原文入力:2009-08-18午後03:56:31
最期まで‘民主主義 話題’
“じっとしていれば尊敬を受けるだろうが、見過ごすことができず”病中にも汎民主陣営連帯要求など激情的発言
パク・チャンシク記者
←盧武鉉前大統領の夫人クォン・ヤンスク氏が(5月)29日午前、ソウル,景福宮前庭で開かれた告別式で献花を終えたキム・デジュン前大統領と握手して涙声で話している。金前大統領も号泣している。 キム・ジョンス記者jongsoo@hani.co.kr
金大中前大統領は民主主義問題を最後まで自身で話の糸口をつかもうとした。
金前大統領が民主主義後退と逆走行問題を提起し始めたのは昨年11月27日に遡る。カン・キガプ民主労働党代表が北韓訪問結果を説明しようと訪ねてきた席で、金前大統領は‘イ・ミョンバク政府9ヶ月’を“10年前に全体の流れが逆転する過程”,“逆走行”と初めて表現した。
←大韓民国第15代大統領を務めた金大中前大統領が18日午後1時42分逝去した。写真は金大中前大統領が1973年8月8日、日本で発生した金大中拉致事件直後の14日、東橋洞自宅で拉致と関連した会見をしている様子. 1973.8.14←大韓民国第15代大統領を務めた金大中前大統領が18日午後1時42分逝去した。1980年軍事裁判所で開かれた‘金大中内乱陰謀’事件と関連、裁判受けている金大中前大統領とムン・イクファン氏の姿.彼は当面する問題として民主主義の危機,経済危機と庶民の苦痛,悪化する南北関係など3点を挙げた。続けて金前大統領は“民主労働党と民主党,市民社会団体が堅固に手を握り広範囲な民主連合を結成し逆走行を阻止する闘争をするならば必ず成功するだろう」と汎民主陣営の連帯を促した。
こういう発言は国民の政府と参加政府を通じて進展した民主化の成果が動揺する事態に目を瞑っていられなかったためと読まれた。彼の秘書室長を務めたパク・チウォン民主党議員は「金前大統領がじっとしていればそのまま尊敬を受けて何の声も聞かないだろうが、民主化のために半世紀の間闘争した人としてこういう問題をそのまま見過ごすことはできないという意をたびたびおっしゃった」と伝えた。
←金大中大統領と北韓金正日国防委員長が(2000年6月)14日夜、百花園迎賓館で南北首脳間合意文への署名に先立ち手を取り合って入っている。/ 2000.6.15 (平壌=大統領府カメラマン団)金前大統領は今年1月1日、国民の政府新年祝賀会式で「現政権は独裁者側に立った人々」としてイ・ミョンバク政府に対する批判強度を高めた。彼は「50年間、数多くの人々が命をかけて勝ち取った民主主義が国民の政府,参加政府10年を経てもう磐石の上に上がったと考えた」として「だが去る1年間、民主主義が大きな挑戦を受け20~30年前に逆走行をしている」と話した。
側近らによれば金前大統領は在野・市民社会指導者らとあまねく意見を交わし‘民主主義回復’方法を具体的に苦心していたという。盧武鉉前大統領と‘ある宣言’を一緒に行う方法もこういう脈絡で考慮したことが知られている。盧前大統領の逝去に金前大統領が大きな悲しみを表わしたのも同じ脈絡だった。金前大統領は当時「私のからだの半分がもがれたようだ」と話した。
←(2001年9月)26日金大中大統領が民生点検で立ち寄ったソウル,冠岳区,新林洞の果物店で主人がスイカの値段を尋ねる大統領に12000ウォンのスイカを10000ウォンで差し上げると言うと、うれしがって破顔大笑している。このスイカはイ・ヒホ氏が20000ウォンを出して買った。 / 2001.9.26金前大統領はその後色々な現場やインタビュー等を通じて一層激情的な発言を相次いで吐出する。5月28日盧前大統領のソウル駅焼香所を訪ねた金前大統領は「彼が受けた恥辱を考えれば私でもそうしただろう」と話した。6月11日6・15宣言9周年記念式では「過去50年間、血を流して勝ち取った民主主義が危険で非常に心配」として「血まめができた心情で話すが行動しない良心は悪の側」と話した。
ハンナラ党の激烈な反発で金前大統領はしばらく政治攻防の渦中に立った。ソウル,東橋洞の金前大統領私邸前では保守団体会員たちの抗議デモが連日繰り広げられた。前職大統領として抗議デモに苦しめられるのは悩ましいことだ。金前大統領は毎日午後4時‘東橋洞会議’の度に秘書陣に「今日はどんな団体が集まったのか」を尋ねたりした。その一方で彼は「私には難しいことだが私は最善を尽くしています。覚悟もしたしノーベル平和賞を受けた人として今更恐れることもありません」と話したとチェ・ギョンファン秘書官は伝えた。
しかし、からだが日に日に衰弱されるのにともなう苦悩と煩悶から自由なはずはなかったと知られる。彼は6月25日ハン・ミョンスク,イ・ヘチャン前総理など6・15共同宣言9周年記念行事準備委員らと共にした昼食で「この頃寝つく前に妻の手を握り‘我が国に危機が迫ったが私が体力的に大変で何もできることがないが、最大限私が何かができるように助けてくれ’と祈っている」と話した。この日、金前大統領は話す中間ごとに感情が込み上げ喉がつまり涙声で話したという。自身の役割が皆済んでいることを予知しているという感じまで残した。それから半月余り後の7月13日、彼は新村セブランス病院に入院した。キム・ジェホン教授(京畿大政治学)は「民主主義回復のための隊列の前面に金前大統領が直接立ってはいないが、象徴的求心点の役割をしてきたのも事実」として「彼の逝去で汎民主改革平和陣営に一定期間リーダーシップの弱化が憂慮される」と話した。
パク・チャンシク選任記者cspcsp@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/371798.html 訳J.S