない。“保安性”が非常に高い空間だ。要するに、マスコミの接近を徹底的に遮断することができる。
第二に、会談を支援するインフラが整っている。北側は停戦直後から国連司令部と、1971年8月20日には初の赤十字接触を皮切りに、これまで多様な南北会談をここで行ってきた。米国側は、国連司令部を窓口にして北側と多くの会談を開いた。それだけに関連施設がよく整っている。さらに、軍事境界線から南に2.4キロメートルの地点には「キャンプ・ボニファス」があり、米国の交渉チームがワシントンと連絡を取るのも容易である。
第三に、アクセスがいい。板門店は米国大使館があるソウルから52キロメートルの距離にある。米国代表団が日帰り会談を重ねている理由だ。平壌(ピョンヤン)からは147キロメートル離れているが、北側の行政名が「開城特級市板門郡板門店里」であるほど、開城(ケソン)から近い。
ここまでは会談場所としての板門店の利点だ。しかし、まだ解くべき問題が残っている。なぜ平和の家ではなく、統一閣なのだろうか。形式的には朝米交渉という事実が考慮されたが、内容的には“保安”の問題が大きい。平和の家は国家情報院が管理している。会談場面を撮影し、対話内容を録音できる施設が整っている。「朝米双方とも“第3者”に協議内容を直接知られる状況を避けようとしたようだ」(外交消息筋)と囁かれるのも、そのためだ。しかも、北朝鮮は韓国と異なり、マスコミ報道を統制できる。