本文に移動

経済危機下の抑圧政治…‘ファシズム切迫’警告

登録:2009-07-16 15:44

原文入力:2009-07-16午後02:56:55
進歩勢力 内部反省なき‘ファシズム杞憂’批判的見解も

イ・セヨン記者

←警察機構の全面化と極右暴力勢力の蠢動など‘ファシズム的傾向’だと呼ぶに足る兆候が出現している。写真は去る4月ソウル,東橋洞の金大中図書館前でデモを行う国民行動本部会員たち(上)と去る1月龍山撤去現場で強制連行される撤去民(下). 資料写真. イラスト キム・ヨンフン記者kimyh@hani.co.kr.

学界‘ファシズム’論争拡散
ファシズムの本質を誰より正確に看破した人物はイタリアのマルクス主義者アントニオ クラムシ(1891~1937)だった。彼はファシズムを“消えゆく昔に代わる新しいものの出現が遅滞する危機局面に登場する多様な病的兆候”中の一つと規定した。経済的次元に注目しようが大衆心理的要因を強調しようが、ファシズムの登場背景を社会経済的危機と連結する大部分のファシズム論がクラムシに根拠を置いているわけだ。

最近私たちの社会で広がるファシズム論議もやはり同じだ。論議の発火者はいわゆる‘MB悪法’と警察・検察などの抑圧的国家機構が前面に浮上した現象自体より、こういう政治的退行が全地球的経済危機を背景に展開しているという事実に注目する。「世界的水準の経済危機で国家間・資本間の競争が激化し競争の障害になる政治の領域は縮小・抑圧され技術官僚システムと公安が空いた隙間を埋めている」(イ・グァンイル聖公会大教授)ということだ。

もちろん抑圧的政治構造の全面化を経済危機と連結する学者ら皆がファシズム談論に同意しているわけではない。一例としてシン・ジンウク中央大教授はイ・ミョンバク政府を1980年代英国のサッチャー政府や9・11テロ以後の米国ブッシュ政府と類似の‘新自由主義的治安国家’以上には規定しない。これらがファシズムの到来の可能性に疑問を提起する理由は簡単だ。韓国社会にはファシズムに典型的な‘下からの大衆動員’基盤がぜい弱だと見るためだ。

だがファシズムの可能性を警告する学者らはこういう観点が‘ファシズムに関する神話’に強迫されたものと見る。ファシズムが大衆運動を背景に執権したという通説は「ファシスト執権後に加工された側面が強い」という話だ。

イ・グァンイル教授は「イタリアやドイツもやはり政治・経済・社会的危機に処した保守・自由主義勢力が左派に対抗するためにファシズムと協力し、彼らを政治的代理人に選択したケース」と強調する。パク・ヨンギュン ソウル市立大教授も大衆運動を強調する見解が「特定の歴史的事例を‘理念型’として見なすことにより、ファシズムを西欧的現象に限定させる誤りを犯している」と批判する。

注目に値する事実はファシズム論議の発火者などもやはり今の韓国社会を‘ファシズム体制’と規定しはしないという点だ。特定体制をファシズムと規定しようとすれば「極端な危機状況で表出される大衆の恐怖と熱望を右翼のヘゲモニーの下に結集させ、これを通じて大衆を絶対化された権力の下で全体主義的に統合する動き」(チョ・フィヨン聖公会大教授)が現れる筈だが、韓国社会はこういう極端状況まで駆け上がったと見るには難しいためだ。

したがってこれらが強調するのは‘兆候’としてあらわれている‘ファシズム的傾向’だ。パク・ヨンギュン教授はこれを大衆心理内に潜伏していて適切な条件が用意されれば急速に成長する‘ファッショ的なものたち’と規定する。このファッショ的なものたちの実体は社会経済的危機などで大衆が生存の極限に追い出された場合に表出する破壊衝動だ。こういう衝動は国家の公共性が喪失され、これ以上制度政治に期待するものがないと認識される瞬間に既存の体制と制度を破壊するカリスマ的権力に対する要求として噴出するが、パク教授は最近韓国社会でしばしば起きている無差別的に大衆に向かった憎しみ犯罪や青年層に現れている攻撃的民族主義を大衆心理の中で作動するファッショ的なものたちの症状と見なす。

こういう現実診断は「深刻化されるファッショ化傾向に対抗し、急進民主主義勢力と社会主義勢力がかたい連帯を形成しなければならない」(イ・グァンイル教授)という結論につながる。一種の‘21世紀型反ファッショ人民戦線’の構築だ。

だが‘挫折感から始まる破壊衝動’をあえてファシズムという極端用語で表現しなければならないのかについては学者ごとに意見が異なる。

パク・サンフンフマニタス主幹は「破壊的心理傾向の存在を認めることと、それが反動的政治体制の登場につながると診断することとは全く違う次元の問題」と話す。ややもすると素朴な心理学的還元論に陥りかねないということだ。

‘ファシズム的傾向’が存在するという問題意識には同意しながらも、論議がもたらす否定的効果を警戒する学者もいる。

シン・ジンウク教授は「今、ある種の威嚇が差しせまってきていることは事実だが、その威嚇は‘野良犬’程度の威嚇だ。この状況で“オオカミだ”と叫べば、本当にオオカミが現れた時に対処する方法が広く果てしなくなりえる」と憂慮する。最悪の状況に備えた警戒は遅らせてはいけないが、威嚇の大きさを誇張することにより大衆の無感覚を育ててもいけないという話だ。

イ・セヨン記者monad@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/366140.html 訳J.S