原文入力:2009-09-09午後09:47:25
ちまちまと古びた庶民の歴史と日常が息づく‘西村’の魅力を探る
ヒョン・シウォン記者,パク・ミヒャン記者
今まさに始まったばかりの爽やかな秋空の下、鍾路区,通義洞一帯を散歩した。幼かい時、長い棒を持ち裏山を探険した記憶を呼び起こしながら所々迷路のように隠れている路地を覗いて歩き仁王山のすぐ下の村、玉仁洞まで歩を進めた。通義洞,昌成洞,体府洞,孝子洞,楼下洞,楼上洞,玉仁洞,弼雲洞などがパズルのように固まっている景福宮西側の‘西村’は色とりどりに豊かだっ
た。洗濯物のような生活の匂いがまばらに路地に出ているかと思えば、大統領府前の道のよく育った街路樹は豪奢だ。そうかと思えば権力1番地の大統領府付近で三々五々と戦闘警察官たちが町内保安の任務をを負っていた。‘お隣りギャラリー’,‘コンテナ ギャラリー’,‘kunstdoc’まで最近急激に増えた展示空間をのんびりと歩きながらユニセフ韓国本部前,大統領府に近づくや警察官が「どこへ行くのか」と角を立てて尋ねることもした。 他人の町内を見物するために特定空間を訪ねるのは寂しいことでもある。だが王宮跡地であった西村一帯に新しい文化的・都市的経験が積もってゆきつつあるのは、三清洞や街路樹の道のように‘飛んでる町内’を先行獲得するための誰かの戦略にだけは見えない。楼上洞の韓屋に住んでいるパク・ソンジン建築コーディネイターは西村には李箱家屋,朴魯壽家屋,60年代の生活韓屋,李恒福家跡,純貞孝皇后ユン氏実家など歴史的に意味ある空間が多く、宮の物資を賄った庶民文化の痕跡が残る路地が残っていて両班村だった北村より複雑なところだと話した。「近ごろできた新しい空間の中で作業室を兼ねたカフェが眼につきます。文具デザイン事務室を兼ねたカフェ‘スプリング カム レーン ポール’や家具デザイン事務室の下に門を開けたカフェらは商売だけをしようと門を開けたのではなく、西村で暮らそうという態度を見せているのではないでしょうか? 北村がショーウィンドーのような感じを漂わせるならば、西村は小さくて繊細な路地に庶民の日常があちこちに生きています。」気ぜわしさを抜け出そうとするギャラリー・作業室 次から次へ上陸
遠距離から見る通義洞一帯が権力と近いところ、歴史的に意味のある所だとすれば、近距離で顕微鏡で覗いて見る通義洞は隅々ディテールが生きている、だからお隣りの人々の食べ物や近況が気になる幾つもないソウルの‘町内’だ。2006年冬、通義洞そばの昌成洞に敷地を定めたデザイン事務所‘ワークルーム’のキム・ヒョンジュン デザイナーもそのような町内を想像してこちらにきた。「外国映画を見る度にカフェに入れば主人公を知っていて彼に合う飲み物をくれる、そんな様子ががそれは素敵に見えましたよ。我が国では実際に多くの人々が町内で活動しはしないようです。私は町内でなされる何かに対するロマンを感じます。」
パク・ファルソン,イ・ギョンスなどが一つになった若いデザイナー事務所‘ワークルーム’は‘通義洞がこの頃文化的に浮上している’という信号弾を知らせた代表的空間だ。「門の外の空間と話すという意志で全面ガラスを選択し、入口が大きくなく1階ならば良いと考え」て計画した‘ワークルーム’では外部と疎通する関係指向的な作業が着実に進められた。美術館ではなかなか開かれない,規定するのが容易でない展示が開かれ、デザイナーらは隣世帯のカフェ‘MK2’,古本屋‘ガガーリン’のメニューやロゴなどアイデンティティを際立てる作業をした。大げさなことではないが、黄色い紙の‘ワークルーム'式デザインは外部にここの魅力を刻印させる端緒となった。「通義洞にどんな方法の新しい気勢が作られるかは、スローガンのように一瞬で目標達成できるというわけではないでしょう。通りが新しく作られ人々が集まるのは、誰もがこの町内の主人になることができるためでしょう。」彼らが数ヶ月前にしたインタビューで主張したように、迎秋門道は今一方通行路工事が真っ最中だ。
迎秋門道の終端、富士フイルム建物前で横断歩道を渡り体府洞,楼下洞,楼上洞に上がるところは謙齋 鄭敾の<仁王霽色図>に出ている仁王山に向かっていくまさにその方向だ。ソウルのような大都市では堆積物の如く‘古風だ’と感じられる素朴な看板の本屋,果物店,子供たちのためのピアノ学院が開いていて、生活の内実を久しぶりに見られる。だが新しく入る若い気勢も過去の気勢に劣らない。最近数ヶ月で新しい体府洞 ‘大悟書店(대오서점)’の隣には自分たちでデザインした製品を売る若いデザイナーたちの店‘pool’が、狭い洞窟のような地下建物には‘ロースト ギャラリー’等ができた。通義洞付近に住居価格が上がっているという噂が広がり、一帯の韓屋の場合で坪当たり2000万ウォンに達するが、‘pool’のように素朴な空間は月25万ウォンの家賃でまだ安い。
最近、仁王山付近でも急激な撤去が進行している玉仁アパートを記録するために若い芸術家と活動家たちが集まった。彼らの内のキム・ファヨン作家は実際に玉仁アパートの住民だ。「玉仁洞は鳥の鳴き声と渓谷のせせらぎが聞こえ、ペコンと引っ込んだ死角地帯のようだったが、市庁広場の集会から大統領府前の1人示威まで全てが見える特別な空間でした。明け方には仁王山登山路入り口で登山客たちがヤッホー! と叫ぶ声が聞こえたりもしましたよ。人が暮らしているのにガラスを割るなど深刻な撤去過程をみな記録しています。」
平和な情景の下の歴史と現実, 政策問題 尖鋭
西村が今このように多くの人々に注目されているのは忘れられた‘町内’というイメージがパノラマのように一つ箱に収められているからだ。そしてこういう西村の軌跡は幼い時期に駆け回った町内を喚起する個人的記憶ばかりでなく、沈澱した歴史的経験と大都市の変化が一ケ所に混じり合っている。通義洞で15年間にわたり哲学院を開いてきたある易術家は「古くから吉祥の地でした。陰と陽が調和し心が浮き立たず余裕がある。文化芸術が花咲く場所」と豪語した。通義洞の由緒深い保安旅館に事務室を設けた
一脈文化財団チェ・ソンウ理事長は「西村は表面では平安に見えるが導火線のようだ。住民たちの生存権問題と都心再開発問題,遺跡保存問題,玉仁アパート敷地に清浄公園と水路を作るという政府の立場などがみな違う。だが西村は三清洞のような大通りではなく、時には行き止まりになったりする、あるがままの路地が生きている」と話した。相変らず西村は果てしない迷路のように多彩だ。
文ヒョン・シウォン記者qq@hani.co.kr・写真パク・ミヒャン記者mh@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/375933.html 訳J.S