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大統領・長官・ソウル大総長…代を継いで‘支配エリート’

登録:2009-08-14 21:01

原文入力:2009-08-14午後02:20:55
[親日・抗日‘屈曲した100年史’]
子息 ユン・チホなど7人親日人名辞典に名前が上がる
“親日で得た財産元手に解放後も常勝長躯”

キル・ユンヒョン記者

←1960年尹潽善大統領就任直後、尹家の人物らが景武台に集まった。左側から日善(ソウル大総長),致暎(国会副議長),潽善(大統領),致旺(陸軍医務官),致昌(駐英公使),永善(農林部長官)等。<ハンギョレ>資料写真

99年前、大韓帝国が日本に強制合併された時、我が国の社会指導層の前には‘2つの道’が置かれていた。1つは時代に順応する親日の道であり、他の1つは約束されない抗日の道だった。
その選択は100年近い歳月が流れる間、どんな結果を生んだのだろうか? <ハンギョレ>は民族問題研究所とともに我が国の名門家柄と指折り数えられた海平尹氏 尹雄烈-尹英烈一族,安東金氏 金嘉鎭一族,驪興閔氏 閔泳徽一族,牛峰李氏 李完用一族などが歩んできた道を追跡し8・15光復の現在的意味を顧みた。

1910年庚戌国恥以後99年間大韓民国で最も名を知られた名門の家柄を挙げろと言えば外せない家門が尹雄烈-尹英烈兄弟一族だ。海平尹氏で‘老論’の大家であったこの一族は、宣祖の時に領議政を務めた尹斗壽(1533~1601)の子孫で尹潽善大統領,尹致暎 ソウル市長,尹日善ソウル大総長などを排出した。同時に民族問題研究所が発刊を推進中の‘親日人名辞典’に7人の名前を上げた。

←(※クリックすればさらに大きく見ることができます。)

尹雄烈(1840~1911)は朝鮮末期軍部・法部大臣を務めた後、日帝から男爵位を受け、親日反民族行為真相究明委員会が指定した‘親日反民族行為者’に分類された。彼には子息が3人いたが、長男が中枢院顧問を歴任した致昊,次男は英国グラスゴー医大を出てセブランス病院長を歴任した致旺,三番目は米国シカゴ大出身で初代駐英公使とトルコ大使などを務めた致昌だ。

尹致昊(1865~1945)の長男、永善は1950年代に農林長官を、致昊の孫は交通部高官を務めた。尹致昊のひ孫娘は<朝鮮日報>方相勳社長と結婚し息子兄弟をもうけた。親日人名辞典で‘尹致昊編’を書いたキム・スンテ民族問題研究所研究委員は“尹致昊は‘105人事件’で獄苦を体験した経歴も確認されるが、以後天皇が直接任命した日本貴族院の勅選議員になるなど積極的な親日に傾いた」と語った。

尹雄烈の弟の英烈(1854~1939)は6男3女をもうけたが、この内4人の名前が親日人名辞典に上がっている。孫を含めれば計5人に達する。長男 致旿と二番目 致昭は日帝時に朝鮮総督の諮問機関だった中枢院の賛議と参議を各々務めた。致旿の長男の日善はソウル大総長を、次男は日帝の傀儡国家である満州国の間島省次長を歴任した。二番目致昭の長男が大韓民国2代目大統領の尹潽善だ。

3男の致成は日本陸軍士官学校(第11期)を出て日本軍騎兵中佐(中領 に該当)であった。6男 致暎は日帝末期国民動員総進会中央指導委員などとして積極的な親日活動を繰り広げ、解放後にはソウル市長と民主共和党議長,国会副議長などを務めた。

シン・ミョンシク民族問題研究所企画理事は「独立活動家の子孫らが今も苦しい生活を送っているのに反し、親日派の子孫らは親日の代価として得た財産で西欧や日本に留学した後、新生大韓民国の支配エリートになった」として「親日派の子孫だからと連座罪を適用することはできないだろうが、親日派の子孫らもその点だけは心に銘じておく必要がある」と話した。

日帝時に最大の大金持ちであり子爵 爵位をもらい親日反民族行為者に選定された閔泳徽の子孫も先祖の財産と地位をそっくり受け継いだ。この一族では閔泳徽本人と衡植・大植・奎植など3人の息子が親日人名辞典に名前を上げた。大植の子孫は豊文女子高,奎植の子孫は徽文高校(旧 徽文義塾)を運営している。

だが、すべての親日派家門が成功的に社会的地位を世襲したわけではない。1920~30年代は途方もない変革の時代であり、親日高官らの中には売国奴という周囲の指弾に耐えられなかったり、時代の変化に追随できず没落した家も多かった。

純宗の妻の父で中枢院副議長を務めた尹澤榮は破産の後、中国に逃避し客死したし、中枢院顧問だった宋秉畯の子孫らも1920年代中盤からちりぢりに散った。イ・ソンスン親日反民族行為者財産調査委員会博士(国史学)は「親日派の子孫らの中で滅門に近い打撃を受けた一族も多い」と話した。

キル・ユンヒョン記者charisma@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/371182.html 訳J.S