原文入力:2009-01-08午前09:33:59
‘左翼反乱’ 型にはまった悲劇
生存者ら生々しい証言
真実・和解のための過去史整理委員会が明らかにした‘麗水・順天事件’の真相は‘左翼反乱’という型にはめられたまま、まともに照明を当てられなかった民衆の悲劇の一部を国家機関が具体的に再確認したという点に意味がある。真実委は麗水・順天事件と関連して、一次調査として求礼(クレ)地域での被害を調査し昨年7月発表したのに続き、今回最大犠牲者が出た順天一帯調査結果を発表した。
‘順天地域だけで軍警により439人の民間人が集団虐殺された’という真実和解委の‘真実糾明’は順天市をはじめとして昇州邑(スンジュウプ)・西面・月燈面など周辺地域の多くの生存者らの生々しい証言を基礎に出てきた。チョン・某(77)氏は証言で1949年8月11日を‘思い出したくない悪夢の日’と回顧した。警察はこの日、反乱軍を討伐するとしチョン氏が暮らしていた順天市,昇州邑(スンジュウプ),柳興里(ユフンニ)に入ってきて家ごとに回って人々を引きずり出した。チョン氏宅も例外ではなかった。お母さんと二人きりでいた家に押しかけた警察は、お母さんに外に出ろと要求した。「お母さんは私だけ残しては出て行けないと中庭に居座りました。するとある巡査がお母さんを銃でいきなり撃ちました。そして私を撃ちました。「チョン氏のお母さんはこのことで亡くなり、生まれて100日にもならないチョン氏の弟(妹)もやはり乳を飲むことができなくて4ヶ月後にお母さんの後に従いた。
軍警討伐隊が左翼反乱軍に偽装して村に入り、反乱軍協力者を探し出して抹殺したという証言も出てきた。「雨がたくさん降る夕方、10人内外の山村に暮らす人に変装した人々が村にきて、カン班長という人の家に立ち寄りました。‘以前、食事の仕度をしてくれてありがとう恩を返す’と言いながら食事の仕度をしてくれた人々の家を教えてくれと言ったんだろう。カン班長は何人かの家を教えて….」当時順天,セドンマウルに住んでいたパク・某(75)氏の話だ。反乱軍らは偽装した政府軍だった。この日食事の仕度をしてくれたと明らかにされた村民たちは女と子供を含めて家族ごと全部近隣のエンギ山に引きずられて行き抹殺された。真実和解委は当時の軍警についても調査を行った。だが真実和解委は「加害者参考人100余人の中で自身が拷問と即決処分などの不法行為を犯したと認めた人は麗水・順天,西面支署学区出張所長を務めたク・某(85)氏一人だけだった」と明らかにした。
真実和解委は当時李承晩大統領が発表した‘警告文’が民間人集団犠牲の発端になったという点も明確にした。イ前大統領は1948年10月22日戒厳令宣布翌日、各政府機関に「男女はもちろん児童までもすべて調査し不純分子はみな除去し組織を厳密にして反逆的思想が蔓延しないようにして今後いかなる法令が発布されても全民衆が絶対服従してかかる非行が再び起きることのないように防衛しなければならない」という指示を与えた。真実和解委関係者は「この警告文が軍警の無理な鎮圧と反乱軍同調者探索につながり民間人集団虐殺を生んだ主な原因と判断される」と明らかにした。
真実和解委はまた「今回の真実糾明は不法行為で亡くなった人々だけを対象にしており、拷問とあくどい暴行で‘精神的な死’を迎えた人々に対する糾明はまだ未完の課題」と説明した。真実和解委は今年前半期中に麗水,高興(コフン)・宝城(ポソン),光陽(クァンヤン)など他の被害地域に対する真相調査を行う計画だ。 クォン・オソン記者 sage5th@hani.co.kr