原文入力:2009-08-28午後07:24:35
1982年ソン氏一家 スパイ事件 無罪判決
ソン・ギョンファ記者,イ・ジョングン記者
←28日開かれた再審裁判で27年ぶりに無罪が宣告された‘ソン氏一家スパイ団事件’の関連者 ソン・ギホン(左側二番目)氏たちが弁論を引き受けた法務法人地平志誠のソウル,南大門路事務室前で明るい表情で話を交わしている。左側からソン・ギホン氏の母方の叔父ハン・ヨンス氏,またいとこ兄ソン・ギジュン氏と姉ソン・ギボク氏。 イ・ジョングン記者root2@hani.co.kr
ソン・ギジュン(81)氏は藍色のベレー帽を脱ぎ手に固く握った。‘無罪’という言葉が出る前に涙があふれた。ベレー帽の隅がしっとりとした。またいとこのソン・ギボク(67)氏は宣告が終わっても席から立てなかった。手で胸を打った。
1980年代に越北者と北に拉致された人、在日同胞家族にぬれぎぬを着せた事件の中でも28人の連座者を出した最も大きな家族スパイ団事件である‘ソン氏一家スパイ団事件’が操作されたものであることを国家が公式に確認した瞬間だった。
中学校で美術を教えていたソン・ギボク氏は1982年3月2日に校長の呼び出しを受けた。黒い服を着た人々が「実家の父親について尋ねることがある」として国家安全企画部清州分室に彼女を連れていった。‘北韓に行ってきたことを言え’として殴り始めた。そのようにして115日を持ちこたえた彼女は結局「行ってきた」と偽りの自白をしてしまった。‘どのようにして行ってきたか’という尋問には「板門店を通って行った」と言ったところ‘お前が何で板門店を通って行くのか’として拳が飛んできた。「どうやって行かなければいけないか、ちょっと話して欲しい」と哀願した。
飲料代理店をしていたソン・ギジュン氏はまたいとこが連行されていって5日後に目隠しをされたままジープに乗せられた。20年間スパイとして活動した事実を言えと言った。向こう脛を蹴飛ばした捜査官らは彼を逆さに吊り下げ顔に水を注ぎ込んだ。結局「仁川,万石洞埠頭から工作船に乗り北に行ってきた」として、ありもしない過去を自ら捏造した後に死の恐怖から抜け出すことができた。
ソン氏一家28人はこのようにしてスパイになった。ソン氏一家は韓国戦争の時に北に行ったソン・ギボク氏の父親に会ったことはなかったが、安全企画部はこれらが南派スパイと何度も会いスパイ活動に加担したと発表した。‘ソン氏が忠清地域に地下党を建設する’という意で‘ソン・チュンゴン(宋忠建)’という仮名を名乗った人が1957~77年の間、南へ派遣されたという転向スパイの陳述が忠北陰城に住むソン氏一家を前代未聞の家族スパイ団に仕立て上げた端緒となった。
当時ソウル刑事地方裁判所は起訴された12人中、ソン・ギジュン氏に死刑,ソン・ギボク氏に懲役10年などを宣告した。「ソン・ギジュン氏は北韓へ入国していたと指定された時期に2日以上席を空けたことはなかった」と証言した飲料代理店の経理は偽証疑惑で拘束された。大法院は「自白に証拠能力がない」として無罪趣旨で事件を送りかえしたが、ソウル高裁はまたして有罪を宣告した。1984年大法院が再度破棄歓送したのにも関わらずソウル高裁は繰り返し有罪を宣告し、ソン氏らの3回目の上告は受け入れられなかった。
ソウル高裁刑事1部(裁判長 チョ・ビョンヒョン)は28日これらの8回目の裁判で無罪を宣告し、「唯一の証拠である自白に対して任意性を疑う理由が充分だ」と明らかにした。裁判所は「去る27年間の苦痛を今回の判決で補償されたことにはならないだろうが、少しでも慰労となり祖国に対する思いを新たにしてくれることを願う」と話した。 ソン・ギョンファ記者freehwa@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/373688.html 訳J.S