原文入力:2009-09-12午後01:47:05
カバーストーリー 文人と軍人が泊まったそこ
70年の歳月 持ちこたえ 門を開ける
ヒョン・シウォン記者,パク・ミヒャン記者
濃い茶色の淡泊な外観,迎秋門道にあるこの建物の名前は保安旅館(写真)だ。大統領府に近いところ。軍事政権時期の国家的スローガンを思い出させる名称だ。70年余りの歳月、この場所を守ってきた建物の歴史は名前の愚鈍さを跳び越え深く多彩だ。40年代にはソ・ジョンジュ詩人が詩を書き、知人たちが集まり文学雑誌を作るロマンが立ちこめたところであったし、軍事政権時期には保安の文字を腕章に刻んだ大統領府の職員らが一夜泊まって行く秘密の空間であったということだ。さらに以前には敵産家屋であったことを推し量れる広い韓国式家屋屋根,真四角な部屋の区画と中二階がぽつんと残り建物の骨組みをそっくり見せている。
今、この朽ちかけた建物を満たすのは旅装を解くお客さんたちではなく美術作家たちだ。18日から保安旅館で開かれる‘揮景:消えゆく風景’展を準備している作家たちは五色燦燗のテープを建物外壁に貼り付け再開発地区に捨てられた人生の痕跡を旅館の部屋に飾り付けることに忙しい。花模様の食卓の上には町内に捨てられたレンガをのせ土壁には徽慶洞の家壁についていた捨てられた額縁がつけられた。展示に参加する6人は皆、徽慶洞に作業室を持つ作家たち、再開発事業のために撤去現場を皮膚で体験した作家たちは焦土化した徽慶洞に残した暮らしの痕跡を多様な作業で残す展示を企画した。
通義洞保安旅館で美術展示が開かれるのは今回が初めてではない。2007年春には‘通義洞軽随筆’展が、去る8月には‘アーバン アンド ディスアーバン(Urban & Disurban)’展がこの古い建物を満たした。使われつくした建物が声も立てずに廃棄されたりギラギラした建物に変貌する代わりに、こうして都市空間に対する話を語ることができる力は何だろうか? 現在、保安旅館建物の所有主である一脈文化財団のチェ・ソンウ代表は昔の建物の‘創意的復元’という話を語っていた。彼は「空間と時間がどのように重なるのかという、答えるのが難しい質問をずっと投げかけている。旅館という空間は結局、不特定多数が留まり離れていく所ではないか。文化芸術作家たちの多様なエネルギーが社会と出会う空間になることを夢見る」と話した。通義洞保安旅館は来年頃には視覚芸術を中心とする文化空間として、もう一度新しい歴史をからだに刻む予定だ。
文 ヒョン・シウォン記者・写真パク・ミヒャン記者
原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/375925.html 訳J.S